4 翌朝、結局短時間で目覚めてしまった私は、こっそりホテルを抜け出した。船を訪れてみたけれど、入ることは許されなかった。 完全に封鎖された現場の手前でうろうろしていると、内側にいた人が急に走り寄ってきて、私の顔を見て驚いていた。 「もう戻ってきたのか?」 自分は妹だと説明すると、その人は、治療があるから琴はここにはいないと知らせてくれた。 そうだよね、胸を撃たれているのに病院に行かないわけがないよね。 でも、琴がどこに運ばれていったのか教えてもらえなかった。そこにいた人たちも知らないようだった。 ホテルをチェックアウトして私たちは家に戻ったけれど、響祐さんは何日経っても何も教えてくれない。それで私が突っかかりして、勇吾くんに窘められることも一度二度ではなかった。 ある日、響祐さんが仕事で外出して、私は勇吾くんと二人きり。私はリビングのソファに座り、勇吾くんはダイニングテーブル越しにテレビを見ていた。 会話はない。私が何も喋らないから。勇吾くんはこういうときそっとしてくれることが多い。私はテレビから聞こえる笑い声を聞き流しながら、廊下の奥を見やる。 いっそのこと、響祐さんの仕事部屋を漁ってしまおうか。勝手に立ち入らないのが我が家の暗黙の了解だけど、琴の情報が得られるなら……。 腰を浮かせた瞬間、突然勇吾くんが口を開いた。 「笙、コーヒー淹れるから、お前も飲めよ」 いらないと返すより先に、勇吾くんはキッチンに立って、準備を始めてしまう。私は迷った末、元の位置に戻った。 我が家で一番料理が上手なのは、勇吾くんだったりする。響祐さんも私もそれなりにできるけれども、彼ほど美味しくは作れない。 コーヒーだって、勇吾くんの淹れたものが一番美味しい。仲悪い時代から悔しくて何度も挑戦したみたけど、いまだに敵わない。 しばらくして、湯気の立ったカップがテーブルに置かれた。私は無言でそれを口にした。勇吾くんは別のソファに座る。 すまないなって思う。響祐さんに反発して、家の雰囲気を悪くして。 もう結構付き合いが長くなったからわかるけど、彼は今のように居心地の悪い環境を嫌う。私たちの仲がまともになってからは特にそうだ。 だから、いつもは人をからかってばかりだとしても、こうして今優しくされるとよけいに申し訳ない。 「ねえ、笙」 不意に話しかけられて、コーヒーをこぼしそうになる。 「な、なに?」 「あの日、結局なにがあったの?」 そうだ。彼はあの夜私が見てきたことをほとんど知らないのだ。 勇吾くんは私を送り出してから、響祐さんのところに戻り、時間を稼いでくれていた。そして、琴かケイさんに頼まれた人が私の怪我を知らせにきてくれて、彼はホテルへ、響祐さん一人が私を迎えにきた。勇吾くんにだけなにも知らせないのは、不公平な気がした。 私は、ぽつりぽつりとあの日のことを語る。勇吾くんは黙って聞いてくれた。 「じゃあ、彼女なりに笙のことを思っての態度だったんだ」 聞き終えるなり、彼はそう言った。 「それで、今は安否不明?」 「響祐さんが話したくないのか、行彦さんから連絡がないのか、わからないけど」 彼は一度コーヒーをすする。 「……俺、叔父さんから笙がここに来るまでどんな生活してたのか聞いたことない。俺も叔父さんからは聞かなかった」 それは、私も一緒だ。 ちょっと仲良くなってから、私たちはお互いの事情を打ち明けあった。勇吾くんがお父さんや継母との関係がよくなかったというのも、本人から聞いた。勇吾くんだって、琴という双子の姉がいたこと、お母さんの職場で暮らしていたことは、私が言うまで知らなかった。 響祐さんはなにも言わなかった。今までそれを疑問にも不満にも思ったことはない。でも、今となっては……。 「笙、叔父さんはいい人だと思う?」 「え?」 勇吾くんは、長い睫毛を見せるように伏し目がちになる。 「俺にとっては、いい人だよ。実の父親よりもずっと父親業やってくれてる。ちゃんと俺の様子に気を配ってくれて、俺の意志を尊重してくれている。俺にはそれで十分。だから、叔父さんが、本当はそうでないとしても、俺にとってはいい人なんだ」 ゆっくり語る勇吾くんの言葉に、胸が痛む。勇吾くんとちがって、私には血のつながりすらない。だけど、いつも響祐さんは、私の保護者だった。私って恩知らずだ。 「でも」 ちょっとの沈黙のあと、勇吾くんは続ける。 「俺がそう思ってるだけで、笙までそう思う必要はないんだよ」 「勇吾くん……」 「本音を言えば、誰も傷つかないほうがいい。つまりは、叔父さんと笙が言い争わずに、今までどおりにいてくれること。でも、笙が納得できないなら、俺のことは気にしなくていいから」 言いながら、残ってたコーヒーを飲み干す。 「まあ、もっと正直に言えば、笙より琴のほうが美人っぽいから、できればあっちと同居したい」 なにを! 私は反射的にクッションを投げてしまった。いつものように。 「あ、ごめん……!」 クッションをぶつけられると、いつも呆れたように顔をしかめる勇吾くん。でも、今は笑ってる。 「笙は、こうしてるほうが笙らしいな」 どうせ私は、なんて言葉、今は使わない。 彼なりの優しさが嬉しかった。だから、私は言いたかった。 「勇吾くん、私も響祐さんには感謝してるんだよ。だって、こんな私を……」 どうして琴を連れてきてくれなかったと責めたときも、勇吾くんとケンカしたときも、隠しきれない失敗したときも、あの人はいつも優しかった。 普通の家族とは言えなくても、私は二人と一緒に生活できて幸せだった。その思い出だけは否定したくなかった。 ――響祐。あの日、連れていってって頼んだの、覚えてる? ――あれが……一生で一度のお願いだった。 たとえ、あの言葉にどんな意味があっても。 玄関で音がする。響祐さんが帰ってきた。私はぱたぱたと廊下を走る。 「お、おかえりなさい」 最近険悪で、今日なんか挨拶もろくにしなかった。私の言葉に、響祐さんは目を細めた。 「……ただいま」 自分の部屋に上着と荷物を置いてから、響祐さんはリビングに現れた。その間に勇吾くんがもう一回コーヒーを淹れてくれた。 三人向かいあって、嫌な沈黙。私は話を切り出すことにした。 「あの、響祐さん。琴のことなんだけど……」 予想していたと言わんばかりに、響祐さんは溜め息をついた。 「気になるのをずっと放置していた俺が悪いな。話題によっては話せないこともあるけれど、答えられるものには答えるよ。なにから聞きたい?」 なにから……そう言われると困った。 勇吾くんをちらっと見ると、席を外したいのか立ち上がってしまう。その腕を、私はがっしりと掴んだ。 「お願い、いて」 勇吾くんは、響祐さんの味方でもあるし、私の味方でもある。だから、側にいてほしかった。 甥なせいか、勇吾くんの溜め息は響祐さんそっくり。やれやれといった表情で、再び席についてくれた。そのやりとりを見て、響祐さんは苦笑する。 「ここに来てから、八年? 二人とも、本当に仲よくなったね」 「琴がいたら、もっとスムーズだったかもね」 涼しげな顔で、勇吾くんはカップに口をつける。 私のほうが言葉に詰まってしまうけれど、今は勇気を出さなければ。 「響祐さん、あの晩……琴がテラスで言ったこと覚えてる? あれが一生で一度のお願いだったって」 響祐さんの笑顔に悲しみの色が出る。 怯んだら、なにも答えを手に入れられない。だから、ちゃんと聞かなきゃ。 「どういうことなの?」 響祐さんは、砂糖もミルクも入れてないカップの中身をしばらくじっと見つめていた。 時計の針の音は、何回響いただろう。答えを待ちながら持った私のカップはいつの間にか震えていた。 「もったいぶってもしかたないか。自分に都合のいい言い訳をすべて排除すれば、確かに琴は俺に言ったんだ、自分も笙と一緒に日本に連れていってほしいと。そして、俺はそれを聞き入れず、笙だけを連れて帰国した。自分を頼ってくれた琴を置いてね」 「叔父さん、自分に都合のいいことを言えばどうなの?」 勇吾くんの問いには答えない。 「あの、帰国って?」 私は小首を傾げる。 「笙、覚えてないか? 君は外国にいたんだ」 「へ?」 語学なんて、響祐さんどころか勇吾くんにすら圧倒的な差で負けている私が? 「笙より俺のほうが英語喋れるんだけど」 心のなかで呟いた私とはちがい、勇吾くんはちゃんと声に出してつっこんでくれた。 「英語を使っていたわけじゃないからね。でも、笙は聞きとることはできるだろう?」 申し訳程度ですが。 「事情はともかく、俺はまだ幼い彼女を置き去りにしたんだ。それについては非難されてもしかたない」 飛行機のなかで、琴に会いたいと私は泣いた。琴も同じだったのだろうか。 「琴は、どういう経緯で行彦さんと?」 響祐さんは首を横に振る。 「それについては、俺もよくわからない。琴の現在の職業や状況も、あの日知ったんだ」 その言葉に嘘はないと思う。行彦さんとのやりとりを見るかぎり。 「そもそも、どうして私たちはあそこを出ることになったの?」 「……君たちの母さんが死んだからだ」 それは知ってる。 お母さん。私と琴をそのまま大人にしたような人。いつも研究について喋っていて、そのときはちょっと無邪気に見えた人。私より、琴を大切に思っていたであろう人。 「お母さんはね、笙」 響佑さんの静かな声に、心拍数が上がる。 「殺されたんだ」 思いもよらぬ事実に、私も勇吾くんも反応できなかった。 殺された? 死んだというのは聞かされた。死因は響祐さんが嫌がったから尋ねなかった。でも、事故か病気としか思っていなかった。 「なぜ」 「すべての答えは、君たちのお母さん、彩歌さんの研究にあるんだよ」 けれど、と響祐さんは頭を振る。 「君のお母さんと約束したんだ。それについて、俺の口から君に話すことはしないと。だから、俺は君に語れない」 勇吾くんはそっと呟く。 「叔父さんは、好きだったの? 笙たちの母親のこと」 その質問に、響祐さんはほのかに笑った。 「……そうではないと思っていた。あの頃、俺には他に恋人がいたし、彼女については研究も人柄も興味深いと思ってた程度。向こうで同じような分野に取りくんでいる日本人は少なかったから、同族意識はあった。俺よりもずっと優秀だったけれど」 言いながら目を細める。 「そうだね、関わりが深くて、あの人の……娘を引き取って、約束を守って。今思えば、彼女に特別な感情を持っていたのかもしれない。あの人の研究や内面のすべてを肯定できなくても」 お母さんは、何を研究していたのかな。いろいろ語っていた覚えはあるのに、具体的な内容は全然思い出せない。記憶を探っても、お母さんの言葉は音楽のように響くだけだ。 ふと思いだすのは、白衣を着た行彦さんの姿だった。 「ねえ、それって行彦さんの研究とも関係……」 私の質問を遮るように、響祐さんの携帯が鳴る。私は手でどうぞと促した。響祐さんは無表情で画面を確認して、目をみはる。 「行彦だ」 私が思いきり身を乗り出した瞬間、カップが倒れた。中身はすくないとはいえ、コーヒーがテーブルにマーブル模様を作ってしまう。 勇吾くんがすかさず布巾を取ってきて、さっと片づける。こんなときでも、私ってば……。 恐る恐る響祐さんに視線を送ると、彼は携帯をテーブルの上に置いた。 「行彦から許可がおりた。琴に会いにいけるよ」 「本当?」 助かったということ? また会えるの? 「ただし、学校を数日ほど休まなければならないけど」 「へ?」 「笙、パスポートはまだ期限切れてないよね?」 二年前、皆で海外旅行したときに作ったから、まだ大丈夫なはず。 「どこに行くつもり?」 勇吾くんは眉根を寄せる。 響祐さんが言った地名は、馴染みがないものだった。最初は国の名前だと思わないくらいに。 「え、もうそんなところに?」 まだ半月も経ってないのに。長距離移動なんてして、あの子の身体は大丈夫だったのだろうか。 「笙たちの故郷に近いな」 懐かしそうに言う響祐さん。 「笙、ごめん。俺がすべての事実をここで言うよりも、向こうで明かされるほうが君にとってもいいと思うんだ。一緒に来ないか」 答えは決まってる。 「もちろん、行く」 今の私にとっては、なによりも大事なことだ。どうか琴と会わせてほしかった。 真実はまた遠ざかる。でも、そっちに行くことでもっと近づけるなら、我慢する。 響祐さんは勇吾くんのほうを向く。勇吾くんは視線を落とした。 「俺は、いい。部活あるし。ここで待ってる」 だから、とすがるような目で私たちを見る。 「絶対帰ってきて。二人は、絶対。そのためにここで待つから」 もう寂しくないから。そう言って笑ってみせる勇吾くんに、どう返せばいいのかわからなかった。 そんな私の前に、勇吾くんは真っ黒なコーヒーを寄越す。 「ついでに、お子ちゃま舌卒業してこいよ」 そういうところがやっぱり彼らしかった。 日本を出て、乗り換えして、何時間も耐えて。私たちは小さな空港に辿りついた。 天気は曇り。灰色の雲は日本と雰囲気がちがう。でも、どこか懐かしい色をしていた。 響祐さんは手を挙げる。そこにいたのは、意外な人だった。 「ケイさん!」 あのときのウェイター姿とはちがい、ラフな雰囲気の黒づくめだった。サングラスをしているから、外すまで誰だかわからなかった。 「君は行彦のところに所属を?」 響祐さんの質問に、あからさまに顔をしかめる。 「ちがいます。たまたま用事があるから、ついでにあんたらを乗せてこいって言われただけで」 そう言い、彼は私を見る。 「あの、なにか?」 「いや、見かけだけは本当にそっくりだな。でも、あんたは普通の人間なんだろ」 「……はい、私は普通です」 私の関係者はちょっと特別かもしれないけど。 ケイさんは、なにやら不思議な反応をしたけど、すぐに車に乗るよう私たちに指示する。 ウェイターさんやってたときとは大違いで、かなりぞんざいな態度だ。琴と話してたときもそうだし、こっちが素なんだろうな。 「ここからどれくらいかかるんですか?」 「三時間くらいだな」 「三時間!」 そんなに長く乗るなんて。 「あの、私、乗り物酔いしちゃうタチで」 飛行機もちょっと危うかった。二年前の旅行なんか、行きでこれでもかってくらい揺れたから、降りたあともしばらくふらついていた。初日なんか、勇吾くんが海で泳ぐのを恨めしく思いながら、浜辺のパラソルの下でジュース飲んだだけで終わったし。 ケイさんは怪訝な顔で私を見た。 「乗り物酔いなんてするんだな」 なんとなく、琴と比べられている気がした。 「琴はしないんですか?」 「見たことない。ついでに、迷子になったところも」 あ、だからあのとき苦笑したのかな。 「双子なのに、顔以外はまったくちがうんです」 「双子ね。ま、あいつは特別だからな」 ケイさんはエンジンをかけた。 車は、ひたすら平野を走る。畑がずっと続いていて、地平線が見える。我が家周辺では見ないような光景に、私はつい疲れも忘れてはしゃいでしまう。 「ひろーい!」 「なんか、その顔でそんな態度とられると調子が狂うな」 たぶん、琴はこういう反応絶対しないんだろうな。 道中、ケイさんの話になった。一応日系人ではあるけれど、特に父方の血はごちゃ混ぜなんだとか。 元は傭兵で、そのときの経験をかわれて、今は銃撃戦が行われるような案件を扱う部署にいる。事件が終わればあとは人任せですむからいいんだって。琴はまた特殊な条件で彼と同じところに所属していて、一緒に仕事をすることも多いのだとか。 おそらく、ケイさんは琴が苦手だと思う。言葉の端々からそれが窺える。 響祐さんはあまり喋らなかった。ケイさんが行彦さんとの関係を尋ねたとき、ぽつりと学生時代からの顔見知りだと答えただけだった。 対照的に、ケイさんは意外と饒舌だった。愛想が悪いのは生まれつき、と言いながらも、私の質問にはちゃんと答えてくれる。でも、琴があれからどうなったのかは言葉を濁されてしまった。 代わりに、話題を戻す。 「肉体労働は大変だけど楽だ」 矛盾していないか? 「琴も、肉体労働?」 「まあな」 「女の子なのに」 ケイさんは鼻で笑う。 「言わなかったか? あいつは武装した集団を一人で相手にできるやつだ。鉄だろうが骨だろうが平気で折るし、その気になれば俺の数倍の力で何でも握りつぶすぞ」 「え?」 私は言葉を失う。 「あれはあんたとちがって普通の女の子じゃない。普通の体質じゃないんだ。鍛えてどうにかなるもんじゃない」 「でも」 私の握力は片手二十キロもない。 琴と私は双子だ。琴にそんなことができるなら、私だってもうちょっと……。 ふと、響祐さんが苦い顔になる。けれども、ケイさんは構わず言葉を重ねる。 「それに、あいつは、たとえ相手が銃を撃ってこようと、平気で突っ込んでいく。だから、ああいう事件ではたいてい先頭に置かれる」 確かに、あの日、撃たれても琴はそのまま相手に向かっていった。でも、最初に私と一緒に襲撃を受けたときはちがった。 「それがあんたがいたからだろう。でなければ、相手も気絶なんかじゃ済まなかっただろうな」 「琴は……死ぬのが怖くないんでしょうか」 何気なく出た言葉。ケイさんはしばらく運転に集中したあと、ぽつりと漏らした。 「死ぬのが怖くないというより、死んだら終わりだって考えなくてもいい。それがあいつの強みなんだろうな」 いつのまにか、車は木々のなかだ。 道らしき道はあるけれど、どことなくもの悲しい。童話に出てくる、魔女の住む森に似ている。 ふと、目の前に門が現れる。その向こうには、白くて無機質な印象の建物があった。 やっぱり懐かしい。そんな感じがした。 車から下りたケイさんは、門のところにある機械にカードを通した。小さな音とともに、自動で門が開く。 庭とも言い難い枯れ葉だらけの空間に車は停まる。扉を開けて降りるとき、全身が凝り固まっていたことに気づく。ほぐさなきゃ、と私は大きく伸びをする。すると、建物の扉が開いて誰かが出てくるのが見えた。びっくりした私はよろけた。 「やあ、いらっしゃい」 行彦さんだった。 あのときと同じ、くたびれた白衣を羽織って、気だるそうに歩いてくる。 「連れてきたんだな」 彼の目が私に向く。 「ああ。琴はどうだ?」 響祐さんの言葉に反応するように、私は行彦さんの服を掴む。 「琴は、琴はもう大丈夫ですか? 助かったんですよね?」 彼は眉間に浅い皺を作って、舌打ちする。 「説明は全部俺か。まったく、響祐、お前のそういうところが嫌いだよ」 「口で説明するよりも、実際に目にしたほうがいいと思ったんだよ。彩歌さんとの約束もあったし」 行彦さんは私たちに背を向け、建物へと入っていく。 「ついてきなさい。そいつの言うとおり、見ればわかるから」 建物のなかは、外と同様に白かった。廊下に何人かいても音がほとんどしなくて、人気を感じられなかったあの船内よりもずっと不気味に思えた。 でも、この感じ、なにかに似ている。 ふと、白衣姿の女性とすれ違って、私は思いだした。 そうだ、小さい頃、お母さんや琴と一緒にいた施設に似ているんだ。じゃあ、ここも研究所なのかな? 行彦さんは、ある扉の前で止まった。 「ケイと響祐はここで待っていてくれ。笙、君だけ来なさい」 私は振り返る。響祐さんは硬い表情だ。 「僕も」 「お前は立ち入り禁止」 行彦さんは私の手を掴んで、足を進めた。 2014/12/01 3へ 5へ 戻る |