ヘンゼルとグレテル


 ああ、神様。いったいどうしたことでしょう。グレーテルが、グレました。
「ババア! こんなまずい飯食えっかよ!」
 小さな家にこだまする騒音。グレーテルは今日もご機嫌ななめ。お母さんが作ったご飯をさんざん食べたというのに、最後の一口の段階で床に叩きつけました。お母さんは、あんなに愛らしかった娘がどうしてこんな風になったのかまったくわからず、ただオロオロとするばかりでした。
「グレーテル! 母さんがせっかく作ってくれたご飯になんてことを!」
 たくましい木こりのお父さんが怒鳴っても、グレーテルはどこ吹く風。それどころか、鼻で笑います。
「オヤジ、あたしに口出すなら、そのむさくるしい風貌どうにかすれば? ピンクとか似合わなくてホントかわいそー。生きてて何が楽しいの?」
 ネチネチと、グレーテルはにやついて言いました。娘の言葉にショックを受け、お父さんは思いの外しょぼくれてしまいました。はたから見ていても気の毒なくらいの落ち込みに、つい、ヘンゼルは立ち上がりました。
「べ、別に、父さんはかっこいいんだからピンクが似合わなくてもいいだろ!」
「えー、兄貴、ファザコン? きもーい、まじきもーい」
 グレーテルは、心底おかしそうにけらけら笑いました。化粧はしていても可愛い顔は昔のままで、いったいどこで何がねじ曲がってこんな成長を遂げたのか、家族は見当もつきませんでした。 だいたい、昔はグレーテルの方がよっぽどファザコンというくらいお父さんっ子だったのです。それでも、過去をほじくり返したらグレーテルにどんな目にあわされるかわかったものではありません。彼女にとっては黒歴史のようなので、ヘンゼルがふれたものならボコボコにされてしまいます。
「なーんにも知らないっていいわねぇ」
 これ見よがしに溜め息をつき、グレーテルは床に落としたままの皿をけっ飛ばしました。いいコントロールです。ヘンゼルの額に突き刺さりました。
「だから、あんたはいつまでも穀つぶしなんだよ」
「そ、そんなこと言ったって、僕だっていろいろ頑張ってるんだよ!」
「へえ、身体貧弱で木こりになれなくて、頭悪くて商人になれなくて、手先不器用で職人になれないのに、まだ頑張るんだ」
 グレーテルはそうやって、家族全員の心に爪を立てるようなことを言い放ちます。ヘンゼルは心に会心の一撃をくらい、黙ってしまいました。
 さんざん暴れまわったグレーテルは、お父さんが何回も直したドアを今日も盛大に蹴り破り、ゲミューゼ村不良連合の集会へと出かけてしまいました。そそくさとドアを元の位置に立てかけたお母さんは、しょげかえっている男二人を呼びよせました。
「どうしてこんなことになったのかしら」
「反抗期じゃないの?」
 答えを口にするヘンゼルを、お母さんはキッとにらみました。
「そんな単純なものとは思えないわ! だって、グレーテルはあんなにかわいくて我が家のアイドルで、おうちのお手伝いだってヘンゼルよりもずっとやってくれたのに」
 お母さんは悲しみのあまり、シクシクと泣きだしてしまいました。
 たしかに、少し前までグレーテルはとても心やさしい、自慢の娘だったのです。それが、ある日突然、髪の色をピンクに染め、それ以後も、美しかったブロンドは青やら緑やら珍奇な色になってしまったのです。
 言葉づかいも、大事に育てられたお嬢さん風の上品なものだったのが、下品で乱暴な口調に変わってしまいました。趣味は刺繍やお菓子作り、お父さんの応援とお母さんのお手伝いだったのに、最近では教会の窓を割って盗んだ馬で走りだすことに精を出しています。
 けれども、グレーテルがこんな不良娘になってしまった原因はまったくわかりませんでした。本当に本当に、突然のことだったのです。お母さんとヘンゼルが市場に買い物に行って帰って来て目の当たりにしたのは、朝はラヴリーだったグレーテルが隣のハインリヒにヤキを入れているところでした。そこから、一家の地獄のような日々は続き、何も解決できずに今に至ります。
「もう限界よっ! あんな子、いなくなってしまえばいいのに!」
「母さん、実の娘になんてことを言うんだ」
 お父さんのたくましい腕がお母さんをなぐさめようとしますが、細い身体のどこにそんな力があるのか、お母さんははねのけました。グレーテルの妙な馬鹿力は、どうやらお母さん譲りのようです。
「あんなの、私たちの娘じゃないわ! お父さんは村で一番男らしくてかっこいい、自慢のお父さんって私と一緒に言っていたグレーテルは死んだ! 死んじゃったのよ!」
「そう言わずに。時間が経てば……きっと元のグレーテルに戻ってくれるさ」
 お父さんは歯切れ悪い様子で呟き、グレーテルが散らかした食器を片づけ始めました。以前はあんなに幸せいっぱいの家族だったのに、すっかり家庭崩壊です。
「ね、父さん。あの日、グレーテルに何があったのかな。朝は普通だったのに、夕方には大変身だったんだよ?」
「……と、父さんにそれがわかったら、苦労はないさ。父さんも、あの日は……そう、全国大会に向けてトレーニングをしに出かけていたから」
 ということは、一人で留守番をしていたグレーテルの身に何かあったはずなのです。悪い人間にそそのかされたのか、あるいは魔法使いのいたずらか。いっそうのこと、妖精がグレーテルに化けているといっても、もう家族は誰も驚きはしません。
 気持ちのよい快晴で、窓を開け放しているのに、重々しい空気はちっとも出て行ってくれません。一家が会話もなくそれぞれ好き勝手にやっていると、刺繍をしていたお母さんの手が止まり、布をはめた木枠を乱暴にテーブルに叩きつけました。
「決めたわ。こうなったら荒療治よ! 森の奥に、偏屈な魔法使いがいるわ。母さんのいとこの旦那さんの妹さんの義理のお母さんのはとこにあたる人なんだけどね、昔は熱血教師だったらしいのよ。その人に頼んで、グレーテルを更正してもらいましょう」
「そんな人、見たことも聞いたこともないよ」
「二十年くらい前、生徒にスカートめくりされて、フリルたくさんついた下着履いているのを全校生徒に知られてから出勤拒否の引きこもりらしいわ」
「ダメじゃん」
 ヘンゼルとしては、お父さんにもツッコミを入れてほしいところでしたが、お父さんは切なそうに溜め息をつきました。
「ああ、なんて不運な……。人に見られたくないから隠していただろうに、同情するよ。きっと、人の痛みがよくわかる人だろう」
 お父さんがぐじゅぐじゅ泣きます。ヘンゼルは頭が痛くなって、もう言葉を挟む気力もガシガシと削られていきました。
「よし、預かってもらおう!」
 ヘンゼルとしては、ただでさえわけのわからない存在になってしまったグレーテルを、さらに得体の知れない遠い親戚に預けたくはありませんでした。ええ、たとえ髪がレインボーでも、吸えないタバコの代わりにくわえているペッパー味キャンディーの棒を理不尽にぶつけられても、グレーテルは彼にとってたった一人の大事な妹なのです。もっと変にされたらたまったものではありません。
 しかし、数の力とは恐ろしいもの。親二人が賛成に回れば、ヘンゼルがどんなに反対を叫んでも可決です。しかも、グレーテルを森の魔法使いまで連れて行くのは、くじの結果、ヘンゼルになってしまいました。確実にグレーテル更生計画を実行するために、ヘンゼルも魔法使いのところで修業し、彼女を監視しなければならないのです。
「どうして僕まで……」
「あんただってニートの自宅警備員でしょ。どっこいどっこいじゃん」
「違うもん、家事手伝いだもん」
 翌日、お母さんにさっさと追い出された兄妹は、暗い森をトコトコテクテクとぼとぼしくしく歩いておりました。
 木こりの家の子ですから、二人とも森自体は怖くありません。けれども、ゲミューゼ村の森の奥は木々が生い茂りに茂り、オオカミやらトロルやらムラサキババアが出そうなくらいに不気味なのです。妙な鳥の鳴き声もこだまします。ヘンゼルはすっかり怯え、こんなところに住むどころか引きこもっているくらいだから魔法使いはまともでないことを察知しました。
「困ったな。迷っちゃったよ」
 お母さんは一本道と言いましたが、そもそも道がありません。無です。ある意味、僕らの歩いたところに道ができる状態です。
 魔法使いの家の場所さえ知っていればまっすぐ行けるでしょうが、肝心の場所は空気を読んでつかめと言われてしまいました。ヘンゼルは空気が読めないので、ぐるぐると森を行き来するばかりでした。
「役立たず。ゴミ。カス。クズ。お前の母ちゃんデベソ」
「グレーテル、それなら君の母さんもデベソだよ」
 知るかよ、とグレーテルはへたくそな舌打ちしました。不良になってからしばらく経ちますが、彼女はいまだにキレのある舌打ちができませんでした。そういうところがあると、まだ昔のグレーテルの面影を感じてしまい、ヘンゼルは切なさを感じました。
「ね、ニート。疲れたんだけど」
 余韻をぶち壊したのは、やっぱりグレーテル本人。切り株に腰かけ、八センチヒールのミュールに痛めつけられた足をマッサージし始めました。
「あのババア、だいたい何分くらいで着くって言った?」
「……スキップしながらで一時間くらい?」
 グレーテルはありったけの力をこめて地面を踏みつけました。細いヒールはみごとに地中にすべて入りました。ヘンゼルは恐れおののきました。
「ざけんな! 人を連れていくんならちゃんと調べろよ、このタコ! だから仕事見つからねえんだよ!」
「あ、う、あああ、ごめん、ごめんってばー」
 ヘンゼルのほうがグレーテルよりも背が高いのですが、グレーテルはヘンゼルの胸倉をつかんで持ち上げました。こういうとき、男とは弱いものなのです。
「こうなったら、とりあえず進むしかないよ。さいわい、ここまで僕が目印に落としてきたから」
 ヘンゼルはお母さんが持たせてくれたパンを少しずつちぎって、道の途中途中に落としてきていました。これで、迷ってもすぐに戻ってこられるという、ヘンゼル渾身のアイディアです。
「もう僕の分はないから、今度はグレーテルがパン落として……って、グレーテル!」
 ヘンゼルの願いはむなしく、グレーテルは切り株に座ったまま、自分のパンをむっしゃむしゃと横柄な態度で食べていました。
「それじゃ、目印落とせないじゃないか!」
「この節穴が。見なさいっての」
 グレーテルが顎の先で示す方向に目をやると、ヘンゼルがあちこちに落としたパンを、小鳥たちがつついている様子が見えました。当然、最初のほうに落としたパンはあとかたもありませんでした。
「ああ! なんてこと!」
「頭足りない、どうしようもない野郎ね。だいたい、なんでパンを目印にするの。せめて、枝とか小石にしない?」
 呆れたように溜め息をつく妹の言葉に、ヘンゼルは雷に打たれたかのような衝撃を受けました。
「そ、その手があったとは……っ!」
「十年以上生きていてそんなに頭働かないなら、生きてても無駄じゃない。死ねよ」
 ヘンゼルは打ちひしがれ、崩れ落ちました。グレーテルは、そんな兄を足蹴にし、さっさと周囲の様子を見てくるように言いつけました。妹に逆らえないのが兄の常です。
 ヘンゼルは、グレーテルの言うとおりに小石を拾い集め、それを落としながら進みました。道がわからなくなったら一度戻ってくることも、石が目印なら簡単でした。そうしてこうして歩きまわっているうちに、ようやく小屋の見える場所へたどり着きました。確信はありませんが、他に家などないのですから、どこからどう見てもお母さんのはとこの旦那さんのなんとかにあたる元熱血教師らしき人の家でした。
「やった……ついに、ついに! グレーテル! 僕やったよー!」
 喜び勇んで、妹に知らせるために元の場所に戻ろうとしたヘンゼルですが、振り向くと、既にグレーテルがそこにいました。あまりに突然の出現だったため、驚いて金星語を発してしまった兄を、グレーテルは汚い物を見るかのような目つきで一瞥し、そのまま小屋に向かいました。宙に浮いた喜びの気持ちをどうしていいのかわからず、ヘンゼルはとりあえず黒鳥の舞をしてみました。
 ズカズカと小屋に近づいて、グレーテルは立ちどまりました。さすがのグレーテルもびっくり、なんとお母さんの(以下略)にあたる元熱血教師らしき人の家は、お菓子の家だったのです! クッキーの壁、チョコレートの屋根、飴の窓ガラス、パイのドア。虫やらなんやらがたかりそうですが、お話のなかの出来事なのでそれはありません。
「す、すごい……、すごいよ、グレーテル! 美味しそうだね、って、ええええっ?」
 なんと、グレーテルはライターで手ごろな枝に火をつけて壁面を炙りはじめました。
「グレーテル! なんてことを!」
「ああ、生焼けだったから。気持ち悪いじゃん、そんなの食べられないし」
「ちょおおおっとおおおおお、うちに何するんだこのドアホめがああああ!」
 お菓子の家から飛び出してきたのは、なんとも小汚くて顔はやたらと迫力のあるおばさんでした。水を持って火にかけようとしましたが、ここで水をかけたらせっかくのお菓子が台無しです。黒こげか水びたしか、おばさんにとっては究極の二択でした。そうこうしている間に壁に焦げ目ができたので、グレーテルは自主的に消しました。
「あ、いい感じになったわ。ねえ、あんたさ、もっとクオリティどうにかしなさいよ。なんで生焼けなの?」
「あの、ちょうどよく焼けていたかと……」
 遠慮がちにヘンゼルが口を挟みましたが、ギロリとグレーテルに睨まれました。このままでは命を奪われると判断したヘンゼルは言わ猿のポーズをとりました。心底侮蔑した視線を兄に放り投げ、グレーテルは仁王立ちしながらおばさんに尋ねました。
「で、なんかうちのババアがさー、あんたんとこに行けっつったんだけど」
「ああ、聞いているよ。あんたがグレテルだね」
「グレーテルです、グレーテル。そして、僕が兄のヘンゼルです」
「あんたがニートのヘンゼルかい」
「ニートじゃありません、夢追い人です」
 グレーテルの鼻で笑う声がしましたが、なかったことにしました。
 おばさんはパパッと身なりを取りつくろい、あらためて二人に向き直しました。威圧感だけはやたらとあります。
「あたしの話は聞いているようだね。これでも昔は多くの不良を捻りつぶして更生させてきたものさ。あんたらの性根も叩き直してやるよ」
 殺気さえ感じるほどの迫力に、おもわずヘンゼルが生唾を飲み込んだ瞬間、いきなりおばさんの下半身にヒラヒラフリルが現れました。
「ぎゃああああああああ!」
 グレーテルがおばさんのスカートをめくっていました。おばさんは慌ててスカートを抑え、真っ赤になってしゃがみこんでしまいました。その様子はちょっと可愛いらしいです。
「な、なにするんだ、バカ娘!」
「まだ履いてるんだ、フリフリパンツ。引きこもりのきっかけなんじゃないの?」
 おばさんはすっかり涙目です。
「いいじゃないか、好きなんだよフリフリが! 私はこんな顔だろ、せめて目に見えない部分は可愛くてもいいじゃないか!」
「似合わないものなんてね、目に見えなくても履いてるだけで罪よ、罪、つ、み。可愛いものに対する冒涜だっつーの」
 グレーテルの声はいっそうドスがきいたものになりました。しかし、おばさんもめげません。
「あんたは他人の自由を許すべきだ! それと、傷つけるようなこと言うんじゃないよ!」
「知るか、ブサイクババア!」
 お互い胸倉を掴み合う女二人を、ヘンゼルはオロオロと見つめることしかできませんでした。


 こうして奇妙な合宿生活が始まりました。ヘンゼルの日常は自分の家にいたときよりもずっと最悪なものになりました。始終飛び交う女たちの罵声はすさまじく、彼は五十四回ほど女性不審になりました。
 グレーテルはというと、三十五回ほど逃亡をはかりましたが、意外とおばさんの方が上手で、必ず見つかって連れ戻されました。そのたびに説教を受けて、反省文を十枚書かされます。しかしながらそこはタダでは起きないグレーテル、「逃げてごめんなさい。」と一枚の紙に一文字ずつ書いて対抗しました。
 その間、ヘンゼルはクズのろま生きてる価値なしと罵られながら家事をしていました。厨房係となって三人分の食事作りを任されたのはいいですが、不器用でまったく上手くなりませんでした。
 失敗作は自己責任で全て平らげる決まりをグレーテルが作り、ヘンゼルはみるみる太っていきました。さすがに彼もまずいものばかり食べたくないので頑張り、おばさんも根気強く料理を教えたのですが、毎食失敗ばかりで食費がかさむので、とうとう外されました。
 洗濯と掃除だけやっと覚えて、少しふくらんだお腹を揺らしながらヘンゼルはすぐそばの川へ洗濯に行きました。その間、グレーテルが竈の番をすることになりました。
 グツグツと煮込まれている鍋をじっと見ながら退屈そうにしているグレーテルに、おばさんは尋ねました。
「もうそろそろ家が恋しいんじゃないかい?」
「まさか。あんな家、帰りたくもないし」
 グレーテルは相変わらずへたくそな舌打ちをします。やれやれ、といった様子で、おばさんは肩をすくめました。
「なんで帰りたくないんだよ。お父さんがいてお母さんがいて、まあ、あんなんだけど兄弟もいるじゃないか。家族がいるだけで幸せじゃないか?」
「あんな兄でも?」
 おばさんは明後日の方を見て口笛を吹きました。さすがの彼女も、ヘンゼルについては擁護が難しかったのです。
「ババアはどうでもいい。オヤジは最悪。消えてほしい。いなくなってほしい」
「元々はお父さんっ子だったって、ヘンゼルが言ってたよ。なんでそんなに嫌いになるんだい」
 グレーテルはイライラしながら鍋のなかの芋一つ一つを匙でつぶしました。
「あのオヤジはあたしを裏切った」
「はあ?」
 芋をつぶしおわったグレーテルは、今度は人参をつぶしはじめました。
「いつだってグレーテルの大好きな男らしいお父さんでいるって言ったのに」
「なんだ、浮気かい?」
「……言わない。とにかく、オヤジは死ねばいい」
 人参もつぶしおわってしまったので、グレーテルはぐるぐると鍋をかきまぜはじめました。おばさんはまた食材が無駄になることを気にしましたが、もしもまずかったらヘンゼルに食べさせればいいだろうということにしました。
「ねぇ、フリフリなんだけどさ」
 おばさんはギクッとしました。自分一人なら気にしませんが、よその子どもが二人もいるとなると扱いに気を使うので、現在はタンスの奥に封印中です。
「顔に似合わなくても身につけたい?」
「好きなものと似合うものは違うんだよ。あんたのその髪みたいにね」
 グレーテルは自分のレインボー色の髪にそっと触れました。
「別に、好きじゃないし」
「じゃあなんでそんな気持ち悪い色にしているんだよ」
 グレーテルは頬をふくらませました。
「……あえて言えば、あいつらが困る顔を見たいだけ。徹底的に恥をかかせてやりたい」
 グレーテルは砂糖を鍋にぶちこみまくりました。この時点で、ヘンゼルの二日分の食事になることが決まりました。
「そうやって遠まわしに気を引いてないで、直接言えばいいじゃないか」
「いや。あえて言わない。でさ、話戻すけど、好きだったら他人が不愉快になってもいいわけ?」
「だから私は見苦しくないように隠れたところに……まあ、好きなら好きでいいじゃないか。好きという思いは、他人から何を言ったかぐらいで変わるものじゃないよ」
 それ以上は口を開かずに黙ってしまったので、おばさんもグレーテルの様子に気を配りつつ、何も言わないでおきました。
「ただいまー」
 両手に洗濯物を抱えたヘンゼルが戻ってきました。彼としては奇跡なことに、途中で転んで洗濯やり直しになることなく帰ってくることができました。おばさんは、久しぶりに褒めるところが見つかったヘンゼルを全力でおだてました。ヘンゼルは嬉しくて、張り切って洗濯物を干そうと扉を開けました。
 その瞬間、どこからか飛んできたコウモリが部屋のなかに入ってきました。ヘンゼルはそのまま驚いて扉を閉めてしまい、出口がわからなくなって混乱したコウモリは部屋中をバタバタと飛び回りました。そして、竈の近くに置いてあった油の壺にぶつかり、こぼれた油は火にそそがれてしまいました。
 大きな火柱が上がって、三人はもう大パニックです。最も竈のそばにいたグレーテルは持ち前の反射神経でなんとか回避しました。これがヘンゼルだったら超大惨事でした。あっという間に火は燃え上がり、おばさん自慢のお菓子の家全体を包み込みました。
 ヘンゼルとおばさんは慌てて外へ出て、グレーテルが初日にした以上に黒こげになっていく家を呆然と見ているしかありませんでした。そして、グレーテルが一緒に出てきていないことに気づきました。
 グレーテルは最初の火柱こそかわしたものの、火の回りが早く、扉への道を炎で阻まれてしまいました。助けを呼ぼうにもどうしようもありません。まだ若いのにこのまま死んでしまうんだろうか、とグレーテルは火に囲まれながらガタガタ震えました。
 そのときです。
「グレーテル!」
 扉が蹴破られ、がっちりとした体が現れました。
「お父さん!」
 お父さんは炎をもろともせずに突っ込んできて、羽織っていた上着をグレーテルに着せると、彼女を抱えて家の外に出ました。外ではおばさんとヘンゼルが待っていて、グレーテルの顔を見た瞬間、二人そろって腰を抜かしました。
「よかった、よかったよー、グレーテル」
 ヘンゼルは涙で顔をグチャグチャにしていました。太って不細工になったので少し見苦しいのですが、グレーテルは罵ることもできず、すぐさま消火にはげむお父さんを見つめていました。一拍遅れて、自分が魔法使いであることをおばさんが思い出し、魔法で火を消し止めました。
 ほぼ全焼になったところで、火事はおさまりました。幸運なことに、周りの木々には多少の焦げ目をつくっただけで延焼はありませんでした。
「ちょうど近くの木を切りに来ていてよかったよ。怪我はないかい、グレーテル?」
 お父さんはズボンのポケットに手を突っ込みましたが、はっとした様子ですぐに手を出してしまいました。その姿はボロボロで、白いシャツのあちこちが焼けて穴が空いていました。
「あれ、父さん、それ……」
 普段は全然そんなことないのに、その時のヘンゼルは珍しく目ざとく発見しました。お父さんのシャツの穴から、似つかわしくないものが覗いていました。
「いや、これは」
「デブ、聞いて。父さんは――」
 グレーテルはお父さんのシャツを引きちぎりました。
「おばさんと一緒。フリフリ愛好家だったの」
 白い布の下には、お父さんの体に似つかわしくない、フリルたっぷりパステルピンクの下着が隠されていました。ピッチピチです。ヘンゼルどころかおばさんまで絶句しました。お父さんは真っ赤になって逃げようとしましたが、グレーテルのお母さん譲りの馬鹿力で抑えられてしまいました。
「あたしはある日、それを見てしまった。とてもショックだった。お父さんはたくましくて男らしくてかっこよくて、村の女の子たち皆がうらやましがるくらいだった。あたしにとって自慢だった。そのお父さんがこんな変な趣味を持っていたなんて――」
 グレーテルは綺麗な瞳からぽろぽろと涙を流しました。
「男らしいお父さんが好きだったから失望した。それだけじゃない、村の子たちに知られたらどんなことになるか。さんざん自慢の種だったお父さんが、今度はいじめの種になる。そうなったらと思うと全部いやになって……」
「それであんたはグレたのか」
 おばさんはうんうんと頷きました。ヘンゼルはいろいろ理解できず、混乱していました。
「おばさんの言った通り。好きという思いは、他人から何を言ったかぐらいで変わるものじゃない。お父さんがフリフリ好きなのも、あたしがお父さんのこと好きなのも、他人にどうにかできるものじゃなかったわ。それに、お父さんはこんなあたしを火事から助けてくれた。やっぱりお父さんはかっこよくて頼りがいのあるお父さんだわ」
 グレーテルはお父さんに抱きつきました。
「ごめんなさい、お父さん。お父さんのことがやっぱり大好き!」
「いいんだ、いいんだよ、グレーテル」
「さんざん迷惑かけたわ。フリフリが好きだってだけで失望したのよ。そんなんでも許してくれる?」
「もちろんだとも。可愛い我が娘よ」
 お父さんはポケットからフリフリのハンカチを取り出し、グレーテルの涙をやさしく拭いてあげました。グレーテルは感無量でお父さんの手とハンカチを握りしめました。ヘンゼルはまだ展開についていけずにいましたが、とりあえずグレーテルが元の可愛いグレーテルに戻ってくれそうなことに安堵しました。
 お菓子の家は焼けてしまいましたが、彼らは本当に大切なものを得ました。お菓子よりも宝石よりもずっと大切な宝物――家族の愛です。
 お父さんとグレーテルが久々に親しく会話していると、ドサッという音がしました。皆で一斉に振り向くと、そこには青ざめたお母さんがいました。足元には、おばさんの家への差し入れに持ってきたお菓子の籠が転がっていました。
「何がどうなっているの……?」
「母さん、グレーテルが元のいい子に戻ったよ!」
 お父さんはグレーテルと手をつないでお母さんに駆け寄ろうとした瞬間、お母さんは頭を抱えて絶叫しました。
「いやああああああ! お父さん、何よそれ!」
 お母さんが指差したのは、はだけたままのシャツから覗くお父さんのフリフリでした。
「いやいやいや! 私の好きなお父さんじゃない! 男らしいお父さんじゃない!」
 お母さんはこの世が終わりとも言うような顔になりました。
「もういや! こんな家族いや! 私、実家に帰る!」
 お母さんはお父さん以上の脚力を発揮して走り去ってしまいました。ヘンゼルが追いかけようにも、ただでさえ運動神経が悪いのに無駄に太ってしまったせいで動きが鈍くてあっという間に見失ってしまいました。お父さんとグレーテルは魂が抜けていました。
 彼らの家庭崩壊、第二クールに突入です。




2011/09/12
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