灯のない道行 (前) 森の中、風はないが、葉がこすれる音がしばらく続いていた。二人の少年が、整備されていない道を、草や背の低い木を掻き分けながら進む。 「うっはー。これ、道? 話に聞いていたのと全然違うじゃん」 「ちゃんとした街道じゃないんだから、こんなものじゃないの?」 口調は違うものの、お互い、慣れている整然とした道と比べようもない有様に辟易していた。元々は、国に定められた街道を馬で進んでいたが、現在は二人とも馬は手放している。 「どっかの誰かさんがお人よしじゃなければ、道と呼べるほうを使って行ったんだよ」 やや後方にいる少年は、前方にいる少年に呆れたように語気を強めて言った。前方にいる少年は、その言葉に反応して振り向く。 「だって、急いで首都に行かなきゃいけないって言われたら、譲るだろ!?」 「あのね、兄さん」 後方の少年は、歩みの速度を上げた。それにつられて前方の少年も足を速めた。 「僕たち、仕事なんだよ? 急いで首都に戻らなくてはいけないのも一緒。理由もろくに聞かずに二頭とも譲るなんて、兄さん以外の誰もしないよ」 後方の少年の言葉は、前方の少年の肩身を狭くした。弟の言葉は、いつだって正しいものだった。 二人は兄弟なのだが、あまり似ている所がない。髪や目の色は、弟は濃い鳶色だが、兄はそれよりも大分薄い色だった。兄は短髪で飾り気がないが、弟は髪の一部が肩までかかり、耳には銀の飾りがあった。そろいの外套は着ているものの、兄は荷物も少ないが、弟は大きな荷物を背負い抱えて歩いていた。 兄の名はジャン、弟はリュカといった。 「今月中に戻らないと、また給料減らされるよ。それに局長が言っていたじゃないか。『報告書だけ届いても意味がない、期限通りに戻らないのなら伝書鳥は取り上げる。そうすれば、報告するために早く帰ってくるだろう』って」 リュカが溜め息混じりに漏らした言葉に、彼の肩にいた小鳥が首を傾げた。 緑色の羽毛と愛嬌のある顔、高い知能を持っていて、この地方では伝書鳥として一般的に用いられている。 「ジョルジュが悲しむな。お前と唯一ずっと一緒の友達でいてくれるんだから、大事にしないと」 「ジョルジュじゃなくて、ジョルジーヌ」 名前を訂正しつつ、リュカはもうひとつ溜め息をつき、空を見上げた。日が傾いてきた。 「森の奥に、村がひとつある。目安としては、月が昇るまでにそこにつけばいいな」 「あー、うまいメシが欲しいなー。ベッドは二流でいいから」 「泊まらないよ。朝までに森を突っ切れば、予定に間に合うんだから」 「ええー?」 不満そうな兄の声を遮って、リュカは更に続ける。 「しょうがないだろ? 給料が減れば、生活できない。それに、この先の村の評判は良くない」 「メシが?」 能天気なジャンの問いかけに、リュカはため息をついて首を横に振った。 「村人が通常よりもかなり排他的なんだ。よそ者は早々に立ち去らせる。かと思えば、帰ってこなかった人もいる」 「そりゃまあ、なんと」 同時に二人は肩をすくめた。 「問いただしても知らぬ存ぜぬ。例の通り、追い返される。いつしか、近隣のものは気味悪がって近づかなくなった。まるで、墓場のような空気を持っているから」 リュカはまた溜め息をついて、辺りを見渡した。人が最近通った形跡はなく、荒れた道がそれを物語っていた。 「お前も、そこまで聞いておいて、よく来るな」 「近道だからね。仕事のためには手段は選んでられないだろう? 兄さんこそ、情報を集めようって気にはなれないの?」 弟の言葉に、ぎくりとなる。 「俺、人見知り激しいから……。慣れればいいんだけどさ」 ジャンは頷きながら、邪魔な茨を掃う。ふと、思い出して口に出す。 「そういえば、夕方は森に入るな、って言われたな。まあなんでも、この辺りの行方不明者の多くは夕方に森に入った人らしい。案外、夜行性の獣がいるんじゃないのか? だから、村人は早めによその人を帰す。排他的なんじゃない、心配なんだよ」 ジャンの言葉に、リュカは今度は溜め息をつかなかった。その代わり、今まで投げかけた中でもっとも呆れた視線を投げかけた。 「まったく。お人好し以前の問題だ。その性格、直したら?」 ジャンはふくれた。 「で、でもさ……」 「ともかく、いざとなったら人だろうが獣だろうが斬り捨てて行くよ」 容赦なく切り捨てた言葉にジャンはしょげ返り、ふと、さっきのリュカのように空を見上げた。 薄い橙色に染まった空に、大きな雲が端を染めて浮かんでいた。やけに早く流れる。それに重なるようにして、鳥の群れが旋回しているのが見えた。珍しい鳥だ。 「なあ、リュカ。あの鳥ってなんて言うんだろう」 リュカは面倒な様子で空を見上げて首をかしげた。リュカには歳に似合わぬほど豊富な知識があるが、そんな彼でも見たことも聞いたこともない鳥だった。たったそれだけのことが、急に暗雲が立ち込めるように不安を運んでくる。 「それより、あんな雲があるってことは、もう日の入りは近いよ。急いで」 ジャンの背を叩いて急かしているうちに、葉と葉の隙間から家屋の影が見えてきた。 門は長い間使われていないのか、丈の長い雑草が門番のように生えていた。門柱は、妙な方法で巻かれた縄以外に人が手を加えた形跡はない。 門の入口まで来ると、村の大部分が臨めた。この辺りでは伝統的な造りで、典型的な地方の小さな集落だった。 木の柵が周囲を囲み、中央にはやや高めの塔を持つ祭壇場。レンガが材料の家屋に、木で作られた家畜小屋。近代的ではないが、閉鎖的なわりには時代に取り残された印象はない。しかし、それでも暗い雰囲気はある。 墓場、と例えられたのに二人は納得した。村の様子は暗い面持ちだ。誰もが急いで雨戸を閉め、鍵を閉める。 厳かに祭壇場の鐘が鳴った。夕刻を知らせる鐘だとは思ったが、この雰囲気のせいでまるで死者への弔いのために葬式で鳴らされるものに聞こえた。 奇妙なのは村のあちこち、というよりも各家のそばに建てられた物体だ。 子供の背ほどの高さで、三本の木を組み立て縄で結び、中心には金属の輪がつるされていた。 ジャンは門に入ったところで呆然とそれらを見た。 リュカはしばらく門柱に寄りかかっていたが、そのうち何かを考えるように柵に沿って歩き始めた。そのうち戻ってきて、口を開いた。 「兄さん、行くよ。なんか、面倒なことに巻き込まれそうなきがする」 「リュカ?」 「誰だ?」 いきなりの声に、二人は一瞬止まって声の方を向く。一人の初老の男が、兄弟を睨むように立っていた。何か言いかけたジャンを、リュカが腕を伸ばして制する。 「すみません、すぐに立ち去ります。仕事で首都まで行くのに近道しただけですから」 リュカの探るような視線をそらさず、男は態度を和らげた。 「悪い事は言わない。泊まっていけ。夜にこの森を歩くなんて、危険すぎる」 「大丈夫です。僕たちだって、自分の身を守る術は身につけています」 早口で言い捨てると、リュカはジャンの腕を引っ張って村の反対側へ歩こうとした。すれ違ってそのまま数歩進むと、いきなり男は振り向いて言った 「あんたらを心配して言っているんだ。こんな日に森を歩いてはいけない。あいつらは、普通の人間がかなうものでない」 「あいつら? 獣ですか?」 苦笑交じりに尋ねると、男は頭を抱えた。 「獣の方がましだ。もう一度言う、悪い事は言わない、泊まっていけ」 リュカが更に言葉を返そうとすると、妙な音が聞こえた。ジャンは慌てて腹をおさえた。 「あ、は、腹減ったみたい……」 ごまかすように笑ったジャンに、男も目を細めて笑った。 「旨い飯もつける。こう見えても、料理には自信あるんだ」 「リュカ……。ま、まあ、こんなに心配してくれてんだから、きっと何かあるんだと思う」 見つめるジャンに、数十秒ほど黙ったリュカだが、頷いた。男とジャンはほっとしたように息を漏らし、男の家に入っていった。 「そんな警戒しなくてもいい。私は何もしない」 温めたミルクを二人に振舞いながら、男は扉の鍵を何重にも閉め、大きなレリーフを架けた。雨戸を開け、窓際で外とその様子を交互に見ながら、リュカは一口だけカップに口をつけた。何か混ぜられている気配はない。 ジャンは、男とテーブルを囲んで談笑していた。彼は、最初こそ口数は少な目だったが、話しているうちに男と打ち解け、大分饒舌になっていた。 「それでさ、つい馬を譲っちゃったんだよね。リュカに凄い怒られて。あ、リュカってそいつ、俺の弟。俺よりずっと頭良いんだ」 「あの、おじさん」 リュカの問いかけに、男は顔を上げ、視線をリュカの背後の窓に移した。 「なんだ? ……ああ、雨戸をしめてくれるか?」 「どうしてですか? ここらへんは、今の季節でも雨が降っていないのに、こんな時間に雨戸を閉める風習があるんですか?」 「頼む」 剣呑な様子に、リュカは雨戸を閉める。外に既に人はなく、先ほどの物体から吊るされた輪が、あちこちで揺れていた。他の家も雨戸を締め切っていて、中に人が生活する様子は見えなかった。 「で、リュカ? どうした? お前も腹減ったとか?」 リュカは首を横に振るだけで返事した。肩に乗せていたジョルジーヌは、小皿のミルクにくちばしをつけていた。 どこからか、オルガンを演奏する音が聞こえてきた。ジャンは、以前耳にした鎮魂歌を思い出した。祭壇場で演奏しているのだろうか。 「この村、寂しいですね。日が暮れたら、皆、ご飯食べてすぐ寝るんですか? この地方の民は、酒場や広場で毎日のように歌いながら夜を過ごすのが一般的だと思っていましたが」 「いや。今日は特別だ」 そう言いながら、男は台所から食事を持ってきた。 「へえ、やっぱり何か出るんですか? さっき言ってたましたよね、あいつらって」 男は、不思議そうな顔でリュカを見る。ジャンは、出された食事に頬を緩めながら、そんな男を見ていた。 「皆、そいつが怖いの? だから、よそ者は早めに帰すとか?」 「まあ、そういうことだ」 男はこめかみを押さえながら話す。ジャンがその手をとった。 「ねえ、おっさん! 俺たちにできることがあるなら、言って! メシのお礼だ!」 「兄さん!」 リュカは、兄の手を外す。精神的な間合いを少し感じさせながら、リュカは男に問いかけた。 「おじさん、この村、やけに魔除けの道具が多いですね。異常ですよ」 続けて男の視線が彼に留まった。 「詳しいのか」 嘲笑混じりにリュカは答えた。 「まあ、変な職業に就いているんで、詳しくなりました」 「リュカ、俺は全然詳しくならないんだが」 ジャンの言葉を無視して、リュカは続ける。 「門柱に、縄がかけられていました。結び方からして、北方に伝わるまじないと思われます」 男はリュカの言葉に何も反応しなかった。ジャンは必要以上に感心していたが。 「あなたがさっき扉にかけたレリーフ、あれも地域は違いますが、北方に伝わるもの。共に、魔物の侵入を防ぐといわれています」 リュカは、ジャンの隣りの椅子に座る。 「あと、周囲の柵。見た限りでは、全ての木に破魔の文句が刻まれていました。あれ見た時には、鳥肌が立ちましたよ」 「そりゃあ、なかなかできないな。執念感じる」 ジャンは頭を掻いた。広い敷地を囲む柵、その材料の木一枚一枚に刻む破魔の言葉。 「極めつけは、村のあちこちにあるあれでしょう。かつて、ある僧が鬼を退治した時に使ったものです。相手の力を弱めることができます」 カップの中身を一気に飲み干すと、リュカは改めて男性を見据えた。 「何が、出るんですか?」 確かに獣じゃないですよね、と笑いながら付け加える。その笑顔は、何か含みのあるものだった。 「本当に詳しいんだな……私よりもずっと詳しい。あれらが作り始められるようになったのは、私の曽祖父母の時代だ。いまじゃ、その由来、発祥を正確に話せるものはこの村にはいないだろう。昔から作られ続けているのだから」 「どこでもそうじゃん? 何気なくやっているものでも、元々どういう意味を持つのかは次第に忘れ去られていくから」 ジャンは、まだ残っているミルクを見つめた。意味もなく傾けたりして、音を楽しむ。 「でも、忘れ去られないものもある。それが、この村の恐怖の対象、とか?」 小首を傾げて問う表情は、あどけなさがあった。 「怨念、が怖いんだ。この村では、怨念が彷徨っている。だから、それを締め出そうとしている」 男が言い終わると、リュカは立ち上がった。 「そこまで聞ければ十分です。兄がご飯をいただいたら、出発します。僕たち、少なくとも僕は、化け物がらみなら関わりたくありません。できれば、今すぐにでもここを出たい」 「おい!」 ジャンも音を立てて立ち上がった。その拍子に、ミルクがすこしこぼれた。 「どうして、そうなるんだよ! もっと詳しく話しきこうとか思わないわけ? 関わりたくないって何だ! 大体、損得の問題じゃないだろ」 「きいたじゃないか」 「どこが! さわりにも満たないぞ! 魔物相手なら……!」 「兄さん」 リュカは声を落とした。さっきよりもずっと真剣な目だ。 「どうしてこの村を通ったのか、覚えてる? 首都に行くためだ。期日までに首都に行って、局長に正式に報告する。そこで、報酬と次の仕事をもらう。それが最低限のルールなんだよ。じゃなきゃ、僕らクビだよ?」 「でもさ、これが本来の俺たちの仕事だろ? ここまで聞いたら、俺、出発できないよ」 ジャンは、まっすぐにリュカの瞳を見つめた。 「……」 リュカは頭を抱えて座った。 「そうだね、兄さんの性格考えずに色々口が滑った僕が悪い」 二人は男のほうに向き直る。男はしばらく逡巡した後、ゆっくりと語り始めた。 「……お前たちの年頃なら、本や話でしか知らないと思うが、この辺でもかつて魔女狩りがあった」 ジャンとリュカ。二人の瞳の色が濃くなった。 「この村でも、同じようなことがあったんだよ。覚えのない罪で、若い娘を村人は役人の言うままに突き出してしまった。しばらくして、変わり果てた姿で娘たちは戻ってきた。この村で火刑に処せられるために」 「で、彼女たちは無実のまま死んだ。身体は朽ちても怨念だけは残った。そして、今でもこの村にいる」 リュカは姿勢を崩して、空になった皿に食器を置いた。高い音がかすかに響いた。 「夕方の空を見たか? やけに黒くて大きな鳥の群れが空を飛ぶ日、やつらは現れる。その鳥は、地獄からやってくるという。……一軒一軒、扉を叩くんだ。出てこい、というみたいにね。外に出たら、燃やされるという話だよ。何も知らなかったり好奇心で外に出たやつは、みんな、朝に真っ黒になって発見される」 「噂できいた。夕方以降にこっちにきて、戻ってこなかった人たちのこと」 ジャンは俯く。その横で、リュカが口を開こうとすると、オルガンの音が止まった。加えて、テーブルの上にいたジョルジーヌが、激しく鳴き出した。 コンコン、と音がした。三人は、一斉に扉を見た。ノックで、架けられたレリーフがかすかに揺れていた。 「来た、みたいですね。ねえ、おじさん」 リュカは、ニッと笑った。その顔に、先ほどの幼さは消えていた。 「兄さん、先に言っておくね。あんたが言い出したことだ。嫌な顔しないでよ」 「……ずいぶん、やる気になってんじゃん」 「もう、期限までに戻るのは諦めた。遅れた言い訳にしてやるんだ。どうせ面倒なことになるのなら、そっちのほうがマシだし」 リュカは外套を着て、その中から小瓶を取り出した。そして、ジャンのほうをみる。 ジャンも目を合わせて、リュカと共に扉に近づく。ジャンのほうも外套を着、左袖の中で何かゴソゴソやっている。 音はどんどん大きくなる。それにあわせて、窓や壁からも小さなノックの音が聞こえる。 二人は同時に頷いた。そして、一気に扉を開ける。 風が、扉から中へ入ってきたが、二人は構わず扉の外へと行動を起こした。リュカは小瓶の蓋を開けると同時に、その中身を振り撒いた。ジャンは間髪を入れずに、左腕を振り上げる。 奇妙な悲鳴がした。ノックの音と共にそれは小さくなり、消えた。 「リーダー格を驚かしましたから、しばらくは隠れていると思います。これから、村の敷地内全部を使って本格的に粛清します」 一瞬のうちの出来事、そしてリュカの言葉に、男は目を丸くする。口をわなわなとふるわせ、かろうじて言葉を口にした。 「あんたら……一体、何」 語尾をきかずに、リュカとジャンは外套の胸の部分をさした。文字と不可解な図柄が刺繍されていた。 「読めます? これ、『国立魔物調伏局』っていう名前の怪しい機関のものです」 この外套もそうだけどセンスのない名前ですね、と付け加えるリュカを横目に、ジャンは困ったように笑った。 「俺たちの職場。こういうの、専門分野ってことになるかな」 「村の人々には事後説明をするつもりですけど、もし騒音になるようだったら、おじさんの方から彼らに言って下さい」 男は顔をしかめた。それをみて、リュカは更に喋る。 「嫌ですか? でも、このままじゃ村の人々にも周辺の人々にも、彼女たちにも何の得はありません。恐怖は、大抵は何も生み出しません。そこから何かが生まれるなんて、ほんの一握りです。このまま待っていても、彼女たちは変わりません。あなたたちがどうにかしないと。どうせなら、早くにうちの方に言ってくれれば良かったのに」 「言っておくが、今までその、国立何とかとやらは聞いたことがない」 その言葉に、二人は苦笑いする。 「一応国立の機関なんですが、マイナーすぎるんですかね。じゃあ、今度宣伝しておいてください」 「大きなおせっかいかもしれないけど、受け取ってよ。悪いようにしないからさ」 「では、彼女達が戻る前に、色々しますから。ああ、家からは出ないほうがいいかも。一人が嫌なら、近所の家に居させてもらってください。ただし、ノックで驚かせないように」 言いたいことだけ喋って外へ出た兄弟に、男は今度こそ言葉が出なかった。 2006/03/22 後編へ 戻る |