二人はどこにいるのだろうか。進みながら、コルネリアは必死に頭を働かせる。
 ハーゲンのことも気がかりだ。コルネリアが屋敷に運ばれていないと彼が知ればもっと騒ぎになってもいいはずだ。となると――
 コルネリアは立ち止まる。
 クヌートは屋敷への滞在を希望し、ハーゲンは支度が整っていないと答えた。彼はまだ、王子に対して取り繕う部分がある。
 もしも、屋敷に何かを隠しているのなら?
 彼女の足は、川へと向かった。
 夜になるとますます人気がなく、寂しい場所だ。それは彼女にとって幸いだった。
 扉を開けると、蝋燭の光がほのかにゆらめいていた。最初の丁字路を右に曲がり、次の十字路を左に行った突き当たり。そこに最初の隠し扉がある。
 煉瓦のひとつを外したところで、彼女はふと止まる。自分の身体の影で、手元だけが暗い。
 昼間はルッツの灯りに助けられた。しかし、なぜ今は、灯りがついているのだろう。
 そのとき、扉が勝手に開いた。その先には、銃を持ったハーゲンとモニカがいた。
「ど、どうして」
 背後から足音が聞こえる。ハーゲンはコルネリアを引き寄せると、扉を閉める。
「この通路は少々前から俺が使っていてね。倉庫番が奥にいたんだが、気づかなかったか?」
 彼は親指で、別の道の方角を示す。
 地下通路は外部からの侵入を考慮して複雑な造りになっており、迷路のように入り組んでいる。道筋を把握しているコルネリアはまっすぐモニカの部屋に向かった。他の道に誰かが潜んでいたなど、思いもしなかった。
 コルネリアの認識では、地下通路は何年も使われておらず、扉だって数年ぶりに開けたはずだった。しかし、空気が淀んでいたのは奥の方だけ。ルッツも、さほど埃っぽくないと言っていた。
 コルネリアは自分の不明を恥じる。
「まさか、ここと城とつながっていたとはね。よくも黙っていてくれたな」
 モニカは顔を伏せる。
「聞かれないことにはお答えできません」
「姉妹揃って馬鹿にしやがって」
 吐き捨てるように言うのはハーゲン。
「早くから解除方法を知っていたら、もっと有効に活用してやったものを」
「隠し通路に気づかず、ただの穴蔵だと思いこんでいたのはそちらでしょう」
 ハーゲンは苛立ってモニカに手を上げるが、彼女は表情を変えず、夫を見ることすらしない。
 閉じた扉を誰かが叩く音に、モニカは力なく笑む。
「殿下に知られてしまった以上、もう私たちは終わりですね……」
「は、別にこの国にいられなくなっても、俺は構いやしない」
「どういうことですか、お義兄さま?」
「没落したとはいえ、アーベントロートの名は意外と活用できたよ。それだけは感謝してやる。あとはお前たちに返すよ、好きにやれ」
 だが、と彼は銃を二人に向ける。
「その前に、もうひとつの出口に案内してもらおうか。そっちにも通じているなら、今は好都合だ。どうせ、やつらにはどちら側の扉も解除できまい」
「いえ、私の案内はここまでです」
 モニカは顔を背ける。
「もう、すべてお終いですもの」
 ハーゲンは無言で、銃口を向けて引き金に指をかける。
 コルネリアは姉の前に飛び出す。
「私が案内します! だから、お姉さまだけは……」
「いいだろう。ただし、モニカ、お前も一緒に来い。ここで置いていって手引きされたら適わない」
 ハーゲンは銃を手にしたまま、姉妹を先導させる。いくつもの分かれ道を進み、最後の扉にさしかかったところで、コルネリアは石の壁に耳を当てて静止する。
「どうした?」
 問われた彼女は、くるりと振り向き、義兄と対峙する。
「おとなしく投降する気はありませんか、お義兄さま?」
 ハーゲンは一笑に付す。
「何を今さら」
「こうなったらもう、心中いたしましょう。私はここから出ません。あなたも出しません」
 ハーゲンは無言で銃を向ける。
「ここで私たちを殺したら、一生あなたはこの通路に閉じこめられますよ。だって、あなたは開け方がわからないでしょ? 死に際に口頭で伝えられるものではありません。私たちだって、紙に書いて何度も暗唱しながら覚えたものですわ」
「そんなもの、二発、三発食らわせてやれば」
「私は教えませんよ。姉を殺されようと、何度撃たれようと!」
 コルネリアは声を最大限張り上げながら、後ろ手で扉を操作する。
「さあ、やれるものならやってみなさい!」
 そう叫ぶ妹の前に、モニカが進み出る。
「あなたを頼っていればいいと、そうやって目を瞑っていた私に責任があるわ、ハーゲン。撃つなら私から」
「お姉さま?」
 ハーゲンは舌打ちする。
「馬鹿二人のお守りなどごめんだ。無理にでもこじ開けるさ。どうせ古い仕掛けだ。扉もそこまで厚くないようだし」
「どうかしらね! こじ開けようとしたことはないから、全然わからないけれど!」
 コルネリアが背の陰で最後の手順に必要な扉の突起に触れた瞬間、ハーゲンの背後から手が伸びてきた。
「伏せろ、お嬢さんがた!」
 銃声が響きわたると同時に、コルネリアは勢い余って突起を押してしまう。
 扉は開き、銃を構えた兵たちの姿が現れる。
 肝心のハーゲンは、ルッツに取り押さえられていた。
 コルネリアは瞬きを繰り返す。
「どうして、そちらから?」
 コルネリアがわざと大声を出したのは、扉の先に誰かが待ちかまえている気配を感じたからだ。クヌートやルッツの手の者が回っているかもしれないという望みを賭け、わざと大声を出して様子を窺ったわけだが、彼がやってきたのは地下通路の奥。コルネリアたちが通ってきた道の方からだった。
 一度閉じた扉は再び手順を踏まないと開かないし、屋敷側もハーゲンのことだからしっかりと閉じながらやってきたはずだった。
「どうしてって、解除したからですよ」
「だって、あなた方法を知らないでしょ?」
 ルッツは目を丸くする。
「知っているに決まっていますって。だって、あんたが俺の目の前でやってみせたじゃないか」
 コルネリアもモニカも地に座したまま言葉を失う。
 一度見ただけで真似できるような、単純なものではない。コルネリアもモニカも何度も試してようやく身につけたのだから。
「彼は優秀だからね」
 軍人の後ろから現れたのはクヌート。
「あとは君の声を頼りに追ってきた」
「それにしても、本当すごい声だな、あんた」
 呆れた様子のルッツの横で、クヌートは苦笑する。
「そのおかげで追いつくことができた」
 どうやら、ルッツは屋敷の見張りを他の部下に任せ、橋の下の出入り口で待ちかまえていたようだ。
 ハーゲンがそこを倉庫代わりに利用していたのは、事前の調査でわかっていた。クヌート自らがこの地まで足を運び、期限を言い渡す。その間に、ハーゲンは必ず何らかの行動を起こすと踏んだのだ。
 クヌートは倉庫番が近くで自分たちの様子を窺っていることを承知で、昼間にコルネリアたちを出迎えた。それで地下通路の存在を強調して呟くことで、ハーゲン側に伝わるようにし、利用させる気でいた。後にルッツ経由で別の出口があることを知った彼は、そちらも部下を送った。
 そして自分は屋敷の前で見張っているという体裁にし、彼の行動を待った。実際は部下の一人に自分のふりをさせ、別の場所で指揮をとっていたのだが。
 連行されるハーゲンや押収される証拠品を尻目に、コルネリア姉妹はそう説明を受けた。
 部下に渡された資料を見つめ、王子は眉間を寄せる。
「見返りをずいぶん得ているな。それに、工場の従業員として、他国の工作員を紛れ込ませていた。先日都に来なかったのも、それに関わる談義があったようだ。その相手もすでに確保してあるが」
「お詫びの言葉もございません、殿下」
 立ちあがることもできず、モニカはその場に伏せるようにして声を絞り出す。
「夫の不始末、私の命をもって償いをいたします」
「いや、その必要はない。君たちからの告発があったという話にしてあるから」
 モニカは顔を上げて、首を傾げる。
「早かれ遅かれ、ハーゲンを捕えることにはなっていた。事前に、君たちが幽閉されて彼の事業に関与できなかったという証拠も押さえてある。陛下にも、すべての計画をお話しした上で動いている」
「陛下にも?」
 突然出た言葉に、姉妹は揃って目を丸くする。
「つまり、根回しはすべて済んでいるんだ。世間の目が冷たいかもしれないが、しばらくこらえてほしい。この地は信頼のおける人間に任せるが、アーベントロート家が残れるよう努力はする」
「身内には甘いと言われないようにしないと。俺のときのように」
 口を挟むルッツに、王子は微かに笑う。
「こういうことは得意だ。さて、女性がいつまでも座り込んでいてはいけない」
 その言葉を機に、モニカはルッツに支えられながら立ち上がる。コルネリアもそれに倣おうとしたが、突然足が痛んだ。
「捻ったのか?」
 銃声に驚いてしまい、扉の開錠とともに転倒したせいで足首が腫れてしまっていた。
 クヌートは彼女を抱き上げ、扉の先にあった適当な木箱に腰掛けさせる。そしてルッツに、手当の道具を言いつける。
 医者も連れてくると言い残して去っていく軍人の背中を見つめながら、コルネリアは笑いかける。
「お優しいのですね。あんなに暴言を吐いて、あなたを嫌って逃げ出した女にまで情けをかけるなんて」
「私とて、誰にでも優しいわけではないさ」
「え?」
 長い沈黙を経て、彼はコルネリアの目を見つめて口を開く。
「ずっと、君が好きだったんだ。君があの演奏のとき、とても嬉しそうな笑顔を見せただろう。それを見てから……ひそかに思いを寄せていた」
 照れを隠すように、クヌートは大きな手で己の顔を隠す。
「君の伸びやかな歌声も、感情がはっきりとしているところも、好ましく思っていたんだ」
 コルネリアは我が耳を疑った。
「ご冗談でしょう?」
「私は冗談を言えるほど器用ではない。ルッツとは違ってね」
「てっきり……嫌われていると、思っておりました。いつも睨まれている気がして」
「ただ単に、君を見ていただけだ。ついでに言うと、この顔は生まれつきだ。何も考えていなくても、不機嫌だの何だの勝手に言われて、損ばかりしている」
 クヌートは部下の動きに視線をやると、コルネリアに一言詫びを入れて、そちらに向かった。
 彼を見つめるコルネリアに、そっと囁く声があった。
「コルネリア、ごめんなさい」
 モニカは目を伏せながら妹に寄り添う。
「私は、どんな形であろうと家が続くことだけを考えていた。同時に、自分にはそんな能力がないなら、誰かを頼りにするしかないと。でも、それがあの人をつけ上がらせていたのよ。罪は、やはり私にもあるわ」
 言いながら、妹の肩に顔を埋める。その姿が、とても弱々しく見えた。
 彼女は彼女なりに、家を守ろうとしていた。それがわかるだけに、コルネリアはもう何も言えなかった。
「また、ユリードを幸せな土地にしましょう」
 そう告げると、モニカは顔を上げる。
「今度は私が自分の力で、努力するわ」
「私も」
 そう言いながら、姉妹は手を握りあった。


 ハーゲンが捕らえられてから数日経過した。クヌートは、アーベントロート家の屋敷に詰めてばかりだ。
 使用人も消えてしまったので、彼の世話はコルネリアが自ら行った。
 クヌートは、宣言したとおり、姉妹に責任がないように手筈を整えてしまった。コルネリアからしたら魔法のようだったが、具体的な手段についてははぐらかされてしまった。
 けれど、もう彼に対して疑いの念は持っていない。
 執務室の椅子に座り、出された飲み物に口をつけながら、クヌートは語る。
「すまないが、しばらくは二人とも都に移ってほしい。人は残し、民の世話は行うから」
「ありがとうございます。姉と話したんです。領民を傷つけた分、償いをしようって」
 クヌートの瞳が向けられる。以前は冷たさばかりが目立っていたが、今のコルネリアにはその中にわずかな温度を感じることができた。
「君たちは一生、この地にいるつもりか?」
「それが義務ではないかと」
「まだ正式に婚約は解消していないのだが」
 コルネリアははっとする。
「でも、解消するって」
「では、また改めて申し込もうか」
「……受け入れられません」
 クヌートは立ち上がり、彼女の正面に立つ。
「なぜ?」
「姉と一緒に責任を果たしたいからです。それに、誤解であなたに対してひどい言動を繰り返したと、私もさすがに自覚しております。そのうえ、あなたのお気持ちを知って、掌を返すような真似をしたら、私は自分を許せません。ただでさえ、今回は殿下に頼りきりになってしまったのですし。こんな私は、あなたにふさわしくありません」
 ふい、と彼女は横を向く。
「掌を返してもいいじゃないか。ユリードに関しては私も支援する。都にいながらできることをすればいい」
「返しません。そんな都合のいい人間になるのを、自分が許せないのです」
「意固地だな」
 それで、と彼は小首を傾げる。
「返すと、君はどうなるんだ?」
「は?」
「掌を返すということは、つまり?」
 コルネリアは頬が一気に熱くなるのを感じる。もじもじとしながら押し黙っていると、王子はそっと彼女の手をとる。
「君が私に罪悪感を持っているというなら、聞かせてほしいな」
「い、嫌です……!」
 離そうとするが、強く握られる。
「お人が変わったみたい……」
 彼女の呟きに、王子は目を細めた。
「いつもどおりだと、君には何も伝わらないようだ。わかりやすく好意を示さないと」
 その表情と言葉の響きが妙に真面目で、コルネリアはつい吹き出す。
「私は、鈍感のくせに思いこみは激しくて、興奮しやすい性質なので。きっと、身分以上にあなたと不釣り合いではないでしょうか」
 王子はまっすぐコルネリアを見つめる。
「構わない。喜怒哀楽がはっきりしている君を好きになったのだから。私は感情表現が苦手だ、君と合わさればちょうどよい」
 照れるあまり、コルネリアは何も言えなくなってしまう。
 クヌートは確かに、無表情で無口だ。自分とでなくても、彼がここまで誰かと長く会話している姿が想像できなかった。
 けれども、とコルネリアは彼を見上げる。
 きちんと向き合うと、仏頂面のなかにも些細な感情が見て取れる。
 もっと彼と向き合いたい、と思ってしまった。
 この都合の良さすらも、彼は受け入れてくれる。だから、つい甘えたくなってしまう。
 どうすれば、さんざん暴言を吐き、彼を拒絶しつづけた自分を許せるだろう。そう考えていると、クヌートに顔を覗きこまれる。
「不安は簡単に消せないだろうが、まずは私の側にいてくれないだろうか」
 何と返せばいいのだろう。頷くだけでいいのに、それができない。
「あ、あの、殿下……」
「お二方、一度中断していただいてもよろしいでしょうか」
 突然入ってきた第三者の声に、コルネリアは一瞬でクヌートから離れて部屋の隅に移動する。
 扉の前に立っていたルッツは、面倒くさそうな顔をしつつも姿勢を正した。
「殿下。大変恐縮ですが、都から……」
 何事もなかったかのように、クヌートは涼しげな顔で口を開く。
「ああ、すまない。今行く」
 すぐ戻るとコルネリアに告げ、彼は去ってしまう。追おうとしたルッツは足を止める。
「顔赤いですね」
「ルッツさん、どうすればいいかしら」
「は?」
「殿下がとてもとても優しい言葉をたくさんかけてくださるの」
 軍人は犬みたいな顔をくしゃりとさせる。
「そりゃあ、遠まわしで洒落た表現を解する頭がない相手には、あの方だってそうするでしょうね。……もしや、殿下のこと好きになりました?」
 コルネリアはとっさに唇を閉ざす。
 自分がどれほどクヌートに対して悪態をついたのか、彼が一番知っている。だからこそ、肯定したくはなかった。
「殿下、いい男だと思いません?」
「何とも言えません」
「はは、ほんの数日前のあんたなら『思わない』って断言しただろうにな」
 コルネリアは思わず拳が出るが、相手は軍人、赤子の相手をするかのようにいとも簡単に止められた。
「単純ですね、お嬢さま」
「ど、どうせ私は単純よ。今までの反動で、ちょっとときめいてしまっているのは……その、認めるわ」
 ときめき、と彼は呟きながら笑い声をあげる。
「まさか、あんたの口からそんな言葉が出てくるとはな! あのとき足だけじゃなくて頭もどうにかしたんじゃないか?」
「だ、だから言いたくなかったのよ! からかわないでっ!」
「ははは、単純すぎるだろ! ほんのちょっと優しくされただけでよろめくなんて。大丈夫か、あんた。詐欺に引っかかったりしないか?」
「もう、一応まだあなたの主の婚約者なのよ? その態度は何よ!」
「俺が敬意を払いたくなる人になってくださいね。王太子殿下の妃は本物の王女だ。勝負にはならないが、せめてその一割は」
「……努力するわ」
「おや、説得力が感じられないのはなぜかな」
 彼は自分の肩を揉む。
「まだあの陸橋事件から少ししか経っていないのか。ずいぶん昔に思えますが。本当、我が人生でも指折りの、最悪な日々でした」
 コルネリアは苦笑する。
「私にとっては良き日々よ。おかげですべてが解決した。付き合わせてしまったことだけは謝るわ」
 彼女は、旅のお供であった青年を見上げた。
「これが昔話なら、私はあなたと結婚してたでしょうね。一応、逃避行の相手だもの」
 ルッツは息だけで笑う。
「冗談じゃない。あんたみたいな女ごめんだよ、殿下に面倒見てもらえ」
「では、私の一番の親友になってくれる? あなたみたいな人がお友達なら、これからもきっと楽しいと思うの」
「俺は、殿下第一だからね。あんたはさっさと宮廷で世話焼きな婦人を見つけておけ」
 でも、と彼は目を細める。その表情は、どこか主に似ている。
「妙な縁ができたからな。夫婦喧嘩のときは、あんたに非がないときに限って、一度だけ味方してやってもいいぞ」
 コルネリアもにこりと笑う。
「では、それは温存しておくわ。一番大事なときに使う」
「俺に乱暴を働かれたっていうのも保存しっぱなしだろ? 腐る前に捨てておけよ」
「考えておきましょう」
 彼が思い切り表情を歪めたのを見て、コルネリアはにんまりとした。ルッツは頭を掻く。
「ああ、こりゃ、一生胃の痛い思いをしつづけそうだな」
 その後、彼女がクヌートと完全に心を通わせるようになるまで、彼の苦労は続くのであった。





2015/02/28

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