HELP!

プロローグ



 何もできない。見ることはできる。でも、それ以上何もできない。
 助けて――ああ、誰かが呼んでいる。その声は確かに届いている。けれども、手を差し伸べられないのだ。
 助けて。助けて。苦しい。お願い、誰か、助けて。耳をふさいでしまいたくなるような、切ない声色。無視したいわけじゃない、ただ駆け寄ったって相手を無駄に期待させるだけなのだ。
「ごめんなさい」
 声に向かって、彼女は精いっぱいの謝罪を続けた。謝ることしかできなかった。そうして自分を恥じる彼女に降ってきた声は冷たかった。
「ウラギリモノ」


 志織はその瞬間に目が覚めた。視線の先には、何の変哲もない自室の白い天井に、カーテンの隙間から侵入した光が走っていた。
 いやな夢を見て目覚めた朝は、心拍数が少し早い。そして、吐き出す溜め息も鉛色に染まってしまいそうなくらいに重いのだ。動きの鈍い身体でカーテンを開けると、それを待っていたかのように、朝日は一気に室内に流れ込んできた。その眩しさに目を閉じる。
 心苦しい気持ちと、関わり合いになりたくない気持ちと、どこかいらついた気持ち。夢を思い出すとそれらが腹のなかで混ざりあって、ますます吐く息の色が濁っていくような気がした。
 志織はベッドから下りて、制服に手を伸ばす。そして着替え終わると、机の上に置いたお守りがわりのネックレスを身につけた。そうすることでようやく、気持ちが晴れる気がした。
 リビングの扉を開けると、すでに母が身支度を整えていた。挨拶もそぞろに、母は急いで出ていく。今日は早く出なければならないのにすっかり寝坊してしまったらしい。
 残された志織は、テレビのニュース番組を聞き流しながら、テーブルに用意された食事に手をつける。こういう日の朝は、何を食べても味がしなかった。
 再度身支度を整えて鞄を持ち、志織は玄関に向かった。そして、つい毎朝の習慣を忘れたことに気づいて慌ててリビングに戻った。サイドボードの上の写真。こういうときだからこそ、いつも行っていることは忘れてはいけない気がした。
「行ってきます」
 返事はない。しかし、それでもいいのだ。志織は少し気分が晴れ、若干軽くなった足取りで玄関の戸を開けた。行ってらっしゃいと呼びかける声はなく、彼女はいつもどおり鍵を閉めた。




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