自由か死か (前)


 美佳子は僕なしには生きられなかった。
 生まれつき身体が弱かった、四歳下の妹。いつだって両親は妹を心配していた。念願の女の子だったから、生まれたときの両親の喜びが大きかったのを、僕はよく覚えている。
 美佳子は体調を崩してばっかりで、入院も何度かした。そして、とうとう危なくなったとき、妹の死を覚悟した父が、僕に妹の手を握るように言ったのだ。それは、父自身もさほど意味を考えていなかった言葉だった。失われていく小さな命の悲しさを、息子にも知ってもらいたい。多分、そんな思いだったのだろう。
 僕は、おもちゃみたいな妹の手を握った。その瞬間、ふっと力が抜けたような奇妙な感覚が僕を襲った。同時に、妹につながれていた機械の音と、医師や看護師の反応が変わった。僕の心臓は跳ね上がった。
「アンテイシハジメマシタ」
 看護師の言ったことを、僕はまだ理解できなかった。ただ、両親が笑いながら泣いているのを呆然と眺めていた。そのときは、奇跡が起きたのだと結論付けられた。
 けれども、その後も美佳子の体調は不安定だった。やはり、何度も三途の川にかかった危ない橋を渡った。
 不思議だったのは、いくら美佳子が危険な状態に陥っても、僕が彼女の手を握れば、容体が安定することだ。最初は偶然だと思っていた両親も、そんなことが何度も続くと怪しがった。
 ある日、両親の知り合いである某学問の専門家であるトシおじさんが、僕と美佳子を預かって丁寧に調べた。僕たち兄妹は数日間にわたり、様々な実験を受けた。そして、首を傾げながら複雑な笑顔でこう僕らに告げた。
「まだ僕だって信じられないけれどね、こう結論づけるしかないよ。美佳子ちゃんは、なんというか、生命力っていうのが生まれつき弱いんだね。すぐに力尽きちゃうというか。で、陽太くんはそんな美佳子ちゃんに唯一、その生命力を分けてあげることができるんだ」
 その言葉を、我が家が受け止めるのに三日ほどの時間を要した。そして、僕らの運命は決定された。僕は七つ、美佳子は三つだった。
 毎日、必ず最低一回、できれば二回か三回ほど僕は美佳子に力を与えなければならなかった。まあ、成長するにつれて頻度はまちまちになったのだけれども。方法は簡単だ。握手をすればいい。僕にはよくわからなかったけれど、美佳子はそうするだけでにっこりと元気に微笑んだ。
 美佳子が体調を崩すことは激減して、最初はとても嬉しかった。だって、兄妹だから。妹が元気になっていれば、笑顔と幸せに満ち溢れた家庭になる。最初は、そうだった。
 これがせめて双子の兄妹だったらまた状況は違ったかもしれないが、すぐに僕らの間には不都合が生まれた。小学校の修学旅行の初日、夜になって僕は担任から呼び出された。母から電話があったという。
 こんなところまで電話してきて、と恥ずかしがりながら受話器を耳に当てると、母の悲痛な声が届いた。
「美佳子が大変なの!」
 聞けば、妹は夕方に倒れ、病院に運ばれたという。
「お父さんがそっちに車で向かってる。本当は美佳子も一緒に連れていきたかったんだけど、お医者さんがダメだって言うの。お願い、戻ってきて美佳子に力をあげてちょうだい!」
 人生で初めての、友達と一緒の旅行だった。やりたいこともいっぱいあったし、戻りたくなんてなかった。しかし、妹の命と修学旅行など、どちらが優先かなんて決まり切ったことだった。担任の説得を虚ろに聞きながら、僕は父が運転する車を待った。
 父は疲れた様子で何度も僕と学校側に謝り、すぐに地元へ戻った。病院に着いたとき、妹はもう今にどうにかなってもおかしくない状態だった。目を開けることすらできない、土気色の顔。僕は、自分の小さな楽しみと妹を比べて一瞬迷ったことを恥じて、妹の手を握った。
 その瞬間、予想通り、妹は奇跡的に回復した。その瞬間、両親は喜んで手を取り合った。
「やっぱり、陽太じゃなきゃいけないのね」
 母の涙交じりの声が、耳に突き刺さった。その翌日、父とともに帰宅した僕は、旅行用のバッグから着替えを取りだした。本当ならくたくたになって帰って来て、現地の特産品のお菓子を食べながら、土産話に花を咲かせていたかもしれない。そう考えると、やはり悔しくて涙が出た。親には見せていけない、こっそりと流した涙だった。
 思えば、これで両親の僕への依存度はますます高まったのかもしれない。僕はその後も、単独で泊りがけの行事に行くことは許されなかった。たとえ、中学・高校の修学旅行や合宿であっても。


 中学は、選択制だった。僕はスポーツが強い、少し離れた場所にある学校に行きたかった。反対したのは母だった。母は頑として、それまでに通っていた小学校に近い中学校を勧めてきた。人数も少ないし、大した魅力もない学校だった。僕は拒んだが、母は許さなかった。
「美佳子になにかあったとき、すぐに駆け付けられなきゃ」
 その言葉は最大の切り札だった。僕に選択権はなく、しぶしぶ母の希望した学校へ行った。小学校で仲の良かった友人の大半とは、そこでお別れだった。
 中学に入っても、僕にはいくつか制限がつけられた。一番つらかったのは部活で、本当は野球部に入りたかったのに親から拒否された。遠征もあるし、練習は毎日夜遅くまでとなると、認められるはずはなかった。
 部活の日数や活動時間を全てチェックされ、僕が最終的に入ったのは、週に一回適当に活動して終わりという、帰宅部志望御用達の読書部だった。妹になにかあれば、たとえ授業中でも抜け出さなければならない三年間だった。
 塾には入ったものの、それも二か月で終了した。美佳子の調子が悪ければ、そちらを取らねばいけなかったからだ。だから、僕は勉強したいと思えば学校と自宅学習でどうにかするしかなかった。通信教育を許してもらえたのが、せめてもの救いだった。
 味気ない中学生活も後半に入り、高校受験を考える時期になった。幸い、僕は勉強が嫌いでも苦手でもなく、担任からはレベルの高い高校も狙えると太鼓判を押された。しかし、三者面談でそれを聞いた母は、顔を曇らせた。
「でも、下の子になにかあったときにすぐに駆け付けられるところでないと」
 ああ、と担任は気の毒そうな目で僕を見た。学校に僕らの事情はほとんど話していない。ただ、妹の身体が弱くていつどうなってしまうかわからない状態だということは、伝わっていたようだ。
 ありがたいことに、担任は生徒思いで熱心な教師だったから、でも、とすぐに反論した。
「正直、この近辺の学校ではもったいないですよ。県をまたいでもいいくらいです」
「とんでもない!」
 母は顔を真っ赤にして、机を強く叩いた。担任どころか、僕でさえ少しびっくりするくらいの勢いだった。
「この子は、近くの高校に進学させます! でないと、もしものとき、帰ってこられないですから!」
「奥田」
 先生は、真剣な目で僕を見た。
「お前は、どうなんだ。どんな進路を希望している」
 その前に僕は進路希望票を出していた。第一志望は、通える範囲のなかでは一番の進学校だった。その次に県内でレベルの高い学校名をいくつか書いていた。親には内緒だった。先生と僕だけが、その内容を知っていた。
「僕は……」
 母が僕をキッと睨んだ。
「あんただって、近いほうがいいわよね? そうよね?」
 直前とは一変して、母の声は穏やかだった。しかし、今まで以上のプレッシャーを感じた。
 僕は机の下で、汗ばんだ手を握った。中学でもいい友人もできたし、先生だって悪くない。けれど、本当にやりたかったことは全然できなかった三年間だった。それが全く嫌ではなかったと言えば、完全に嘘になった。本当はやりたいことがいっぱいあった。
「僕は、距離で学校を選びたくない」
 乾いた音が響いた。思わず、担任が立ち上がった。母が僕の頬を張り飛ばしたのだ。脳を揺さぶられるような衝撃と、ひりひりと皮がはがれるような痛み。しばらくして、痺れが膨張と収縮をくりかえして、心臓のような鼓動を感じた。
「あんたは美佳子が大事じゃないの! 妹なのよ? 妹の命よりも学校が大切なの! だったら進学なんてさせないから! お金なんて絶対出さないから!」
 騒ぎを聞きつけて、他の教師までが駆けつけるくらい、母は荒れた。その日は結論が出ないまま三者面談は終了となり、気まずい雰囲気で僕らは帰宅した。
 その晩、父が帰って来たとたん、三人で会議だった。こういうとき、母は妹に絶対参加させなかった。そのときまだ十歳になったばかりとはいえ、あいつの問題なのに本人が欠席なんて、卑怯だ。僕はそう思った。
 会議は母の独壇場だった。どれだけ僕が冷徹で傲慢で、どれだけ妹が可哀想かを延々としゃべり続けた。確かに、妹は可哀想だ。自分の力で生きることができないのだから。でも、僕には僕の人生がある。中学の三年間で芽生えたのは、ちょっとした自我だった。
「でも、陽太だって行きたいところがあるなら行かせてもいいんじゃないか」
 それまでじっと話を聞いていた父が、ぽつりと口を開いた。
「でもね、お父さん、美佳子は命がかかってるのよ」
「受ける前からぐだぐだ言ってもしかたないじゃないか。受かってから決めても、遅くはない。金を稼いでるのは、俺だ。受験料くらい、惜しくはない」
 母は崩れるように力なく座り込んで、何やらぶつぶつ言っていた。けれど、もう僕を見てはいなかった。
「陽太、学校は行きたいからって行けるわけじゃない。まず受かってから、話し合おう」
 弱々しく微笑む父に、僕は頷いた。そのとき、何としてでも母や妹に振り回される生活を終わりにしたかった。父に感謝し、僕は必死に勉強をした。ひたすら机に向かい、教科書や参考書と何時間も向き合った。母は少し冷たくなったけれど、もともと妹にかかりっきりの人だったから別に良かった。
 模試の結果は、回数を重ねるほど良くなっていった。試験の結果はいつだって、どの高校でも合格圏か安全圏だった。三者面談以来、僕を普通の家庭の子と思わなくなって同情した担任たちの励ましを受け、僕は受験に臨んだ。
 一教科目は、順調すぎるほどだった。答えは全部埋めたし、どれも正解に自信があった。この調子だと、とりあえず合格はできるんじゃないか。淡い期待に、顔がほころんだ。その時、数年ぶりに肩の力が抜けて笑うことができたんじゃないだろうか。自分への信頼がじんわりと身体に沁み込んだ。静かな幸せをかみしめながら、僕はノートを視線でなぞった。
 がらりと扉が開いた。復習に余念のない教室では大きな音だったから、みんなが一斉に入室者に注目した。少し居心地が悪そうに、中年男性が教室を見渡した。
「奥田陽太君はいますか」
 いきなりの名指しに、心臓がつぶれるかと思った。忘れかけてた記憶が、ほのかによみがえる。嫌だ、その先を聞きたくない。けれども、僕は返事をしてその人のもとに行かなければならなかった。
「僕です」
 おそらく学校職員であったろう男性は、ものすごく歯切れの悪い言い方をした。その様子で、僕は彼の次の言葉を簡単に予測してしまった。
「ご家族の容態が急変したそうです。今すぐ帰ってくるようにこちらに連絡が来ています」
 携帯電話の電源は切ったままだった。きっと、痺れを切らした母が学校へ連絡を寄こしたのだろう。その朝、僕が眩暈を感じるくらいにたっぷりと力は渡したはずなのに。
「でも、試験が」
 とっさに出た言葉に、男性は厳しい表情をした。
「申し訳ありませんが、当校では特別な措置は行っておりません。現時点での、一教科の点数で合否を判断させて頂きます」
 受験科目数は三教科。それじゃ、落とすと言っているようなものだった。
「せめて、あと一教科だけでも」
 僕は懇願したが、肩に優しく手を置かれた。
「君も頑張ってきたのだろうけれど、今ここで帰らなければ後悔するよ」
 子どもの教育に携わる仕事をしている者らしい言いかただった。この人に、いったい僕の何がわかったのだろう。
「高校は三年間しか通わない。けれど、家族は一生ものだよ」
 何も知らないくせに、と僕はぼんやり思った。その瞬間、僕の気持ちは冷めた。形だけの同意とお礼を口にして、荷物をまとめる。すまないねという的外れの謝罪を背に、僕は地元へと帰った。
 携帯電話の電源を入れると、即座に着信通知とメールで電話は悲鳴をあげた。そして、僕は母の番号を選択し、ボタンを押した。母は出なかった。きっと病院にいるから出られなかったのだろう。
 ふらふらと力なく、妹のために走ることもできずに歩いていると、母からの着信音が鳴った。出ると、噛みつかんばかりの勢いだった。
「どうして出なかったの!」
「試験中に電話に出ることなんてできないよ。美佳子は?」
「急に発作が起きて、危険なの。早く帰ってきなさい! 何時にこっちに着く?」
 電車の時刻表から割り出した到着予定時間を伝えると、母は余計にヒステリックになった。
「それじゃ間に合わないかもしれないじゃない! だから遠くの学校なんて嫌だってお母さんあれだけ言ったのに! 本当に、あんたは何も分かってない! いい? 今すぐタクシー使いなさい。飛ばしてもらって。病院でお金渡すから、ね、いい? 絶対よ!」
 好き勝手言うと、母は乱暴に電話を切った。母が焦れば焦るほど、僕の気持ちは静かになっていった。いつだってそうだった。どうしてこんなに妹に関して必死になれないのだろう。正直言って、妹よりも高校受験のほうが大切だった。自分は異常者なのかもしれない。僕は涙をこらえながら、手近なタクシーを捕まえて病院へと向かった。
 流れていく窓の景色を心無いまま眺め、時間の感覚も忘れてしまった。着いたのが早かったのか遅かったのかもわからない。母が病院の入口に待機していて、自分が料金を払うからお前は先に行け、と妹の病室を聞かされて走らされた。
 この頃になると、妹の体調の悪化をいつものことと受け止めるようになった僕は、どうして自分が走っているのかもわからなかった。ただ、妹を救わなければならないということが、家族のなかでの僕の役割であり義務であったことだけが僕を急かした。
 病室に入ると、疲れた顔の父と目が合った。妹を挟んで反対側には、彼女の主治医と担当の看護師。彼らは僕らの奇妙な関係を知りながら、現代医学のもと見て見ぬふりをしていた。それが正しいのかどうかは、僕らには関係のないことであった。
 妹の顔色が悪いのも、すっかり見慣れた風景となってしまった。ここで恐怖を感じない自分に心底嫌気がさしながら、僕は美佳子の手を取った。
 彼女の手に触れると、僕の掌がぽかぽかと温かくなる。そして、皮膚の表面にその温度が集中したかと思うと、急に無くなってしまう。その代わり、美佳子の手が温かくなるのだ。僕に残ったのは、運動をした直後のような脱力感や倦怠感であった。
 医師と看護師が、いまだに信じられないというような顔つきで僕たちを見た。二人の反応を見て、僕は美佳子が命拾いをしたことを知る。
 直後、母が現れた。
「ほらね、言ったでしょ。今日はまだ良かったけれど、またもしものときがあったら、あんなに遠くにいたら帰ってこられないもの。ね、だから、あの高校は諦めなさい。お母さん、陽太がいい学校に行かなくて構わないのよ。別にいい会社にだって入らなくても、全然怒らないから」
 優しさにあふれた声で、涙が出るくらいにありがたい言葉が僕の肩に降り注いだ。それなのに、まったく嬉しくなかった。自分に渦巻く感情を気取られないように、僕は小さく笑った。


 高校は、妹が行く予定の中学校からそれほど遠くない位置にあるところに決められた。美佳子の小学校と僕の中学校の近くに高校が二つあったが、それらよりはだいぶマシなレベルだったし、何よりも美佳子が僕の中学ではなく別の中学に行きたいと言ったことが大きかった。もちろん、そこは僕の高校と近い。美佳子の小学六年生の一年間さえ我慢すれば、二年間は安泰だということだった。
 母は高校側に、自分たちの家庭の事情をうまく説明し、緊急時には堂々と早退したり遅刻したりしてもよいという段取りをつけた。高校は中学とは違って部活に入らなくても許されることから、家からの距離と帰宅部になったこと以外、僕の学生生活は変わらなかった。毎日、学校と家と病院のどれかにいる生活だ。
 バイトも友人と遊ぶこともできなかったが、特に不自由は感じなかった。ここまで来ると交友関係もあまり発達しなかったから、仲のいいクラスメートが何人か出来たくらいで、あとはただひたすら地味に過ごした。
 高校生になっても妹のために待機する日々を送っていた僕だが、中学のときはさほど好きでもなかった英語の勉強がなぜか好きになった。テキストが面白かったのだと思う。他の生徒のように固い訳文にするのではなく、自分が読んでいて面白い訳を考えるのが楽しくなったのだ。
 英語教師たちは複雑な顔をしたけれども、結局は一番良い成績をくれた。僕は自分が訳した文章を写しに来る友人たちとげらげら笑いながら過ごした。
「奥田は才能があるんじゃないか? 通訳とか翻訳家とかになれば案外いけそうだよな」
 ダンディズムを気取った英語教師は、あるとき僕のノートを返しながらそう笑った。その発言に僕ははっとした。それまで将来どうしようかなんて気にも留めてなかった。後で考えたら、彼は軽い気持ちで言ったのかもしれない。でも僕は、その何気ない一言に気持ちが浮上した。
 友人や家族と将来の話なんて、ほとんどしたことがなかった。幼い時に、野球選手になるとかそんなことを言っていた様な気がするけれども、いつしか忘れてしまった。やっていて楽しいと思えることを職業にできたら、人生が明るくなりそうな気がしたんだ。
 それ以降、僕は洋書や洋画に触れるようになり、原文と辞書と睨めっこしながら自分なりの訳文を作るのにはまった。そして、英語以外の言語も勉強するようになった。一度趣味にしてしまうと、学ぶことは苦ではなかった。そして学習のコツをつかんでしまえば、どの教科も自分なりの楽しさを見つけられるようになった。
 語学から始まった僕の勉強は国語や歴史まで広がり、教科書や参考書だけでなく、文庫や専門書を読みあさる生活を送るようになった。妹に発作が起きなければ時間は十分にあったので、ただひたすら知識の吸収に励んだ。他に娯楽がほとんど与えられなかったと言えばそれまでだったが、僕は夢中で本を読むようになっていった。
 となると、卒業後の進路は大学が良かった。母は大学への進学については寛容だった。世間で言われているように、大学は自由な時間がたくさん持てる。すると、高校以上に美佳子についていられるという算用だった。行けたら、四年間は美佳子の安全が保てそうだということだ。
 ただし、母は自分の決めた大学や学科でないと譲らなかった。遠くの大学なんてとんでもなかったし、課題がたくさん出て忙しくなるような学生生活は母にとっては不満以外の何物でもなかった。
 この先どうするかなんて考えがまだ漠然としている時なら、おそらく僕はそれに従っていただろう。しかし、高校二年生になった僕は、いろいろと本を読みあさっているうちに西洋史学に興味が湧いてきていた。
 特にお気に入りの研究者がいて、その人の著作は手に入るだけ読んだ。まだ若いけれど東京の大学の准教授として教鞭を執っていることを、プロフィールで知った。インターネットで見つけた彼のホームページを見ると、授業の一環で学生同士が掲示板で盛んに議論を行っていた。
 このときまで漠然としていた大学生活のイメージが一気に固まった。そこはどうしようもなくきらめいて見えて、僕の憧れを東の地へと攫って行った。この人のもとで勉強したい。そう強く感じさせるほどに。
「そろそろ大学は決まったのか」
 二年生の夏、父が夕食の卓でそう切り出した。コップに冷えたビールを注いでいた母が、すかさず口を挟んだ。
「あら、まだいいんじゃない? 陽太は頭がいいから、どこの大学だって受かるわよ」
「でも、よその家の子はもうオープンキャンパスとか回っているみたいだぞ」
「それは、高望みしてる子でしょ? うちはそんな必要ないじゃない」
 どこの大学だって、という言葉は、全国的なものではなかった。あくまでも、僕らが住んでいる田舎から楽に通える範囲にある大学を指して、母は言ったのだ。暗に、僕の選択肢を奪う発言だった。
 僕の箸は止まった。家族の六つの瞳がこちらに向いた。どれも全てガラス玉のようで、寒気がした。平穏を望むならそこで口を噤むべきだった。しかし、僕はそうしなかった。
「ごめん、僕は東京の大学に行きたい」
 きょとんとした母が首を傾げた。僕が何を言ったのかわかっていなかったのだ。だから、もう一度言ってやった。
「行きたい大学があるんだ。東京に行かせてほしい」
「何言ってるの? どうして? どうやって?」
 母の引きつり笑いが壊れた人形のようで恐ろしかった。さりげなく、父は美佳子を彼女の部屋に連れていっていた。母のヒステリーを見せたくはなかったのだ。二人が階段を上った音は、母のテーブルを手のひらで叩く音にかき消された。
「あんたは何度言ったら、その自分勝手をやめてくれるの! お母さん、こんなに何度も言っているのにどうしてわかってくれないの! 美佳子を置いてどこに行くのよ? 言ってごらんなさい!」
 ああ、意外と母の罵りはリズミカルなのだと、ぼんやりと聞き流していた。そうでないと心がつぶれそうだった。言ったからにはきちんと向き合わなければならなかったのだが、母の剣幕は僕の全てを閉ざした。
 やがて父が下りてきた。母をなだめるのは父の役目だった。その晩はとにかく長くて、時計を見るのも忘れてしまった。ちょっとのことで荒れ狂う母の機嫌をどう損ねないようにするかが我が家の一番の使命だったが、その日の僕は無視した。それまでにもやりたいことはたくさんあり、それらはことごとく成し遂げられなかったのだが、このときばかりはどうしてもやりたかった。
 普通の親なら、息子が勉強をしたいという強い意志を持っていることを喜んでくれるはずなのだ。なのに、どうして我が家は僕の希望を否定し、摘み取ろうとするのだろう。
 話はとにかく平行線だった。僕も母も絶対譲らなかった。いくら平手打ちされようと、僕は頑として意志を変えなかった。
「あんた翻訳家になりたいって言ってたじゃない! 英語の勉強なら、そこじゃなくてもできるでしょう? 家でだってできるじゃない!」
「それはそうだけど、今やりたいのは違うんだ! 絶対に教えてほしい先生がいるし、他にもいろんな国の言葉とか習慣とか、文化だって習いたいんだよ! ここらへんよりもずっと内容が充実しているんだ。どうして行かせてくれないんだよ!」
「だから、美佳子を置いていくのって話をしているの! あんたがいなきゃ、誰があの子を助けるの!」
 ぶたれた頬がひりひりと痛んだが、それ以上に心が痛かった。実の母と理解し合えないのだ。本当に自分は彼女の腹で育てられて生まれてきたのか疑ってしまうほどだった。
 母が僕の胸倉をめちゃくちゃな手つきで掴んだところで、またいつかのように父が口を挟んだ。
「母さん、美佳子も大事だけれど、陽太だって大切な子どもだ。たまには陽太の希望だって叶えてやってもいいじゃないか」
「お父さん、でもね、美佳子は生命がかかっているのよ。大学行かなくたって死ぬわけじゃないじゃない。どっちが大切なのか、誰だってわかることよ」
「じゃあ、美佳子も東京に出すというのは?」
 思いがけない提案に、僕らは目を丸くさせた。父がもぎ取ろうとしてもけして僕の服を離さなかった母の手が、静かに下りた。
「やっぱり転校はやりたくないだろうから、陽太には一年浪人してもらって、美佳子が東京の高校に入学すると同時に、東京に引っ越すというのはどうだろう」
「お父さんと私は……?」
 母はうってかわって弱気な声を出した。まるで、飼い主に捨てられた仔猫のような顔をした。
「俺は仕事があるからな。東京で働けるように努力するが、最悪、ここに残る。まだローンだってあるし」
 とても父に、東京へ一緒に出てくれなど言えなかった。勤続二十年になる会社ではそれに見合うだけの仕事を任されてはいたけれども、簡単に他社へ転職できるような人ではなかった。勤務先は地方にありがちな地域密着型の会社で、東京に営業所も存在しなかった。努力するといったところで、結果は見えていた。
「陽太、すまない」
 父は僕の顔をまっすぐ見て、深く頭を下げた。
「一年、時間をくれ。その間に、良い方法を考えよう」
 母が妹にかかりっきりだった分、僕を家族として支えていたのは父だった。その父が、僕に頭を下げた。胸にこみあげてくるものがあったけれど、その感情の流れで自分の意思を変えるのだけは何とか踏みとどまった。ただ、霞のような声で、ありがとうと言うことしかできなかった。
 母はまだぶつぶつ言っていたが、どうせあの人は僕の学歴や将来設計に何の興味も持たない人だったから、浪人や就職に関する心配はまったくせず、次第に自分の都合のよい解釈をして納得していた。
 その年、僕は進路相談で大学受験はひとまずしないことを話した。当時の担任としては、せっかく成績上位の僕が現役合格の可能性を全て放棄することが不満だったらしい。けれども、妹の看病に一年間専念するという急増の言い訳を伝えて無理やり終わらせた。せめてあといくらか演技力があれば、教師たちを泣かせることができたかもしれない。
 級友たちが受験に追われているなか、高校三年生の僕は気楽なものだった。前向きに考えれば、他の人より一年も余計に勉強時間がもらえるのだ。そう思うと、少しだけ気持ちが楽になった。
「お前、今年は大学受験しないんだって?」
 二学期が始まったころだろうか。あの英語教師が不意に話しかけてきた。その頃、彼はもう僕の直接の担当じゃなかったので、久しぶりに会話した。
「はい、ちょうど一年間、妹のそばにいられる家族がいなくて。妹、ちょっと具合が悪いんです」
 一時期、教師たちは会うたびにそんなことを尋ねてきたものだから、すっかり言い訳が上手になってしまっていた。そんなわけで、その英語教師が中途半端な時期にその話題をすることが意外だった。
「合格圏だったのに、もったいないな。まあ、しょうがないか。お前ならいつどこに行ったってうまくやれるよ」
 そう言って僕の肩を叩きながら、彼は二冊の本を取り出した。
「これ、面白いよ。生徒に勧めようと思ったんだけど、ちょっと高校生向きじゃなくてね。お前ならいいだろう。暇つぶしにでもしてくれ」
「一応、身分は浪人生ですし、妹についてなきゃいけないし、暇なんてありませんよ」
「いーや。奥田は大人びている割にはやっぱりまだまだ青いからわからないだろうけど、人生は暇を作ってその時間でなにかをすることが大事なんだよ。息抜きしないと爆発するぞ」
 学生服の胸に、二冊分の圧迫があった。仕方なく受け取ると、英語教師はにっこりと微笑んだ。
「俺、お前のノートは個人的にこの何年のなかでいちばん好きだったわ。絶対、翻訳家とか向いているって」
「先生、僕は先生がそう言うから英語頑張ったんですよ。で、英語が楽しかったから、他の教科もなんだかんだ言って楽しめるようになりました」
 僕は軽く頭を下げた。それと同じくらい軽い調子で、英語教師は僕の頭をくしゃくしゃにした。
「おうおう、嬉しいね。もし将来ベストセラー出したら、サインくれ」
 でも、僕は西洋史学で頑張る予定です。そう告げる前に、彼は手を振って言ってしまった。受け取った本を見ると、一冊はある有名人が翻訳した世界名作集だった。その有名人は口調に特徴があり、それが訳文にも生かされていた。僕は思わず笑ってしまった。
もう一冊は、やはり名作についての本だったのだが、翻訳者によってどのような訳文になっているかの比較だった。思ったよりもずっと面白かった。別にそこまで恩師というわけではないが、その英語教師と出会えたのは僕にとって幸運のような気がした。
 そうしているうちに季節は巡り、僕が高校を卒業して制服を脱ぐ日がやってきた。それから一年、身分が不定の状態だったけれど、時々通う予備校や模試が楽しく、あっという間に時間は過ぎ去っていった。僕は志望校に、美佳子も東京の高校にそれぞれ無事に合格した。
 結局僕らは、兄弟二人で上京することになった。本当は母もついて行きたがったが、一家三人で住む部屋で適当な物件が見当たらなかったことや、地元を離れたくないという母の希望を考慮したものだ。美佳子の東京での保護者役をしっかりこなすという条件で、僕らは東へ上った。





2009/09/04
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