1 その可憐な令嬢の右手には、拳銃が握られていた。 「来ないで! 来たら彼を撃ちます!」 背後には陸橋の欄干。その下には幾本もの線路が地平に向かって伸び、時折汽笛や車輪の振動音とともに、蒸気機関車が行き交う。 彼女は膝をついた軍服の男の首を左腕で抱え、銃口を彼の頭に当てていた。抵抗できぬ男は、真っ青な顔で説得を試みる。 「おい! ……いや、その、お嬢さま? 離していただ」 「ほ、本気ですから!」 言い放つ声も、地に着いた膝も、肝心の手も震えている。それでも彼女は隙を与えまいと、琥珀色の瞳で前方の面々を見据えた。 そこに並ぶのは近衛兵、そして中央には一段と重厚な服をまとっている男性。彼は感情を窺わせない顔で、静かに彼女を諭す。 「騒ぐのはよしなさい、コルネリア。君のためにならない」 「おいでにならないで、殿下!」 コルネリアは唯一の特技を披露するように、力の限り叫ぶ。軍服の男はあまりの声量に耳を塞いだ。 殿下と呼ばれた男は細く溜め息をつく。 「状況を整理しよう。私は王子、君はその婚約者、ついでに彼は私の忠実なる部下」 「殿下、俺のことはいいですから」 腕の中の男の言葉を無視して、コルネリアは表情を険しくする。 「だ、だったら何だと言うのです?」 「君の家は、いわゆる没落貴族。この縁組が壊れたら、きっと亡きご両親も悲しむだろう」 「でも、でも私は……」 現在、家督はコルネリアの姉夫婦が継いでいる。しかし、実質上、姉の夫であるハーゲンに乗っ取られている状況だ。 そのハーゲンこそ、諸悪の根源だった。 「ここまでないがしろに……ただの道具のように扱われたくなどありませんっ!」 没落したとはいえ、元は名門貴族だったユリード伯爵アーベントロート家。ハーゲンはその長女を妻にして当主の座を手に入れただけでは飽き足らず、義妹のコルネリアを第二王子のクヌートに差し出すことにしたのだ。 「貴族の女なんて、道具も同然だろうに」 ボソッと軍服の男が呟くのを耳にし、コルネリアは彼を睨む。 「あの人の勝手にさせたくはありません。もちろん、殿下、あなたにも」 クヌートはまったく動じず、婚約者を言葉もなく見返すのみ。 「第二王子ともあろう方が、斜陽も斜陽の我が家から妃を選ぶなどありえませんわ。何か企てがあってのことでは?」 膝で触れている石畳の振動を感じながら、コルネリアは彼を更に問い詰める。 「この縁談の目的は何ですか?」 「それは……」 クヌートは躊躇いを見せながら視線を足元に落とす。幼少時より何度か顔を合わせたことはあったが、彼がこのような仕草を見せるのは初めてだった。 ――よほどの事情があるにちがいない。彼女はそう判断した。 「殿下、まったく知らぬ仲ではないことにおすがりしてお願いいたします。どうかお答えください。あなたと義兄は、なぜこの婚姻を決めたのですか?」 それでも彼は答えない。代わりに、軍服の男が口を開く。 「あの、お嬢さま。この体勢辛くなってきたので、もうそろそろ解放していただけませんか」 コルネリアの緊迫した様子とは裏腹に、のんびりとした口調。どこか煩わしげにも聞こえる。 「殿下、実力行使は?」 「禁ずる」 クヌートの一言に、男は肩を落とす。 「というわけで、俺は俺であなたの良心とやらにすがるしかないのですよ」 男に見上げられ、コルネリアはゆっくりと腕を解いた。そして、彼がその手を掴む前にひらりと欄干に上り、自分のこめかみに銃を当てた。 「では、私自身を撃ちます」 「はあ?」 「触らないで。殿下、もう一度お聞きいたします。なぜ、私なのですか?」 クヌートは目をそらし、やはり無言を貫く。 「たとえ政略結婚であろうと、率直なお話ができない仲であるお方のもとへは嫁げません」 クヌートは婚約者を見つめ、指示を待っている軍服の男へと視線を移す。 その瞬間、コルネリアの足から欄干の感触が消えた。 「きゃあ!」 「まずい!」 宙に放り出されるコルネリア。 運悪く機関車が迫り、橋をくぐろうとするところだった。 軍服の男が身を乗り出したが、間に合わない。彼は即座に自分も飛び降り、彼女を捕まえて庇うように抱きかかえる。 汽笛が鳴る。 クヌートと近衛隊は、血相を変えて欄干に駆け寄る。そこで彼らが見たのは、牽かれた貨物の上に倒れた二人の姿だった。 我に返ったコルネリアは、痛みに顔を歪める男の腕から素早く脱出し、クヌートたちに向かって声を張り上げる。 「来ないで! もしもこの列車を追ってきたら、彼を殺して私も死にます! 王子の婚約者にあるまじき醜聞でしょうね!」 クヌートは、構わず動こうとした近衛兵を手で制する。 「これ以上刺激するな。しばし待て」 「しかし、いいのですか? 彼も……」 「彼ならば心配ない」 そのやりとりは、コルネリアの耳には入らなかった。 機関車は進み、彼らから遠ざかっていく。婚約者の姿が見えなくなったところで、コルネリアの身体から力が抜けた。 大それたことをしてしまった。けれども、引き返せない。そして、納得できぬ道にも進みたくない。 唇を噛みながら小刻みに震える彼女の隣で、軍服の男はもう一度溜め息をついた。 コルネリアは、名門貴族の次女として生まれた。ただし、立派なのはいまや歴史だけ。工業化が進みゆく時代に取り残され、現在は家名をかろうじて維持している状態だった。 彼女の父は状況を打破するため、新たな事業に着手した。しかし、その最中に夫婦そろって事故死した。そのとき、コルネリアは十歳、姉のモニカは十五歳だった。 まだ歳若い姉妹だけが取り残され、アーベントロート家は窮地に追い込まれた。制度上は、長女のモニカが夫を得て、その者を次の当主にしなくてはならなかった。 斜陽とはいえ名門は名門。周囲の思惑がぶつかり合い、婿選びは難航した。そして二年が経過し、やや遠い分家の息子ハーゲンに白羽の矢が立ったのである。 彼は当時、モニカより十歳上の二十七歳。別の事業を成功させており、世間をよく知っている。最も妥当な選択とされた。 コルネリアは姉の結婚を喜んだ。しかし、すぐに断固反対しなかったことを後悔した。 ハーゲンはまず、アーベントロート家に伝わる宝飾品や芸術品をことごとく売り払った。コルネリアの父が進めていた事業は潰し、あるいは手頃な金額で他の者に売り渡した。 両親の形見まで金に替えられ、コルネリアは頭に血が上った。しかし、それを抑えたのは姉のモニカだ。 「きっと、これからの我が家のためよ」 か弱き長女は、夫の行動は自分たちを思いやってのものだと、妹も自分も納得させようとした。しかし、ハーゲンが得た金で新たに別の事業を始めてから、家の空気はいっそう悪くなっていった。 ハーゲンは少々強引なやり口で金儲けを始めた。そんな彼に付き従うのは真っ当とは思えぬ雰囲気の者ばかり。彼らはコルネリアやモニカを軽んじ、ときにハーゲンを囲んで酒に興じて下品な笑い声を響かせる。 室内の調度品も彼が来てから変わった。慎ましくも上品な内装の面影はどこにもなく、見かけ倒しの安っぽいものばかりになった。 姉妹を支えてきた使用人は全員暇を出され、代わりに不真面目な人間が雇い入れられた。 コルネリアはどうか離縁してほしいと姉に訴えたが、モニカは首を縦に振らなかった。 「では、私たち、どう生きていくの?」 世間知らずで、夫を支える貴婦人として教えだけを受けて育った。そんな少女たちが生きていくには、彼が必要だと言う。 コルネリアは、ハーゲンに愛人がいることも、その女が堂々と屋敷に出入りしていることも知っている。モニカも気づいていたが、彼女は見て見ぬ振りをした。ひっそりと自室にこもって生活する道を選んでいた。 一見、金回りがよくなったのは事実だ。そのおかげでハーゲンを評価する者も多く、遠方の縁者に現状を訴えても逆に諭される始末だった。 ハーゲンからは外の人間との接触を禁じられ、城に幽閉状態となった。 頼る者がいなくなった。コルネリアがそう実感したとき、追い打ちをかけるように降ってわいたのが、第二王子クヌートとの縁談だ。 コルネリアは最初、自分の耳を疑った。決して醜くはないが、絶世の美女でもない。特技はせいぜい歌くらいで、他は凡人の域を出ない。王子とは面識があるものの、特に親しくはない。もっと格上の女性は数多いる。そんな自分が、なぜ王子の妃になるのか。 怪しい――彼女の心に不安が渦巻いた。 名実ともに妃にふさわしい娘たちを差し置いて、自分がクヌートの婚約者になる。彼女はその事実に納得できなかった。 ハーゲンは欲深い男だ。自分に最大限の利益が出るように画策する。王家と縁続きになれば箔が付き、さらに好き勝手できると踏んだのだろうと推測できる。 では、クヌートは? コルネリアは首を捻った。 冷静沈着な第二王子は王からの信も厚く、軍の一部を統括している。そんな彼がわざわざ没落寸前の家の娘を選ぶ理由とは。 ハーゲンと取引があったのだろうか。コルネリアの胸が騒いだ。彼女自身に旨味がないなら、義兄に利益があるとしか思えなかった。 婚約後最初の顔合わせのため、コルネリアは鉄道で都へ赴いた。宮殿で待てばいいものを、クヌートはわざわざ駅まで迎えにきた。 彼は、ハーゲンの不在をやけに気にしていた。そのハーゲンは出発の直前に急用ができ、急遽コルネリアだけが先に行くことになった。 ここでコルネリアは確信した。彼の目当てはハーゲンにまつわる何かなのだと。 駅舎を出た彼女は、馬車にはすぐに乗らず、人払いをしてもっと鉄道を見学したいとせがんだ。そして、クヌートが駅全体を見渡せる陸橋に案内したところで、行動を起こした。 側にいた軍人を不意打ちで突き飛ばして腰に下げた拳銃を奪い、尻餅をついた彼の頭に当てて―― そこまで回想したコルネリアは、横にいる男を見る。 短い髪は鳶色。精悍な顔つきは、大型犬を思い起こさせる。クヌートよりは人間味を感じさせるが、気だるそうで軍人らしさはあまりない。 「そろそろ気が済みましたか、お嬢さま?」 うんざりした声色。とても、王子の婚約者に対する態度とは思えない。 「立場が立場なのでしてね、なるべく早くあなたを殿下のもとへお返ししたいのですよ」 「嫌よ、絶対」 男の目つきが悪くなる。 「何が不満なんです? 王子の妃ですよ、没落寸前貴族の娘からの大出世。しかもクヌート殿下はなかなかの美丈夫。ああ見えて、結構優しいところもあります」 「あの方が私なんかをわざわざ妃に望む理由がまるでわからないの。あなた、ご存知?」 「……いえ」 男は静かに首を横に振る。 「この縁談を取り付けた義兄は欲深い人間だわ。怪しい事業をいくつも行っているの。確かに、父の代よりは潤っているけれども、領内の空気が悪くなったと、民たちは不満を訴えている」 ハーゲンが当主になって以来、見知らぬ連中が幅を聞かせるようになった。時には狼藉を働くが、お咎めはなし。それだけは、辞める使用人の噂と、実際に抗議にきた民の怒鳴り声で把握している。 「でも、このご時世、生き残るには甘いことは言ってられない。工業化はどんどん進み、そのおかげで我が国も発展した。旧時代のものにこだわればこだわるほど、世間との距離は遠ざかるんだ。あなたのご両親みたいにね」 コルネリアは頭に血が上る。 「あなたに何がわかるの!」 「結局、あなたの父上の事業は、あのままではうまくいかなかっただろうという見方が優勢です。早めに手を打って損を最小限に抑えたハーゲン殿の判断、俺は正しいと思います」 「それはわかっているわ。でも、でも……!」 貴族のあるべき姿とは、偉そうに振る舞うことではない。それが彼女の父の口癖だった。 コルネリアとモニカ姉妹は、流行のドレスの代わりに、貴族の娘としての美しい所作や矜持を身につけた。民に心を配る、理想的な領主像を学んだ。物の価値や貴族の義務も、父から教わった。 けれどもハーゲンは違う。家名を振りかざして金儲けに執心し、見かけにこだわってばかり。自分に媚びへつらう者だけを取り立て、逆らう人間には容赦しない。 「あんな人に家を託したまま離れたくない。ましてや、目的が不明な政略結婚なんて」 「目的がわかっていれば、いいのですか?」 問われ、コルネリアは一瞬の沈黙を挟んで首肯する。 ハーゲンを選んだのは過ちであったものの、姉が恋愛感情抜きの結婚をしたことには納得している。しかし、コルネリアは、自分も結婚の駒になるのであれば、せめて互いの利益についてはっきりさせておきたかった。 「あまり白黒つけることにこだわりすぎると、損しますよ」 「どうせならきちんと納得したい。でも、殿下は何も仰ってくださらない」 信頼されていない証拠だ。そう呟く彼女を横目に、男は頭を掻く。 「あの人は、とんでもなく恥ずかしがりやなだけじゃないですか?」 彼の発言に、コルネリアは目を丸くする。 クヌートは最低限の人間しか近くに寄せず、感情も表に出さない。不正をする者には厳しく、貴族にも軍人にも恐れられている。そんな彼に対して出てくる意見とは思えなかった。 「あの方が?」 「……冗談ですよ」 男は口の片端を挙げる。 「軍人たちの畏怖の対象であるのは事実です。反逆行為など以ての外、少しでも規律に背いただけでもひどく叱責を受けますから」 その話はコルネリアも知っている。だからこそ、ハーゲンの義妹である自分をあえて妃にする理由がわからなかった。 そのことを口にすると、男は苦笑する。 「実は、ハーゲン殿は義理の妹思いのいい人なのでは? 王室の一員になれるわけだ。貴族の女性としては一番憧れる地位じゃないですか。あなたみたいな、男性と縁薄そうな無鉄砲娘にはまたとないチャンスだ」 「む、無鉄砲?」 何を言う、とコルネリアはむっとする。 「こりゃ失礼。どうも、能天気で残念な頭の持ち主には正直になってしまうもので。まあ、お嬢さまが見たものがお嬢さまの世界の全てですからね。お気になさらず」 自らそれを拒んだとはいえ、まだコルネリアは王子の婚約者。それなのにこの態度。彼女は呆れた眼差しで彼を見る。 「どうせ私は残念な女よ。でも、それはお互いさまでしょう? 私に向かってそんなこと言うあなたも、小娘に拳銃を奪われるくらいだし」 男は居心地悪そうに顔を背ける。コルネリアは苦笑するが、すぐに顔に影を落とす。 「あいにく、義兄は利用できるものを利用するだけの人よ。お金をだまし取るなら、あるところから取るのではなく、取れるところから取る。相手が貧しくても容赦しない。妻の幸福もろくに考えない。ましてやその妹の幸せなど」 ずいぶんな言いようだ、と男は肩をすくめる。 「で、これからどうするんです?」 「一度、領地の近くまで戻って、義兄の周囲を探ってみるわ。何かわかるかもしれない」 「一人で?」 問われ、コルネリアはまだ所有していた拳銃を突きつける。 「あなたも来てくださる?」 男は無言で彼女の手を捻り上げ、瞬時に銃を奪い返す。 「痛っ」 「悪いけど、世間知らずの他力本願女に付き合ってられないのでね。このまま殿下のところまで持ち帰ります」 コルネリアは手首をさすりながら言い放つ。 「だったら、私、あなたに乱暴を働かれたと告発するわ。もう、これ以上ないくらいに脚色してね」 「な……!」 「だからお願い。これも何かの縁。協力してくださらない? あなただって殿下の側近になるまで多少の苦労はあったはず。その立場、手離したくはないわよね」 「……あんた、なかなか卑怯だな」 「小娘に不意打ち食らったくらいで尻もちついてしまうご自分をお怨みになってね」 男は諦めたように、ゆるく首を振った。 「そういえば、お名前をまだ聞いてないわね」 「ルッツ。そう呼んでくだされば結構です」 「では、ルッツさん。少しの付き合いだけれど、よろしくね」 改めてにっこりと笑うコルネリアに、男は肩をすくめる。 「なるべく短いお付き合いになるよう、努力いたしましょう」 「まずは……」 コルネリアは自分の着ているものを見下ろす。彼女自身はクヌートに会うために飾り立てているし、ルッツも近衛兵の軍服を着ているので、このままではとても目立つ。 彼女の言いたいことを察したルッツはコルネリアを物陰に潜ませ、どこかへ行ってしまう。そして、すぐに服を抱えて戻ってきた。 「これ、どうしたの?」 「まあ、俺は世渡り上手なんでね」 彼は乾いた笑いを浮かべると、コルネリアを隔離された空間に連れていき、着替えさせる。彼女が支度を整えて外に出ると、ルッツも既に中流階級程度の男に変装していた。 彼は近くにあった木箱に腰掛け、わざとらしく首を傾げる。 「それで、お嬢さま。まずこれをはっきりとさせておきましょう。あなたは、結局どうなれば気が済みますか?」 コルネリアは、質素な自分の靴を見つめながら口を開く。 「とにかく、一度婚約を白紙に戻したいわ。役目を理解しないまま駒にはなれない」 何も知らずに浮かれて過ごし、ある日突然お前などもう用無しだと暗殺される――彼女はそんな未来を思い描いた。 ルッツは馬鹿にした様子を隠さずに笑う。 「なるほど。で、実際に解消するには、どうすればよろしいでしょうかね?」 「私の素行不良が一番でしょうね。でも、これ以上の不祥事は私も不本意なの。乱暴云々も、あなたが非協力的な態度を取らない限りは、温存しておきたいわ」 「温存……聞かなかったことにします。すると、あなた以外に問題があればいいのですね」 「そのとおり。殿下は……無理かしら」 ルッツはきっぱりと否定する。 「無理です。あの方は特に弱みなどないですから。へたするとお家自体がつぶれますよ」 それに、と彼は低い声で付け加える。 「もしそれをやったら、俺はどんな醜聞をでっち上げられても、あんたをつぶす」 鬼気迫る表情と口調に、コルネリアは硬直する。その様子を見て、ルッツは我に返った。 「すみませんね、あの方には恩義があるので」 「恩義?」 「俺の話はどうでもいいでしょう。それより、殿下を抜きにするとなると、やはりハーゲン殿になるでしょうか」 コルネリアはポンと手を打つ。 「そうね、義兄の悪事をさらけ出せば、きっと結婚は強制的に取りやめになるわ。私も殿下も傷つかず」 「俺は正直お勧めしませんがね」 やや和らいだものの、まだ厳しい顔をするルッツ。 「あなたはアーベントロート家が大切なのでしょう? 入り婿とはいえ、当主の不祥事を表に出したあと、あなたがた姉妹はどうするのです? 名が地に落ちた家と心中ですか、お嬢さま。何か特技でもお持ちで?」 コルネリアは一瞬考えたのちに答える。 「う、歌なら」 「世間知らずのお嬢さまが歌で生計を立てる……三文芝居の脚本のほうがまだ現実的だ」 容赦ない言葉に、彼女は頬を膨らませる。本当は、そんなこと自分でもわかっていたから余計に、彼に指摘されると耳が痛い。 「そうしたとて、汚名にまみれた家から嫁げるところがあるとも思えないし」 「じゃ、じゃあ、義兄を脅すのはどうかしら。弱みを掴んで、暴露されたくなければと結婚を辞退するように持っていけば」 ルッツは鼻を鳴らす。 「まあ、あなたがおとなしく嫁ぐのでなければ、そんなところですかね。よし、決まりだ」 彼は膝を打ち、木箱から下りる。 「脅しは得意ということにしておきましょう。ハーゲン殿に釘を刺して、婚約話を穏便に引かせる。それで気が済むのですね」 「できれば、そのときに殿下とどんな取引があったのかも確認したいわ」 ルッツは眉間に皺を作って彼女を見つめる。 「何よ」 「殿下をあまり悪く言われたくないので」 彼は先ほど恩義があると言っていた。二人はどのような関係なのだろうか、とコルネリアが怪訝に思っていると、彼は警戒心の強い目で見返してきた。 「さっさと終わらせてさっさと解散しましょう。俺も早く都に帰りたい」 「頼んだわよ、忠犬さん」 彼は、犬に似た顔を大きく歪めた。 2015/02/28 2へ 戻る |