序章


 私がその腕輪に出会ったのは、まだ私が若いころだった。
 当時、私はある港町で暮らしていた。古くから栄えていたその町は、様々な文化が混ざり合っては花を咲かせて、そして消えていく場所であった。両親を忘れ、一般的な幸せを忘れ、ただ目の前にある出来事に日々を費やしながら、押しつぶされて消えてしまわないようにと必死に生きていた。
 そんなころに私は腕輪と出会ったのだ。そのときは、まさか私の人生をここまでこの腕輪に変えられるとは夢にも思わなかった。私も所詮、歴史の波に消えて海に沈む一片の葉だと自身を思っていたからだ。
 腕輪のことを思い出すと、ふと笑みがこぼれる。今はもう、あの繊細な彫刻も、深い輝きの紅の石も見ることができないのは至極残念なことだ。しかし、今でも心に焼きついている。忘れようもない。
 なぜなら、私は、千年をその腕輪と駆け抜けたのだから。
 お前も知りたいかい。ならばこのまま聞いていてくれ。こんな日は、どうもおしゃべりになってしまうからいけない。私も歳をとったのだろうね。



 さて、詳しくと言われても、どこから話したらいいものか。海賊ホーカンが好きなら、そこから始めようか。新しいものの方が記憶も鮮明だから。……いや、やはり最初から順を追って話そうか。そのほうがわかりやすいだろう。
 確かあれは、かのシェスカ大戦が終わって間もないころのことだった。世界最大の大陸であるシェスカで、大地を二分するような争いが数年間続いた。ああ、さすがに今でもきちんと話が残っているのだな。なんだか安心するよ。
 もちろん、当時は今の語り草など比ではないほどの大騒ぎだった。なにせあのシェスカが割れたんだ。我がアールヴ国は海を隔てた別大陸だったが、同盟などのしがらみで参戦することになってしまったのだ。もはや、彼の大陸だけの問題ではなかった。世界中がその行く末を見守っていた。
 当時の私はアールヴ国第二首都であるエアトンにいた。エアトンは、遠くの水平線までよく見渡せる美しい港町だったが、同時に軍事や商業の拠点でもあった。首都よりも巨大なこの都市は、国のどこよりも過敏だった。シェスカ東軍が西へ勢力を伸ばしたら、我が大陸グランリージにもその脅威にさらされただろう。そうしたら、迎えうつ拠点となるのは、エアトンだったからな。
 勝利で幕を閉じたと知らされたときは、それこそ狂ったような大騒ぎだったよ。だが、それも世間とは縁薄い我々の魔法工房にはほとんど影響を及ぼさなかった。少なくとも、私は全く気にしなかった。
 当時の私は、千年に一人の天才と名高かった稀代の魔法使い、カネル・ローハインに師事していた。ん、信じられないか? まあ、別に信じなくてもいいさ。それなら、あとは私の作り話として聞いていてくれ。
 工房にはもう長年いたことだし、いいかげん独立しろだの何だのと言われてはいたが、私はしつこくそこに居残っていた。何歳になったらとか修業が終わったらとか、そんな規則は特になかったしな。そんなものだから、とうとう工房ではカネル師の次にあたる位に就いた。そう、古い呼び方で言うと「次室」だな。工房長……ああ、師は親方という呼び方を好まなくてね、その部屋の隣に部屋が与えられるから、昔はそう呼んだのさ。魔法の……特にカネル師の工房は、世間一般のそれに比べると多少異なるものだったのだが、 師が工房と呼ぶのだから工房としておく。
 私は、魔法が何よりも大切だった。唯一の拠り所と言ってもいい。人生のすべてを魔法に費やしたし、それ以外のものは何でも犠牲にした。幼いころからずっと、師の教えで学ぶことを私の人生とした。まあ、ある意味甘えと言っていいな。あの人の近くにいれば、何の心配もなかったのだから。とにかく、魔法こそが私の生きる意味だったのだ。
 改めて言う必要はないが、カネル師は魔法の天才だった。もともと半分はただの人間でなく、ラーディラスの民という魔法に長けた種族の血が流れていた。そのせいか才能や名声に恵まれ、世界中の魔法使いの憧れの的になったわけだ。逸話も数多く残されており、どういう由来かはまたあとで話すかもしれないが、世界を救ったなどという話もある。
 半分人間ではない師は、私にとって近いような遠いような存在であり、どうしようもなく引きつけられるものだった。幸い、可愛がってもらえたからな。私と他の弟子たちの仲はけして良好なものではなかったが、カネル師のそばにいられるのであればそれでいいと思っていた。
 あの頃、カネル師の工房で私は二人の後輩の指導を任されていた。一人は、ライアという少女。元は旅芸人であったが旅団が解散となり、この工房を訪ねてきた。彼女は、それまで魔法とは縁のない生活を送っていた。ローハイン門下では入門に細かな条件があり、彼女はその対象からあまりに外れていた。あまりに無謀な物言いに工房全体が呆れかえり、騒ぎになった。結局、カネル師が彼女をいたく気に入ったらしく、他よりも厳しい修行を条件にライアは私の妹弟子になった。
 あの子はすばらしく手先が器用で、見事な細工を作った。魔術具に関しては、他の弟子たちさえ感心したものだ。我々はあくまでも魔法の専門家であり、工芸の技術に関しては今一つ本職に及ばないからな。彼女は自分に経験がないことを一番よく理解しており、最も熱心に勉強していた。私は連日連夜、彼女の修行に付き合ったりしていたよ。順調に身についていったわけではないが、素人で入門したわりには成長は早かったと思う。
 もう一人は、コリンという少年だ。代々政の中枢を担う大貴族の三男で、父親は大臣の位に就いていた。はっきりした性格で頑固、熱くなると少々手がつけられなくなるけれども、何でもそつなくこなす優秀な人材だった。育ちのよさを鼻にかけるようなことはせず、身近な人間を大切にする子だった。ときどき誰かとぶつかるし、ひねくれた態度をとることもあったが、内面はなかなか繊細なところもあった。
 こちらはライアとは対照的に、幼少時より魔法教育をしっかりと受けており、ライアと比べたら入門の経緯はまだ穏やかなものだった。たいていの目標を達成できる力も環境も彼には備わっていたし、苦労もなく修行を着実にこなしていった。ライアは手先が器用だったが、彼は仕事や生き方が器用だったというか、要領がよかった。
 コリンとライアとほぼ同時期に工房に入ったこと、そして両方面倒を見るのが私だったこともあり、とても仲がよくて常にじゃれ合っていた。加えて、私を巻きこむのだから敵わないのだ。それはそれで、まるで家族みたいな気分だったので楽しかったがね。
 しかし、私と腕輪との出会いは、私が最も幸福だったこの日々を奪ってしまうことになる。それ以降、私と腕輪は憎しみと哀れみ、ほんの少し共通する懐かしい記憶で結びつけられながら、千年の狂気に囚われ続けることになるのだった。





2008/10/25


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