気づけばいつも、もう一人の私について考えている。
 琴――私の双子の姉だ。
 もう詳しいことは覚えていないけれど、幼稚園くらいの頃、私たちはどこかの施設で暮らしていた。
 お父さんのことは知らない。お母さんのこともぼんやりとしか覚えていない。
 お母さんは研究者だった。私たちがそのまま大人になったような姿で、白衣がよく似合っていて、自分の研究の話をするときが一番楽しそうだった。
 その施設はお母さんの職場だった。他にもたくさん子供がいたから、遊び相手には困らなかったけれど、私は琴にくっついてばかりいた。
 私たちの見た目は、鏡に映したようにそっくりだった。ただし、中身はまったくちがったけれど。
 私と同じ時間、たった数年しか生きていないとは思えないほど、琴は大人びていた。お母さんも、いつもあの子にだけ意見を求めたり用事を頼んだりしていた。まるで自分は頼りにならない存在だって言われているようで、私はちょっと寂しかった。
 琴はあまり感情を表に出さない子だった。冷静で、いつも私のフォローに回ってばかりで。「何かあったときは笙を守りなさい」ってお母さんに言いつけられていたせいもあるかな。
 でも、琴はけっして無感情の人間ではないと、私はわかっていた。私が木登りとか危ないことをすると、ほんの少しだけ焦った。そして私が「大丈夫だよ」と笑うと、やっぱりほんの少しだけ安心したように微笑んだ。
 お母さんと琴の会話は難しくて、妙な専門用語ばかり出てきてよくわからなかった。それでも二人といるときがいちばん落ちついた。私たちは間違いなく家族だった――少なくとも私は今でもそう思っている。
「琴、ずっと一緒にいようね」
 私の言葉に、琴はいつも薄く笑って頷いてくれた。差し出した私の小指に絡んだ琴の指はとても細くて白かった。けれど、しっかりと私たちは指切りをした。
 別に不安があったわけではない。未来を予感していたわけではない。ただ、確認したかっただけだ。自分たちはいつまでもこうしているのだと。
 けれど、ある日、お母さんが亡くなった。そこで私たちの閉鎖的で平和な幸せは断ち切られた。
 正直言えば、そのあたりのことはほとんど記憶にない。気づけば私は、顔見知りの男の人と一緒に飛行機に乗っていた。それが、今の保護者の響祐さんだ。
 響祐さんが言うには、お母さんの死で施設にいられなくなった私を引き取ってくれた、とのことだ。
「琴は?」
 そこで琴の不在に気づいた。席に座っていたのは私と響佑さんの二人だけ。ずっと一緒にいたはずの片割れの姿はどこにもなかった。
 尋ねると、彼は困った顔をした。
「別の人に引き取られたんだ」
「嘘」
 私たちはずっと一緒だと信じていた。だって、双子なんだもん。離れるわけがないと思っていた。
「降りる」
 シートベルトを外そうとする私を、響祐さんは必死に宥めた。
「これからは僕が君の家族だ。家には、君とふたつ違いの男の子がいる。皆で暮らすんだ」
「いや、琴と一緒がいい」
 私は人目も憚らずに泣いた。一人ぼっちになってしまったと、琴が恋しいと言いながら。
 家に着いてからも、響祐さんをかなり困らせたと思う。響祐さんがすでに引き取っていた甥の勇吾くんとも、最初はなかなか打ち解けられなかった。
 時が経つにつれて、少しずつわだかまりはなくなっていった。あの頃に比べると、私たちはじゅうぶん家族らしくなったと思う。
 でも、どこかで生きているはずのあの子のことは、絶対に忘れなかった。


「う……次は頑張らなきゃ」
 玄関で私は成績表を取り出して、溜め息をついた。
 中学に入ってから、自信がどんどん減っていく。
 小学校の頃は、私って頭いいんだと思ってた。それなりにできたから。勉強して、憧れの学校に合格して、自分はすごいんだって信じてた。
 けれども、思ったよりも周りのレベルは高かった。中学では私は凡人の域。たいしたことなんてなかった。まだ一年生だというのにじりじりと下がっていく成績に、気分まで落ちこむ。
 琴だったらきっと――私は片割れを思い浮かべる。
 あの子は賢くて、普段はおとなしいくせに運動も私よりずっと得意だった。一卵性双生児で、元はひとつの人間だったはずなのに、どうしてこんなにちがうんだろうって、あの頃ずっと思ってた。見た目はほとんど一緒なのに。
「どうしてるかな……?」
「何が?」
 いきなりやってきた声に飛び上がる。響祐さんが廊下に立っていた。
「あ、た、ただいま」
「お帰り」
 響祐さんはサイエンスライターだ。詳しいことは教えてもらってないけど、お仕事は順調みたい。
 勇吾くんはともかく、血の繋がっていない私までお世話になってしまって、頭が上がらない。でも、ときどき思うんだ……琴も引き取ってくれたらよかったのにって。
 ずうずうしいことだってわかってる。でも、離ればなれになったときから、私の心にはぽっかり穴が開いたままだ。
 最近、鏡を見るたびに思う。だんだんお母さんに似てきたと。そして、現在の琴も同じ姿なのかと。
「笙?」
 響祐さんが私の視界の真ん中で、手をひらつかせる。私は慌てて笑顔を作った。
「あ、ごめん。実は、成績が下がっちゃって」
「そっか。でも、笙はやればできる子だから、次は大丈夫だよ」
 やればできる……そうかな? 一生懸命がんばっても、追いつけないんじゃないかって不安になる。だって、琴といるときがそうだったから。でも、琴は私のこと馬鹿にしなかったな。面倒見がいいから、きっと一緒の学校に通ってたら私に勉強教えてくれたりしただろうな。
 ああ、いけない。またあの子のこと考えてる。
 寂しい。
 琴、今すぐ来てよ。またあの頃みたいに遊ぼう。いつも心配そうに私のこと見てたじゃない。いつも近くで、私が怪我しないか見張ってたじゃない。ずっと一緒だって約束したじゃない。どうして、あなたはここにいないの?
「笙?」
 びくっとする。
「なんでもない、着替えてくるね」
 駄目だ、こんな思考、響祐さんに申し訳ない。
 私は制服を部屋着に替えてからリビングに行く。すると、勇吾くんと響祐さんがダイニングテーブルで何やら話し込んでいた。
「笙、ちょっと座って」
 響祐さんは私に封筒を見せてくる。
「仕事仲間のつながりで、今度パーティーに呼ばれているんだ。一緒に来ないか? 船でやるから楽しいと思うよ」
「え、仕事? 私一緒に行ってもいいの?」
 子供はお邪魔じゃない?
「大丈夫。勇吾と面識のある人もいるし、どうせなら笙もって言われてさ。外国の人もたくさん来るから、いい経験になるよ」
「でも、私、会話なんて自信ないよ」
 リスニングは、かろうじてできる。幼稚園児くらいの言葉なら喋れる。
 でも、響祐さんの仕事関係っていったら、専門用語が飛び交うじゃないか! 絶対ムリ! 理科は嫌いじゃないけど、しょせん中学レベルだし!
 響祐さんだって自分の専門分野に関しては「勉強しろ」なんて一度も私に言わないし。むしろ、資料整理もよほど忙しいときしか頼んでこない。そういうのは勇吾くんばっかり。
「僕が一緒だから大丈夫だよ」
 響祐さんは強気な笑みを浮かべた。こういうとき、たいてい私に選択の余地はなく、すでに決定事項だってことが多い。
 勇吾くんも行くなら話し相手に困らないし安心かとか思っていると、勇吾くんは嫌味ったらしく笑った。
「笙がどれくらい話せるかな」
 彼はこういう人だ。常に私をおもちゃにする。さては、会話ができなくてわたわたする私をからかう気だな?
「この間、発表の練習してたろ。もう一回やってみろよ、あの妙な発音」
「もう、勇吾くんひどい!」
 私はソファのクッションを投げた。響祐さんが苦笑しながら私と勇吾くんの間に入る。それがこの数年間、何度も何度も繰り返してきたやりとり。
 その後、ビジネス英会話の本を読むという無駄な抵抗をしながら、私は当日を迎えた。


 パーティードレスというものを着るのは初めて。響祐さんの知り合いの女の人が選んでくれた、ミントグリーンに白いレースがついたデザイン。長い袖がクラシカルで可愛い。お揃いのヘアアクセサリーとネックレスも買ってもらった。
 なんか、お嬢さまになった気分。不安も忘れて、嬉しくて家でくるくる回ってたら、最悪なことに勇吾くんに見られた。
「最初は嫌がってたくせに」
「でも、お洒落したら浮かれちゃうのは女の子の性だと思うの」
「へえ。男の子にはよくわからないね。ドレスだけで帳消しか」
 まったく、生意気な。彼のほうがふたつも上だけど。
 響祐さんの仕事が終わるのを待って、日が沈む少し前に、私たちは車で港に向かった。
 客船というものをよく知らない私は、そのスケールに息をのんだ。想像よりもずっと大きい。響祐さん曰く、プールもあるらしい。
「すっごいマヌケ面」
 勇吾くんが笑いをこらえながら言う。とっさに手で顔を隠した私に、響佑さんは目を細める。
「地中海からぐるっと回ってきたんだよ」
 日本に立ち寄ったあとは、太平洋を渡るらしい。今の時代でもそんな長旅をする船があるなんて、初めて知った。
 入口に着くと、案内役の人が丁寧に応対してくれた。通された先は大きな広間。たくさんの人で賑わっていて、バイオリンの音色が心地よく響いていた。
 会場内は私が想像していた以上に国際色豊かだった。というか、半分近くが外国人だ。
 私たちはまず主催者のところに向かった。紹介された相手は茶髪に青い目。やっぱり日本人じゃなかった。
 響祐さんは流暢に挨拶して、私や勇吾くんのことを紹介してくれた。そういえば、学生時代はあっちに留学していたんだっけ。
 おどおどと会釈をすると、主催者さんは一瞬「ん?」と首を傾げた。何かやっちゃったかなって固まっちゃったけど、響祐さんが話しかけたら彼はにっこり笑ったから、とりあえず私も曖昧に笑っておいた。
 聞いたところによると、この船が日本に立ち寄ったからと、地中海沿岸に拠点を置く企業の関係者などを集めたのが今回のパーティーらしい。響祐さんは、そのうちの何社かと顔をつなぐのが目的だそうな。
「扶桑さん」
 主催者さんとの話が終わって、さっそく声をかけてきたのは響祐さんの仕事仲間。うちにも来たことがある人だ。
 扶桑というのは、響祐さんのペンネーム。私はあまりお仕事に関わらないからどうも聞きなれない。なんだか、よその人の名前みたい。
 最初はみんなでただの雑談をしていたけど、突然外国のお客さんが加わってきた。どうやら二人の仕事関係者らしい。そこから本格的なお仕事の話に突入してしまって、私はついていけなくなってしまった。
 出てくる単語が英語なのかどうかもわからない。しまった、どうせなら理科系の参考書読んでくればよかった。というか、事情のわからない子供がいたら、逆に邪魔だったりする?
 勇吾くんはというと、別の見知らぬ大人たちと談笑していた。ああ、サッカー好きだもんね、そりゃ盛り上がるよね。裏切り者……。
 話しかけられそうな人は他にいない。会場はとても広くて、人も大勢いるのに、なんか寂しくなってしまう。
 ふと、お母さんと琴のことを思い出す。あの二人も、私が理解できない会話をよくしていた。
「ねえ、琴。あなたはどう思う?」
 お母さんは、何かあると、必ず琴に声をかけた。
「不思議ね。どうして笙は私の小さい頃とこんなに違うんだろう」
 そう呟くこともたまにあった。そのたびに、私はひそかに傷ついていた。でも、必ず琴がそっと近づいてきて、慰めてくれた。
「お母さんは、本来私より笙のほうが自分に近いと思ってるから、あんなこと言うの」
 二人の話を聞いていると、お母さんと琴だけが親子に思えた。琴としては、それが精いっぱいの慰めだったんだろう。でも、そうやって気にかけてくれることが嬉しかった。
 ここに、琴がいたらいいのに。
 何百回も思った言葉を飲みこんで、私はあたりを見渡した。こうなったら、デザートをお腹いっぱいに詰め込んで、この切なさを埋めてやろう。
「ちょっと食べてきていい?」
 響祐さんは快く送り出してくれた。私は遠慮なくたくさんケーキをお皿に乗せて、窓際のテーブルに陣取った。あ、取りすぎかな。乗り物酔いしやすいのに。でも、もうお皿に乗っけちゃったし、しょうがないか。
 日は落ちて、街の明かりが水面に反射している。高いビルから見下ろす景色とはまた違う綺麗さがあった。
 料理もデザートも本当に美味しい。地中海料理って私が思ってたよりもたくさん種類があって、新鮮だった。
 尻ごみしたけど、来てよかった。あとは他の出席者との会話ができたら完璧だったよね……。
 勇吾くんも食べたらいいのに。彼は、普段は澄ましているけど、本当は大の甘党だから。私には太るぞ太るぞとか言って、そんな自分は運動しているからって甘いものばくばく食べてるときなんて、腹がたってしょうがない。実際、私の体重が増えると「痩せなよ」とかストレートに言うし。デリカシーに欠けるんだよね。
 でも、今日くらいはそう言われても、許してあげようかな。このスイーツに免じて。ああ、こんなに美味しいなら気持ち悪くならないよね。
 シロップがたっぷりしみ込んだケーキにほくほくしている最中、いきなり肩をつつかれた。
「何をしている」
 私にしか聞こえないほど小さな声。怒っているようだ。
 振り向くと、ウェイターの格好をした人が立っていた。鼻が高くて、彫刻みたい。視線は部屋の奥に保ったままだけど、あきらかに私に注意を向けている。
 私、何かしちゃったのかな。思わず硬直してしまう。
「そういう演技は必要ないだろう」
「え?」
「持ち場はどうした」
 持ち場?
 私、もしかして、ウェイトレスと勘違いされている? でも、こんなに可愛い格好してるのに?
 戸惑って何も言えないでいると、苛立ったその人は私を見下ろす。
「もうすぐ時間だ。さっさ奴のところに戻れ」
「奴?」
 ウェイターさんは苦い表情になる。
「お前、何かあったのか? だいたい、いつ着替えたんだ」
 噛みあわない会話にお互い首を傾げた瞬間、勇吾くんが早歩きで近寄ってきた。
「すみません、妹が何か?」
 いつになく警戒している声。でも、私は飛び上がるようにして、その隣に回りこんだ。
「笙、どうしたの?」
「えっと」
「笙……?」
 私の名前を口にしながら、男の人は私をじっと見る。
「はい、敷島笙といいます」
 彼は、私を隅から隅まで観察し、表情を崩した。
「失礼いたしました。人違いでした」
「え?」
「申し訳ございません、無礼を心よりお詫びいたします」
 恥ずかしいのか、彼はそのままお詫びのジュースを持ってくると、もう一度丁寧に謝って、去ってしまう。
「誰?」
 私は首を振りながら勇吾くんを見上げる。
「知らない人。いきなり、話しかけてきて」
 そのとき、響祐さんがやってきた。
「どうした? 何かあった?」
 私が簡単に事情を伝えると、響祐さんはとても怖い顔をして、周囲を見渡した。初めて見る様子に、私はさっき以上に戸惑ってしまう。勇吾くんも不審げな表情で、叔父を見る。
「響祐、さん……?」
「笙、なるべく僕から離れないように」
 声もいつもよりずっと低い。もしかして、誘拐の心配とかしてる?
 響祐さんはぶつぶつと喋りながら、頭に手を当てる。
「連れてきたのは、僕の失敗だな。ごめん」
「どういうこと?」
 響祐さんが答えようとした瞬間、誰かが引っ張るようにして私の肩に腕を回した。
「何やってるんだ」
 お酒臭い。
 顔を近づけてきたのは、派手なスーツを着た男の人だ。
「おい、買ってやった服はどうしたんだよ。ていうか、何勝手に他の男と絡んでるの」
「え?」
 響祐さんがとっさに割り込み、絡んだ腕をほどいてくれる。
「娘の知り合いですか?」
「娘ぇ?」
 スーツの人は、私の胸や脚をじろじろと見る。さっきのウェイターの人みたいに。
 なに? 今日は変なことが続く。
「おい、こ――」
「ちょっと」
 私の視界の端から、彼の袖を引っ張る、白くて綺麗な手が伸びてきた。
「他の女にちょっかいかけないでよ」
 そこに、鏡が置かれているのかと思った。
 黒いドレス。デコルテも腕も思いきり出していて、裾もちょっと短い。ヒールは恐ろしく高い。
 それを身につけていたのは、「私」だった。
「琴が……二人?」
 目を見開いて、男の人は私たちを交互に見る。
「こ、と……?」
 私と同じ顔をした彼女は、私を見て目を丸くする。
「笙?」
 白いを通り越して、青くなる顔。
「どうして、ここに?」
 響祐さんが口を開こうとする前に、スーツの男の人が声を出す。
「琴? 誰?」
 琴は不快そうな様子で答える。
「妹。ずっと会ってなかったけど」
「じゃあ、笙の双子の姉って」
 勇吾くんがぽろっと呟くように言った瞬間、琴はすごい勢いで彼を睨んだ。空気が凍る。
「へえ……」
 そんな周囲の様子は気にしないと言わんばかりに、男の人の視線がもう一度私の身体をなぞる。なんか、気持ち悪い。
「双子? こっちの子も可愛いね」
 鳥肌が立って、動けなくなる。すると、琴が、彼の視界を独占するように私の正面に立った。
「もう私に飽きちゃった?」
 咎めるような、嫉妬するような声。ねっとりとするような言い方に、思わずぞくりとする。
 男の人は、私と琴を順番に見て、にっこりと笑った。
「まさか。ちょっとタイプが違うから、驚いただけ」
 琴は身を翻して、彼の腕に自分の腕を絡めて、微笑みながら首をもたげる。綺麗な笑顔で。
「そう、よかった」
 私は言葉がすぐに出てこなかった。勇吾くんも絶句しながら、私たちを見比べる。
 ずっと会いたいと思っていた片割れ。でも、何をしているの? どうしてそんな人と一緒にいるの? どうしてそんな風に笑ってるの?
 戸惑う私の横で、響祐さんが一歩動く。
「琴……」
 話しかけてきた彼を、琴は言葉もなく表情だけで拒絶する。その鋭い空気に、私は息をのむ。
 琴がこんな目をするところを、私は初めて見た。
 いつも無表情だったけど、誰かに憎しみのような感情を向けることなんてなかった。いつも私を苦笑しながら見守ってくれていた子と同じとは思えなかった。
 響祐さんから目を逸らさず、琴は口を開く。
「……ねえ、響祐。ちょっと笙とお話したいのだけど」
 有無を言わせない、強さがあった。
 琴はスーツの人にも承諾させて、私をテラスへと文字通り引っ張っていく。捕まれた手首が痛い。
「ちょ、琴?」
 琴は何も言わない。急いでいるように、早足で扉をくぐった。
 外に出た瞬間、潮の匂いが鼻にとびこんできた。パーティーの会場よりずっと静かで、波の音しか聞こえない。
 琴は手を離し、手すりに寄りかかる。夜の海を見つめて、ぼそっと呟くように言った。
「まさか、こんなところで会うなんてね」
 その淡々とした口調は、小さいときと何も変わらなかった。ほっとしたいのに、気になることばかりで落ちつかない。
「ねえ、琴。あの人は誰? どういう関係なの?」
 振り返る顔は、あの頃と同じ、感情が見えにくい表情。どうしてだろう、さっきと同じくらい、寒気がする。
「彼には近づかないで」
 冷たい声。
「え?」
「あなたに関心を向けさせたくない。だから、構わないで。私にも近寄らないこと」
 白い手が私の首にそっと触れる。
「じゃないと、命の保証ができないから」
 鋭い眼差し。
「いい? 彼には近づいちゃだめ」
 混乱する私のことなんてどうでもいいように、琴は踵を返して室内に戻ろうとする。私は慌ててしがみついた。
「待ってよ。やっとまた会えたのに、どうしてそんなに冷たいの?」
「今はそれどころじゃないから。彼のそばにいたいの」
「あんな人……!」
 私も琴も、まだ中学生だ。でも、あの人は私たちを「女」として見ている。あの目つきと、私の身体を眺めて笑った唇が、すごく嫌らしかった。そして、琴も……あの人の前だと「女」だった。寒気がするほどに。
「琴、何があったの? ちゃんと話して――」
 最初は胸、その次に背中に痛みが走って、一瞬息ができなくなる。唖然としてへたりこむ私を、琴は冷たく見下ろす。
 突き、飛ばした? 琴が、私を?
 その事実が受け入れられなくて、動けない。
 無意識に、涙が私の頬を伝った。この子が私に乱暴な振る舞いを見せたことなんて一回もなかった。いつも優しい子だった。
 なんで変わってしまったの? 何があったの?
 こんなの、琴じゃない。
 何年も会わなかったけれど、双子の姉のことはちゃんと覚えている。忘れたことなんてなかった。愛想はよくないけど、私のことを誰よりも思ってくれていた。いつも一緒にいてくれた。
 それとも、私がそう勘違いしていただけ?
 瞬きの数だけ、涙がこぼれた。





2014/12/01

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