ヤンデレラ


 昔々、あるところに、シンデレラという名前の女の子がおりました。彼女の実のお母さんは彼女が生まれてすぐに亡くなり、お父さんもすでに天国へ行ってしまいました。残されたのはシンデレラと、お父さんの再婚相手である継母、その娘である継姉の三人です。
「シンデレラ! ここが汚れているわよ、さっさと掃除なさい!」
 元々はシンデレラの家だというのに、お父さんが死んで以来、継母と継姉は後から来た分際で大層いばっていました。本当は使用人を雇う余裕だってあるけれど、わざわざシンデレラへの嫌がらせのために、すべての家事を彼女に押しつけるのです。
「はい喜んで、お姉さま!」
 可哀想なシンデレラ、みじめで辛い目に遭って――というわけではありませんでした。
「ふふ、お姉さまったら……今日も素敵」
 シンデレラは、継母はわりとどうでもよかったのですが、とにかく継姉を猛烈に慕っていました。家事なんてまったくできない彼女が自分を頼ってくるのがとても嬉しかったのです。
「私がいなきゃ何もできないんだから。本当に困った方ね」
 お父さんが再婚した日からというもの、継姉はシンデレラの憧れの人でした。
 豊かでドリルのような巻き毛、この世のすべてをナメているようなツンとした唇、自分より格下と判断した者に蔑んだ視線を向ける気高い目、他人をゴミ扱いするちょっとわがままな性格……そのすべてがシンデレラを虜にしました。
 シンデレラ自身も本来は絵に描いたような美少女でしたが、自分とは正反対のタイプである美人の継姉に心をわしづかみにされてしまったのです。
 継母はやっぱりどうでもいい存在ではありますが、継姉には何を言われても許せました。むしろ、もっともっと自分のことを見てほしい、構ってほしいと思う気持ちが日に日に強くなりました。これはある意味、恋なのかもしれません。
 だからシンデレラは今日も継姉の身の回りの世話すべてを張り切って行います。
「お姉さま、今日はいかがなさいますか? 御髪は結いあげますか?」
 継姉の身支度がシンデレラの一番の楽しみでした。どんな髪型にしようか、どんなドレスを身につけさせるか、お化粧はどうするか、アクセサリーは何を合わせようか。いかに継姉を綺麗に飾るかを考えただけで、一日幸せな気分になれるのです。
「今日は上げる気分じゃないわ。それくらいわかりなさいよグズ。それに、こんな日にそのドレスはありえない、この間仕立てた青いのを持ってきなさい。まったく、センスないわね」
 シンデレラが丁寧に淹れた紅茶をすすりながら、継姉は冷たく言い放ちます。毎日のことですが、いつもシンデレラはいつも新鮮な気持ちでそれを受け止めていました。だって、継姉のわがままは、この国の花々をすべて集めても敵わないほど彼女にとって愛らしいものなのですから。
 シンデレラはむしろ、継姉にもっともっとわがままを言ってほしくて、彼女の気分ではないとわかりきっているドレスをわざと最初に出したりしているくらいなのです。
 今度はきっと気に入ってもらえると確信しているドレスを取ってきたシンデレラが継姉のもとに戻ると、継姉は今朝お屋敷に届いたお手紙を眺めていました。
「それは?」
「ああ、舞踏会ですって。王子さまのお妃を探すとか」
 継姉はにやりと意地悪く笑いました。それだけでシンデレラは胸がキュンとなりました。
「あなたは行けないわよね。そんなみすぼらしい格好じゃあね」
 継姉の値踏みするような視線が、シンデレラの頭から足の先までを撫でるように這いました。シンデレラはドキドキが止まりません。だって、いつも継姉はチラッと一瞥するくらいしかしてくれないのに、今この瞬間は間違いなく自分に注目してくれているのですから! こんなに長い時間見つめてくれたのは初めてです。
 シンデレラのお父さんが亡くなったのは五年前、継母との再婚からちょうど一か月後でした。それからはずっと召使同然の生活。服は同じものばかりを着続けて擦り切れ、髪だって手入れも行き届かずにパサパサのボサボサ。痩せて小柄で、手足は子どものように小さく、女性らしさのかけらもありません。
 どんな原石も磨かなければ光るはずもなく、シンデレラの美しさに気づいていない継姉は、そんな義理の妹の哀れな姿がおかしくて仕方ありません。
「王子さまがあなたを見たら何て言うかしら。どこからどう見ても乞食よね」
「お姉さまはその王子さまとやらに会ったことはあるのですか?」
 問うと、継姉は口を楽しそうに歪ませました。
「秘密。ああ、素敵よね。絢爛豪華なお城、どんな人や物も思いのままになる権力、麗しい王子さま……。あの人の妻になることこそ、この国の娘として何よりも幸福なことだわ」
 シンデレラは継姉の言うことが不思議でなりませんでした。幸せなら、今ここにあるのですから。
「こんなみすぼらしい家でうだつのあがらない生活をしなくてもいいの。夢のようだわ」
 お父さんの思い出がたくさんあり、継姉と何年も共に暮らしてきたこの家こそ、シンデレラの楽園でした。ここで今のように暮らせるならそれでよいのに。永遠にこのままでいたいのに。
「まあ、せいぜい私がお妃になるのを歯ぎしりして見てらっしゃい」
 たいして王子なんかに興味はないシンデレラは、別に悔しいなんて気持ちはこれっぽっちもわきませんでした。むしろ、そんなやついたのかと継姉の話でようやく思い出したくらいです。そんなのよりも継姉のほうが何億倍も大事です。
 しかし、継姉にドレスを着せるシンデレラの手が、ふと止まりました。いぶかしんだ継姉の罵り声も、いつもはとても甘く聞こえるのに、そのときは残念なことにまったく耳に入りませんでした。
「もしもお姉さまが選ばれてしまったら……」
「何? 悔しい?」
 ふふん、と継姉は笑いましたが、まったく的外れでした。
 もしも彼女がお妃に選ばれて王宮に上がってしまったら、シンデレラはもうこの家でお世話ができなくなってしまうのです。シンデレラは絶望しました。
 珍しくその日のシンデレラは上の空でした。そんなわけで、普段なら完璧に仕上げる継姉の身支度の出来もイマイチ。それほどシンデレラは悩んでしまったのです。
 一番いいのはもちろん、継姉を嫁がせないことです。それなら舞踏会のときにこっそり失敗メイクを施すなどすればいいのかもしれませんが、シンデレラにはそれができませんでした。継姉をそんなふうにして外に出すなんて恥です。何よりも耐えがたい苦痛だったのです。
 ではどうすればいいのか、とシンデレラは知恵をしぼりました。そして、とあるアイディアが思い浮かび、とても幸せそうな笑顔を浮かべました。


 舞踏会当日、シンデレラはきちんと継姉を着飾りました。仕立て屋に頼んであつらえた継姉に最も似合う色である深紅のドレスを着せ、事前に研究しておいた流行最先端の髪型を結って大きな飾りをつけ、宝石屋で特注した豪華な首飾りを巻きました。化粧も、継姉の華やかさを格別に強調するように心がけて、いつもよりも数段力をいれました。
 さすがの継姉も文句のつけようもないくらいの完璧な仕上がりでした。シンデレラは誇らしくてなりません。
「舞踏会に行けなくて残念ね、シンデレラ」
「いいえ」
 シンデレラはいつも以上に静かな笑みを浮かべていました。継姉は一瞬眉をひそめましたが、それよりも鏡に映る自分の姿にうっとりとすることに夢中でした。
 手配した馬車に乗った継母と継姉をおじぎしながら見送ったシンデレラは、身を清めて継姉の部屋の鏡台に向かいました。化粧道具は豊富にあります。継姉にしてやるように、シンデレラは自分の顔を仕上げていきました。紅を小指につけて唇にサッとひくと、彼女は口の両端をわずかに上げました。
 次に彼女は、隠していたかぼちゃとネズミを取りだしました。シンデレラは必要なものをすべて抱えて庭へ移動しました。
 そこには、大きな榛の木がありました。シンデレラが生まれるずっと前から生えているこの木には精霊が宿っていて、彼女の成長をずっと見守ってきてくれていたのです。
「いらっしゃい、かわいい子。今日はとっても素敵だわ」
「ありがとう。お姉さまには叶わないけどね」
 榛の精は微かに眉を寄せて、悲しげに笑いました。榛にとってはシンデレラが最も愛おしい子であるのに、いつだってこの娘は継姉を引き合いに出すのです。
 屋敷の正当な主なのにも関わらず召使い同然の生活をしているシンデレラを心苦しく思ってはいますが、継姉の話をしているシンデレラがあまりにも嬉しそうなので、今までも黙って見守っていました。
 シンデレラがあまりにも継姉を間違った方向で慕っていることをたしなめても、「お姉さまの素敵なところベスト100」を一晩中語り続けるしまつなので、あえてスルーしなくてはならないときもあるのですが。
「榛さん、お願いね」
 とある絵と銀細工を差し出し、シンデレラは小首をかしげて榛を見上げます。榛は風を吹かせ、小鳥たちを操り、魔法をかけました。
 すると、なんということでしょう。風が巻きついたかと思うと、シンデレラの着ている服が、春の空のような青いドレスに変わりました。さらにもう一陣の風が吹き、銀細工が溶けてシンデレラの足をそっと包み込む銀の靴が現れました。降り注ぐ陽光は彼女の首や髪に飾りをつけました。華奢で質素なアクセサリーでしたが、シンデレラの清楚な美少女ぶりを際だたせていました。
 小鳥たちがかぼちゃやネズミの周りを羽ばたくと、かぼちゃは馬車に、ネズミは御者と従者になりました。
 打ち合わせ通り。デザイン案と鏡を見比べたシンデレラは満足でした。何日もアイディアを練った甲斐があるというものです。
「ありがとうね。実際に仕立て屋なんかに頼んだら足がつくかもしれないから」
 いつもの労働でボロボロの格好をしている惨めな少女の面影はなく、今はどこからどう見ても可憐な姫君です。控えめで気品のあるドレス、シンプルな髪型、繊細な装飾――実はこれらはすべて、王子さまの好みを入念に調べて整えた支度でした。
 シンデレラは継姉をお嫁に出したくなどありませんでした。しかし、継姉はやけに王子さまとの結婚に燃えています。そして、もしも彼女が舞踏会に行ったなら、簡単に王子さまの目に留まってあっという間にお妃になってしまうとシンデレラは確信していました。なんといっても国一番の美女ですから。
 どんなに「行かないで」と言っても、継姉は召使いも同然の妹の声になんて耳を傾けてくれそうにもありません。だからシンデレラは、あえて継姉を舞踏会に行かせることにして、別の方法で妨害してやることにしました。それがこの大変身だったのです。
 王子さまの好みが上品かつ古風で清楚な女性だと知ったシンデレラは、わざと正反対の当世風ゴージャス美女に継姉を仕上げて送り出しました。シンデレラ的には王子さまの好みよりもこちらの方がずっと美しく見えると思うのですが、王子さまはきっと敬遠することでしょう。
 いいえ、シンデレラが悪いわけではないのです。王子さまが悪いのです。国一番の美女が最も似合う衣装を好まない王子さまの感覚がおかしいのです。最低です、トチ狂ってます。世継ぎがこんな貧相な美的感覚しか持たないのなら、この国も長くはないでしょう。誰が何とつっこもうと、シンデレラが本気でそう思っているならそうなのです。
 シンデレラは、この場に他の人がいたら天使が舞い降りたと錯覚するような外見になっています。しかし、彼女が満足したのはあくまでも王子さま好みの女性に仕上がったからであって、自分の美しさにではありませんでした。
「シンデレラ、とても綺麗よ」
 榛がそう微笑みかけましたが、シンデレラは目を伏せて首を軽く横に振りました。
「ううん、お姉さまのほうがもっと綺麗」
「私にはあなたが一番素敵でかわいらしい女の子よ」
 シンデレラは榛の気持ちが嬉しくはありましたが、身内の贔屓目と考えてしまいます。だって、彼女は継姉が理想なのですから。
「本当はね、お姉さまみたいになりたいの。表情豊かで美しくて、お姉さまと身体を交換できたらどんなにいいかって考えてしまうのよ」
「外見の好みは人それぞれだけれどね、あなたには彼女以上に素晴らしい、優しい心があるわ。それは金銀宝石よりも、外見の美しさよりも、ずっとずーっと大切な財産よ」
 榛は継姉のことをよくわかっていないのだと、シンデレラは有難さとともに悲しみを感じていました。わがまま言わなきゃ気がすまないところも、ちょっとプライドが高いくせにシンデレラに生活を頼りきっているところも、チクッと嫌味をぶつけることでちんけなストレス解消をはかるところも、みんなみんな素敵なのに。
「私はつまらない人間よ。でもね、お姉さまはちがうの。いろんな表情を見せてくれる。そしてこんなつまらない私になんだかんだ言って構ってくれるの。素敵な人よ。私、お姉さまが大好き。ひとつになっちゃいたいくらい好き」
 だから、行かせたくない。王子さまのものになってほしくない。ずっとここで二人っきりでいたい。
「シンデレラ……」
「ごめんなさい、あなたの気持ちには感謝してるの。あともう一つ甘えてもいい?」
「ええ、もちろん」
 たとえ間違ったことであっても、いつも継姉のことばかりのシンデレラの珍しいお願いを、榛はなんでも聞きたくなってしまうのです。
 シンデレラはもうひとつ銀細工を差し出しました。
「銀の靴をもう一つ作ってくれる? 片方だけでいいわ。ただし、誰にも合わないようなものにしてちょうだい」
 榛は目を瞬かせ、その質問の意味を飲み込もうとしました。そんな優しい相談相手を見て、シンデレラは苦笑しました。
「いまは何も聞かないで。お願い」
 榛は黙ったまま、もう一度風を吹かせて銀の靴を作りました。シンデレラは自分で履いてみましたが、平均よりもずっと小さい彼女の足でもきついと感じるほどでした。
「うん、上出来。きっとうまくいくわね。これをね、さらに指輪に変えて、必要なときに元の靴に戻るようにしてくれる?」
 榛はシンデレラの言う通りにしたものの、なんだかとても不安になって、口を開きました。
「十二時にこの魔法はとけるようにするわ。あまり遅くなると心配だから。靴は銀から作ったからそのままだけど、他は時間が来たら消えてしまう。だから、きっと無事に帰ってきてね」
「大丈夫よ。終わりまでいてもしょうがないしね」
 シンデレラはいつになく不敵に笑い、馬車に乗り込みました。自分に来た招待状は姉に破られてしまっていましたが、榛に復元してもらったので問題はありませんでした。


 お城では国中の娘たちが集まり、大広間は大輪の花が咲き乱れたようでした。そのなかでひときわ目立っているのは、もちろんシンデレラの継姉です。王子が真っ先に声をかけたのも継姉でした。しかし、最も美しい女性だと感じながらも、王子はなんだかしっくりきませんでした。
 とりあえず踊ろうと王子が継姉に声をかけようとした瞬間、周囲がざわめきました。二人が振り向くと、光を放っているように神々しく可憐な美少女が大広間に入ってきたのです。
 王子は継姉に差し出しかけた手を下ろし、ふらふらと入口に向かっていきました。継姉は目を見開いたまま、いきなり登場した邪魔者を凝視していました。
 彼女はそれが自分の義理の姉妹だと気づきませんでした。シンデレラはいつも地味で化粧もせずに目立たない格好をしていました。それは継姉を引き立てるためであり、力を入れて身なりを整えれば彼女に勝るとも劣らない美貌を持っていたことを、継姉はまったく知りませんでした。
 シンデレラは近づいてくる王子と立ち尽くした継姉を見比べて、目を細めて唇を歪めました。
「失礼、美しい方。初めてお会いしますね」
「お目にかかれて至極光栄に存じます」
 シンデレラは恭しく礼をし、軽やかな鈴の音に例えられるような声で挨拶しました。そよ風に揺れる花にも見える振る舞いで、王子だけでなくその場にいた誰もが嘆息します。
「名を聞いてもよいですか?」
「名などございません。好きにお呼びください」
 恥じらうように言いながら目を伏せる見知らぬ少女に、王子は一瞬で魅了されてしまいました。本人が意識するよりも前に、彼はシンデレラの手を取っていました。
「踊ってくれませんか?」
「私でよろしければ喜んで」
 楽団が円舞曲を奏で、周囲に見守られながら、二人は踊り始めました。王子はシンデレラを見つめていましたが、視線が合うことはありません。シンデレラはずっと継姉を見ていました。
 悔しそうな顔でこちらを凝視する継姉の美しさに、シンデレラはうっとりとしました。そう、その顔――自尊心の高い継姉が屈辱に歪む様子もまた素敵でした。唇をキッと固く結んで彼女なりに必死に感情を抑えようとしているその姿は、自尊心の高く気高い継姉の美しさを引き立たせていました。
 王子はというと、すっかりシンデレラの虜で、継姉に見向きもしません。お姉様を取られてたまるものですか、とシンデレラが嬉しさにあふれた様子で笑うと、王子の頬が赤くなりました。
 この盆暗が。シンデレラは心のなかで嘲笑しました。そして、こんな人間が次代の王では国は滅びると確信しました。
 そうこうしているうちに、バイオリンのソロに重なるように鐘がなりました。十二時になったのです。
「もう行かねばなりませんので」
 シンデレラは王子の手を一方的に離して、まともな挨拶もせず走り出しました。いままで周りの者すべてからご機嫌をとられ傅かれてきた王子は、まさかいきなりそんな無礼なことをされるとは思っておらず、あっけにとられました。そして我に返り、慌てて衛兵に指示を飛ばしました。
「その方を引きとめろ!」
 動きにくい靴をもろともせず、シンデレラは器用に大階段を駆け下ります。貴婦人らしからぬ行為ですが、他人の評価やらなんやらは彼女にとってさしたる意味を持たないのです。
 シンデレラは走りながら指輪を引き抜いて、階段の途中に放り出しました。指輪は宙で予備の靴に変化し、じゅうたんに落ちました。いかにも慌てて脱げたように見えることを確認した彼女は、ニヤリと笑いました。
 城を出ると同時に、魔法は解けました。ただのみすぼらしい少女が物陰に身を隠すだけで、兵士たちは素通りしていきました。そんなものです。
 継姉の美しく歪んだ表情を、シンデレラは何度も心のなかで反芻しました。心の箪笥にしまってある継姉の表情写真集(架空の品)にまた一枚コレクションが増えたのです。そこらの女なら醜い姿だったことでしょう。しかし、継姉はそんなときも美しいのでした。さすが継姉!
「明日はお姉さまに何を着せてさしあげようかしら」
 今回の衣装作りにあたって、自分のものをデザインしようとしても、思い浮かぶのは継姉に似合う素敵なドレスばかりでした。朝になったらすぐに仕立て屋を呼ぼうと、弾んだ気分でシンデレラは帰路につきました。


 舞踏会から一夜明けると、街は貴族から庶民まで大騒ぎでした。いきなり王城に現れていきなり去った謎の女の噂が一気に駆け巡ったのです。王家は、人相書きとガラスの靴を手がかりにその女を探すお触れを出しました。
「ばっかみたい」
 シンデレラは一笑に付すと、いつもよりちょっとご機嫌な様子で継姉の部屋を訪れました。
「おはようございます、お姉さま」
 ごきげんよう、とは呼びかけませんでした。だって、継姉が不機嫌なのはとっくに知っていましたから。
 形のよい眉で虫の居所の悪さを主張した継姉は返事をしませんでした。いっそのこと、ここで斜めになっているご機嫌を垂直にでもしてしまってもいいかと思いましたが、シンデレラはあえて刺激しないことにしました。
「今朝はどのようにお支度いたしましょうか? 何かご希望はありますか?」
 継姉はぎろりと刺すような視線をよこしてきました。その切っ先はシンデレラの胸に突き刺さり、シンデレラはわきあがる歓喜を必死に抑えました。
「何か?」
「最悪な舞踏会だったわ。この私がその他大勢になるなんて」
「まあ」
 シンデレラは、今日はきちんと継姉が一発で了解するにちがいないドレスを持ってきて着させました。そして、いつものとおりにドレッサーの前で髪を丁寧に梳り、前日のシンデレラと同じように化粧を施しました。
「では主役はいったいどなただったのですか?」
「知らないわ、あんな女。見たことなかった。金色の髪で、顔は……」
 継姉はふと鏡のなかに注目しました。そこに映る自分と、ボサボサで長い金色の前髪を鬱陶しく垂らしたシンデレラ。
 振り向いた継姉は、シンデレラの髪をかき上げました。そこにあったのは、化粧もしていない顔。
「あなた……もしかして」
 そのとき、呼び鈴が鳴りました。少しして、シンデレラのなかでは時計台の裏に溜まった埃と同じくらい存在感がないに等しい継母が急いで駆けあがってきました。
「王子さまと兵士が……」
 それを聞いた継姉は一目散に玄関へ駆け出しました。シンデレラはやる気なさげに後を追います。まさか王子まで来ているとは予想外でした。
 バッタみたいに媚を売っている継母と、どうしたらいいのかわからず唇を真一文字に結んだ継姉。二人を見下ろしながら、シンデレラは兵士に声をかけました。
「当家に何のご用でしょうか」
 兵士は、きちんとクッションの上に乗せた銀の靴を差し出しました。
「この靴の持ち主を探しております」
「この家には昨夜の舞踏会に来ていない娘がいるだろう――表向き」
 そこまで調べる程度の仕事はしている王子さまと兵士に、シンデレラは少し感心しました。もう少し無能でやみくもに探しているのだとばかり思っていたのに。
「ええ、おりますが」
「その娘にこれを履かせてくれ。ぴったり合う人を探している」
 シンデレラは、必死な様子でそう訴える王子をひそかに嘲りました。そして、にっこりと笑いながら、継姉のほうへ向きなおりました。
「ですって」
 どうする? 首を傾げて無言で尋ねると、継姉はシンデレラの思惑通り前に進みました。
「私です」
 王子は怪訝な表情で二人の少女を見比べましたが、兵士はそんな主の様子を窺うこともなく靴を差し出しました。小さな小さな靴です。継姉は緊張した面持ちで足を入れました。しかし、途中で止まり、顔をしかめました。
「お待ちください」
 兵士たちが落胆のため息をこぼす瞬間に言葉を発したのは、シンデレラでした。
「妹は身支度の途中でございました。それに、殿方の前で靴を履くなど無礼なこと。一度部屋にて格好を整えてきてもよろしいでしょうか」
「何を言っている。小細工するつもりか」
「こんなに見事な銀の靴、他にはございませんわ。たとえすり替えてもすぐにわかるでしょう。さあ行きましょう、シンデレラ」
 靴を抱えると、シンデレラは微笑みながら継姉の肩を抱き、近くの部屋へ向かいました。
「どういうつもり?」
「何がですか?」
「あれ、あなただったんでしょ?」
 シンデレラはにんまりと笑って、明答を避けました。継姉の怒った顔は今日も素敵でした。
「お姉さま、その靴は入りますか?」
 入るわけないのです。継姉よりもずっと足の小さなシンデレラでもやっと入るかどうかなのですから。
「入らないなら仰ってくださいね」
 継姉はシンデレラの言葉が聞こえていないようにふるまい、もう一度足を靴につっこみました。しかし、あと少しのところでつっかえてしまいます。
 実を言うとシンデレラは、昨日履いていた靴を隠し持っていました。それなら継姉でもまだ入るかもしれませんから。これをちらつかせたら、継姉はどんな表情を浮かべるか。想像しただけでシンデレラは胸がいっぱいになりました。
「ねえ、お姉さま――」
 しかし、継姉は予想外の行動に出ました。テーブルの上に置いてあったナイフで、自分の足の指を切り落としたのです。
 あまりのことに、シンデレラは噴き出した血で真っ赤になった継姉の足から目が離せませんでした。
「意地でも履いてやるわ。王妃になれるのなら」
 苦悶を見せまいと白い顔でも必死に表情を作り、継姉は玄関へとゆっくり向かいました。その美しさにシンデレラは立ちすくんでしまいました。
「お待たせいたしました。ごめんなさい、王城に参じるのだと思うと時間がかかってしまいました」
「本当にあなたがあのときの……」
 玄関ホールをこっそり眺めると、王子さまは継姉をさっそく花嫁として城に連れて帰ろうとしているところでした。継姉の足には銀の靴が輝いていました。
 王子さまは、継姉の顔に違和感を覚えてもそのまま流してしまったようです。前夜のシンデレラは普段の継姉に似せた化粧を施しましたし、今日の継姉も同じように仕上げてあります。
 継姉が自ら指を切ったのは予想外でしたが、シンデレラはそのまま見送ることにしました。
 だって、すぐに帰ってくることはわかってましたから。


 榛は庭にありながら屋敷のなかの様子はすべて見えていました。見えるのは光景だけ。シンデレラの心のうちはわかりません。
 出てきたのは王子さまに連れられた継姉。そこに兵士たちが続きます。継姉は必死に痛みをこらえ、王子さまの馬に乗せられました。王子さまは嬉しそうにしています。
 せっかくいろいろ作戦を立てたというのに、シンデレラはこのまま素直に継姉を行かせるのか。榛にはシンデレラが何もせずに見送ることが理解できませんでした。
 王子さまは庭を通って門へ馬を進めています。前に乗せている継姉の足には気づかずに。
 榛は小鳥と風を操り、歌わせました。
「きれいなお姫様の靴 銀の輝きも無惨 血塗れお嬢さんが履いている」
 王子さまはそれが幻聴かと思いました。しかし、笑いながら誰かが繰り返し歌っています。
 ふと継姉の足を見ると、靴と足の隙間から真っ赤な血がにじみ、銀をつたって地面にポタリポタリと落ちていました。
 王子さまの顔色がサッと変わりました。継姉は王子さまの様子に、自分の偽りが知られてしまったことに察知しました。
 シンデレラが継姉たちを見送ってからずっと玄関で待っていると、乱暴な足音がしました。
「とんでもない! 詐欺だ!」
 愚かな王子さまの罵声と扉の開く音、どちらが早かったでしょうか。ふらふらと継姉は倒れました。足と靴の隙間からは美しい深紅がじんわりとにじむようにこぼれていました。
「おかえりなさいませ、お姉さま」
 天使のような微笑を浮かべて、シンデレラは二人をお迎えしました。やっぱり――シンデレラは嬉しくてたまりません。
 王子さまと継母はいろいろ叫んでいましたが、どうでもよかったのです。シンデレラは継姉の足から靴を外してあげました。親指を失った足が、じゅうたんを真っ赤に染めました。
 完全に王子さまはお怒りです。これで継姉のお妃さまになる芽が完全に摘まれてしまいました。ずっと一緒にこのおうちにいればいい、そうシンデレラは考えていました。
 そのとき、用なしになったはずの銀の靴に目が留まりました。きらめく銀を塗りつぶす深い紅。シンデレラは思わず見とれてしまいました。
 そっと指で触れてみました。まるで薔薇の花弁のような血は、シンデレラの肌にそのまま染みこんでいくようにも思えました。あたたかな温もり。
 シンデレラは思わずその靴に自分の足を無理やり入れました。窮屈でしたが、入らないこともありませんでした。すると、どうでしょう。彼女は今までにないほどの幸福に満たされました。こんな気持ち、生まれて初めてです。
「お姉さまの血が、私を包んでいる」
 その紅は、継姉の命そのものに思えました。窮屈でもシンデレラはまったく気になりませんでした。継姉に抱きしめられているような気持ちになりましたから。
 シンデレラは感動のあまり震えました。その異様さに、王子さまも兵士も継母も、継姉さえも固まり、言葉を発することさえもできませんでした。
 一歩前に踏み出すと、衝撃でかすかに靴と足の間の血がこすりつけられたように感じました。二歩、三歩と歩いているうちに、シンデレラは心底楽しい気分になりました。
「あは、あはははは、あははははははは!」
 もう嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
「なんて素敵なの! こんな喜びがこの世にあるなんて!」
 シンデレラは締め付けられる足をもろともせず、扉を開けました。
「なんだかとっても楽しい気分だわ。そうだ、お散歩に行ってまいります」
 シンデレラは歌いながら、どこまでもどこまでも歩きました。継姉の血の感触が心地よくてたまりません。
「どうしたの? 王子さまの元に行かないの?」
「やあね、榛さん。あんな人のところへ行くはずがないじゃない」
「じゃあ」
「今ね、とっても幸せなの。ほら、お姉さまの血。素敵でしょ? やっぱり紅が美しい人だと思ったの」
「お姉さまを置いてどこへ行くの?」
「お姉さまは一緒よ。この温もり。うん、今、私とっても幸せ!」
 榛が何度か呼びかけましたが、シンデレラは聞こえない様子で、そのまま小さく歌を口ずさんで進みました。
 しかし、ひたひたと靴のなかを満たしていた血は、やがて少しずつ水分が蒸発していき、いつしかガラスとシンデレラの足の間でパリパリになってしまっていました。
 それに気づいたシンデレラはそっと靴を脱ぎました。皮膚にはりついたガラスは、少しの抵抗の後、きれいに離れていきました。赤黒く塗られた足をそっと指先で撫でて、シンデレラは呟きました。
「おうちに帰らなきゃ」




2011/12/13
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