見習いクロウの最後の一年

第一話 飛べない鳥は春を惜しむ


「朝ダ! クロウ、朝ダゾ!」
 鳴き声と羽ばたきが聞こえる。くちばしで頬を軽く突かれ、クロウは目を覚ました。
 まだ家族は寝ており、家のなかはとても静かだった。
 カーテンを開けると、春の日差しが室内に飛びこんでくる。その眩しさで眠気が一気に吹き飛んだ。
「おはよう、ラーヴァ」
 ラーヴァは、定位置に留まって朝食をねだった。クロウは棚から取ってきた相棒の食事を皿に出す。
 赤い羽をパタパタと動かして、ラーヴァは言った。
「今日ハヘマスルナヨ!」
「うん、頑張る……」
 クロウは棚の上に置かれた日めくりカレンダーに視線をやった。まだ昨日の日付のままだった。
 黄色い数字が記された紙を破ると、その下から桃色が現れた。
 ああ、とうとう月が変わってしまった。彼は溜め息をつく。三月が終わってしまうということは、彼にとっては特別な意味を持っていた。
 もう時間はない。ずっと遠くにあったはずのタイムリミットはどんどん迫っている。一年後、次の三月が巡ってくるときに十四歳の自分がどうなっているか。そんなことを考えるだけで憂鬱だった。
 けれども、ここで悩んでいてももうしかたない。現実は受け入れなければならなかった。
 暗い気持ちを心の外に追い出しながら自分も食事をとり、ラーヴァを肩に乗せた彼は急いで家を出た。
 空は快晴。どこからか花の香りがする。昔、この季節になると花を摘んだりして遊んだことをクロウは思い出す。こういう日は、日向ぼっこでもして夕方までのんびり過ごしたい気分だ。
 高いところが苦手でなかったら、外壁の上にのぼって大地を見下ろすのも楽しかっただろうに。クロウは細く息を吐いた。
 クロウが暮らすのは、空中に浮かんだ都市ジェミア。彼はその中央役所の片隅にある、鳥類局に勤務している。
 彼は鳥使いの見習いだ。鳥使いは、鳥と意思疎通する能力を持ち、希少種の保護や公開、他の土地との交通・伝達手段となる鳥の育成と管理などを主に行っている。
 ジェミアでは、鳥使いのような専門職は高い地位を得ている。その代わり、なるための条件は厳しく、狭き門となっている。
 志望者はまず、初等教育の最後の年、十歳で適性検査を受けることから始める。希望の職種ごとにその内容は異なり、それぞれ条件を満たした生徒だけが中等教育の専門職コースへと進める。
 最初の約一年間は一般教養と基礎実習に費やされ、その課程を修了すると今度は見習いとして働く。そこで無事に一人前と認められたら、晴れて正式に資格を得ることができる。これが通常の流れだ。
 クロウも適正検査に合格し、実習を経て、鳥類局に配属された。父と同じ鳥使いを夢見ていた彼は希望に胸を弾ませていたが、試験よりずっと厳しい現実が待っていた。
「クロウ、もう一度やってみろ」
 主任の声に頷いてみせたものの、手足の震えが収まらない。
 靴の下では、灰色の羽毛を持った巨大な鳥がうんざりした様子で口を開く。
「オイオイ、シッカリシテクレヨナ。命令シテルノカシテナイノカワカリヅライ。ダイタイ、オ前ガ落チタラ俺ノ立場ガ危ウインダゾ。チャント立テ」
「ごめん、ゲイル。お願い、もう一回つきあって」
 ゲイルと呼ばれた鳥は溜め息をつきながら翼を広げ、地面を蹴って飛び立った。
 彼は、レインアローという鳥種だ。大人四人ほどを軽々と運ぶことができ、ジェミアと地上とを結ぶ重要な移動手段となっている。小人数の急ぎの移動手段や、ちょっとした荷物の運搬に用いられている。
 その操縦を担うのも鳥使いなので、見習いのうちに技術を身につける必要があった。そういうわけでクロウも長期間練習しているが、これがまったく上達しない。
 浮上したレインアローにしがみついているのがやっとで、とても先輩たちのように自由自在に動きまわることはできない。
 クロウは高所恐怖症だった。地上が遠ざかった瞬間に全身が硬直してしまうのだ。頬や身体に強い風が当たるとよけいに恐怖が増した。鳥使いとしては致命的な欠点だった。
「高イトコロガ怖イナンテ、オ前、本当ニ鳥使イカ?」
「う、あ……」
 返事もろくにできない。肩は硬直しているのに手には力が入らず、手綱もうまく使いこなせずにいる。
 地面が遠くて、見下ろすと吸い込まれてしまうような錯覚を覚える。クロウは無意識のうちに目をぎゅっと瞑ってしまった。足に力が入らず、立っているのもやっとだった。
「ジェミア市民カドウカモ疑ワシイナ」
 そのとき、ラーヴァが緩やかに飛びながら現れた。
「ホドホドニシテオケヨ、ゲイル。人間ヲフォロースルノモ鳥類局ノ鳥ッテモンダロウ」
 ゲイルは鼻で笑う。
「鳥ト話セルダケジャダメナンダヨ。俺モココノ生活ハ長イケドヨ、コンナヤツハ初メテダヨ。コイツノ父チャントハ大違イダ。オ前モオ子サマノオ守リナンテ大変ダナ」
「オ前ナア!」
 ゲイルは二度旋回すると、ゆっくりと降下した。
「坊チャン、今日ハココマデダ。コレ以上ハ無意味ダロ」
 着地した瞬間、転げ落ちるようにしてクロウは芝生に降り立った。そのまま倒れこんでしまいたかったが、上司の前だ。無理やり直立姿勢を保った。
「クロウ、いつまでもこのままじゃいけないだろう。どうにかならないか」
「……ごめんなさい」
 クロウは謝ることしかできなかった。
「やる気があるのは認めるよ。他の仕事も熱心だしな。でもな、ここまで怯えている人間に飛べなんて言えないよ」
 主任も困ったように頭を掻く。
「みんな仕事を抱えているから、お前も戦力になってくれないと困るんだけどな」
 鳥使いの条件は、鳥の声を理解できること。これは努力ではどうしようもなく、生まれつきの素質が物を言った。それゆえになり手は少ない。
 鳥類局は仕事量に比べて人員が不足している。クロウですら、数年ぶりの見習いという立場なのだ。
 だからこそ早く役に立ちたいのに、いつまで経っても役立たずでいる自分が情けない。クロウはますますうなだれてしまう。
「今日はもう、飼育舎でみんなの世話をするだけでいい。ゲイルは私が連れていくから」
 主任に引かれながら立ち去る際、ゲイルは振り返って言った。
「高所恐怖症直セナインダッタラ鳥使イニナルノハ考エナオシナ。オ前サンノ人生、コレダケジャナイサ」
 クロウはなにも返せなかった。ラーヴァを頭に乗せ、とぼとぼと移動する。
 移動に使うレインアローと伝達に使うデューパールの二種は、昼夜問わず鳥たちが頻繁に出入りするので、それぞれ専用の小屋を設けている。その横にある最も広い飼育舎には、それ以外のさまざまな鳥がケージや柵のなかに収まって暮らしている。その世話も重要な役目だった。
「ア、クロウ! 今日ノ訓練ハ終ワッタノ?」
 中庭に出ると、一羽のデューパールが寄ってきた。
「やあ、レイド」
 デューパールは身体こそ小さいものの賢く、手紙を運ぶのに使われるのに最適とされている。その姿はかわいらしく、一緒にいるとほっとする存在だった。なかでもこのレイドは特別だ。
 レイドはクロウが見習いとしてやってくるすこし前に生まれ、雛のうちから頻繁に世話をしていた。最近になって仕事を始めたが、気弱でまだ長距離の仕事は無理だと言われている。そういうところに自分を重ねてしまうときがある。
「うん。あとは大部屋の掃除だけして帰るだけだよ。デューパールの小屋当番は明日だね。レイドは?」
「僕ハネ、今カラオ仕事ナンダ」
「今から?」
 クロウは思わず空と時計を見比べた。既に日暮れは近い。こんな時間にデューパールを出すことはあまりない。
「急ギナンダッテ。スミスサンガオ手紙書キ終ワッタラスグ出発! デモネ、オ返事ハ持ッテコナクテイイカラ、帰リハ楽ナンダヨ」
「そっかぁ……。気をつけて行ってくるんだよ」
「ハーイ」
 レイドは小さな羽を動かし、事務室に向かって飛んで行った。それを見送っていると、ラーヴァが咎めるように言う。
「クロウ、特定ノ一羽トダケ仲良クナルノハ感心シナイカラナ」
「わかってるよ、ラーヴァ。でも、レイド見てると親近感わくんだよな」
 ラーヴァはクロウの正面に移動すると、いきなり額を突いてきた。
「いてっ!」
「ソレデ、レイドニスラ追イ越サレタラ、オ前モウ終ワリダゾ!」
「うん……」
 返事をしながら、クロウは飼育舎の扉を開けた。
 食事の補充や清掃など、飼育舎の仕事のひとつひとつは小さなものでも、全部こなすのは骨が折れる。そのせいか、先輩の鳥使いでも気が進まないと言う者が何人か存在する。クロウは、進んで彼らの分の仕事を引き受けた。
 普段役に立っていない申し訳なさもあるが、こういう地味な仕事が彼は好きだった。大変だけれども、隅から隅まで綺麗に整えて鳥たちに喜ばれるのは達成感があった。
 ただし、鳥たちからいっぺんに話しかけられると一気に余裕がなくなる。
「ちょっと、みんな。順番、順番に話して!」
 たくさんの鳥たちが生活している飼育舎は、クロウが入ると大騒ぎになる。そのとき抱えている不満や要望を彼に直接ぶつけてくるのだ。
「オイ、坊主! ケージノ位置ヲ元ニ戻シテクレ。ココハ風ガ悪クテ嫌ダ!」
「今日ハ出タクナイ。当番変更頼ム」
「隣ノ新入リ気ニ食ワン。サッサトドッカヘヤッテシマエ!」
 各々が一度に好き勝手に喋ると幼学校以上の騒々しさになる。ただでさえ鳥の声は直接脳内に響くような感覚なのに、こうも一度にいろいろ言われると頭痛がしてくる。訓練で疲れたあとはなおさらそうだった。
「待ってったら。一羽ずつ!」
 クロウも頑張って声を張り上げるが、聞こえないのか無視しているのか、いっこうに収まる気配はない。
「オイ、野郎ドモ! ウルセーンダヨ、ウチノ相棒ガ困ッテルダロウガ! コレ以上ギャアギャア騒グンダッタラ、焼キ鳥ニシチマウゾ!」
 ラーヴァが一喝する。一瞬静まり返ったかと思ったら、一斉に抗議の声があがる。
「裏切リ者!」
「鳥デナシ! ソレデモ翼持ッテルヤツノ発言カ!」
「黙レ! ケタタマシク不平不満言ッテバカリノヤツノホウガヨッポド翼ノ誇リヲ捨テテルダロウガ!」
 ラーヴァも負けずに言い返す。それで最終的にはみんなおとなしくなってしまうのだから、ラーヴァの発言力はありがたかった。元はクロウの父の相棒だけあって、鳥類局で飼育されている鳥たちの扱いは慣れたものだった。
 ようやく落ち着いて本来の用事に取りかかろうとしたところで、扉が開く。
「おい、時間かかりすぎじゃないか」
「あ、ごめんなさい!」
 先輩の鳥使いは、室内を一瞥し、息を吐く。
「さっき、廊下のほうまで聞こえてたぞ。どうしてすぐに収められないんだ」
 クロウは黙ってうつむいてしまう。
「そうやって黙って待っていればやりすごせるとか思ってるんじゃないか?」
 何も言わず、首の動きだけで否と答えた。
「お前がそうやって毅然としていないから、鳥たちになめられるんだ。飛行訓練だってそうだろう。もう見習いやってどれくらいになる? いつになったら一人前になってくれるんだ? うちにもう二人か三人鳥使いがいたら、お前、とっくに追い出されてるぞ」
 それはクロウ自身も理解していた。自分がここにいられるのは、こんな頼りない人間でもいないよりはマシなくらい人手不足だからだ。
「さっさと級持ちになってもらわないと」
 見習いとして来てから、こういった叱りを何度受けただろう。ささいなことでも満足にできないでいる。そうしているうちに時間ばかりがすぎ、在籍日数と能力の差は開くばかりだ。
 クロウは自分が情けなかった。声だけ聞こえても意味はないのだと、ここに来てよくわかった。鳥たちと心をきちんと通わせられなかったら鳥使いとは呼べないのだ。


 結局たいした成果もあげられず、その日の夕方、勤務を終えたクロウはとぼとぼと門をくぐって、自宅を目指した。
 茜色の空には目もくれず、彼が地面に伸びた自分の影を見つめていると、ふいにすぐ横に影がもうひとつ現れた。
「よ!」
 顔をあげると、友達のトーレスが立っていた。彼は初等学校からの同級生で、影を自由自在に操る影使いへの道に進んでいた。
 十年に一人の逸材として注目されている彼は、一年も前に正採用となっていた。近ごろは、最年少で八級に上がるという噂も広まっている。
 正式に専門職で働いている人々には、実績に応じて階級が定められている。一級から九級まであり、見習いを卒業した者は自動的に九級の位が与えられる。そこから八級になるまで、また数年単位の時間を要するが、トーレスはほんのわずかな期間でそれを果たそうとしているのだ。
 性格や能力はクロウと正反対だが、面倒見がいいせいかトーレスはよく気にかけてくれる。クロウの数少ない友人だった。
「またひどい顔してるなあ。今日はなにがあった? この時間だと残業もないよな、なんでそんな疲れた顔してるんだよ」
「なにも。なにもできなかったんだ」
 派手な失敗をした日よりも、なにも成功しなかった日のほうが辛いときもある。また一日無駄に過ごしてしまったことにクロウは落胆してしまっていた。
 彼の様子を見たトーレスは、クロウの手首をつかむ。
「ちょっとカフェにでも行こう。四月になっただろ、新作が出ているはずだ」
 有無を言わさず、引っ張って連れていく。その強引さが、今のクロウにとってはとてもありがたかった。
 役所に付属しているカフェはジェミアで最も大きく、いつも人で賑わっている。
 トーレスの言ったとおり、新商品が出ていたので、二人で同じものを注文した。
 しばらくして運ばれてきたのは、桃色のクリームが美しい、紅果実のタルトだった。
 四月に紅果実を口にしないのであれば、その一年にはなんの価値もない。昔、詩人がそう評したほど、春の風物詩となっている。
 添えられた花弁は精巧な砂糖細工で、口に入れると花の香りが一瞬だけ広がる。見た目も味も美しく、よく調和していた。
「これ見ると、春が来たって感じだよな」
 トーレスの言葉に頷こうとして、クロウは固まってしまった。今朝、カレンダーをめくったときのことがふと頭に浮かんでしまう――次の春、自分はどうしているのか、と。
「おーい、クロウ?」
 まったく反応を見せなくなったトーレスが、クロウの目の前で手をひらつかせる。
「ちょっと。私の作ったお菓子の前でそんな辛気くさい顔しないでくれる? まるで不味いみたいじゃない」
 いきなり声がして、少年たちは同時に飛び上がった。見ると、幼なじみで同級生のアンジェリカがムスッとした顔で立っていた。彼女は菓子職人としてここで働いている。
「ごめん、タルトは美味しいよ。また腕上げたね」
 クロウは慌ててフォークを動かす。
「当然! 級持ちになったんだもの」
 同級生のなかではトーレスの次に優秀だった彼女は、冬に見習いを抜け出した。
 誇らしげに胸を張ってみせたものの、アンジェリカの眉間にはしわがいっそう深く刻まれる。
「あと二回コンクールに入賞できたら、任せてもらえる仕事が増えるの。気合いも入るわよ。今は来月のことで頭がいっぱい」
 この都市では、一年に数度、菓子のコンクールが催される。級持ちも見習いもこぞって参加するため、五月の大会はとりわけ規模が大きい。
「おお、さすがアンジェリカ。優秀だねえ」
 トーレスの言葉に、アンジェリカは彼を睨む。
「まあ、それって嫌味よね。逸材さまはもう昇級も間近っていうじゃない」
「まあね、天才だから。俺に比べたらアンジェリカですら遅いくらいだ」
 アンジェリカの苛立ちが目に見えて増した。
「あのね、影使いや鳥使いとちがって、菓子職人はコンクールでしかまともにポイントが稼げないの。これでも私だって最短でオリーブバッジもらえたのよ」
 二人の服には、級持ちの証といえる金色のバッジが光っていた。ジェミアの紋章であるオリーブと、それぞれの職業の象徴を組み合わせた意匠のものだ。
 これは身分証であると同時に、専門職に就く者たちの誇りでもあった。
「アンジェリカもトーレスもすごいなあ」
 クロウはぽつりと呟く。とても同級生とは思えないほど、自分とは距離がある。
「クロウ、あんたはどうなの」
「え?」
「え、じゃなくて。今、点数はどれだけ貯まってるの?」
 クロウは一瞬詰まったが、正直に言うことにした。
「五九三……」
「ええええ!」
 アンジェリカの声が響く。周囲の注目が集まり、彼女はあわてて声を潜める。
「あと一年切ってるのに、どうするつもり?」
 さすがのトーレスも顔がひきつっていた。
 専門職見習いには、仕事の結果次第で評価点が与えられる。その合計が一五〇〇を越えると、晴れて正式に採用されるのだ。
 ただし、これには期限が設けられている。クロウの場合は翌年の三月までにクリアできなければ、クビとなってしまうのだ。
 見習いになって一年以上経つ。それでこの得点数はあまりに少なく、平均を大きく下回っている。
「ちょっと、いくらなんでも、それはないでしょ。なんでそんなのんびりしてるの」
「のんびりしてるわけじゃないよ。ただ、あんまりポイントもらえなくて」
 アンジェリカは聞こえよがしに大げさに溜め息をついた。
「あんたって、昔から高いところがダメだったものね。木に上ったら下りられないし、城壁探検のときも一人だけわんわん泣いて」
「そ、それは昔の話」
「今、現在進行形でしょうが!」
 それ以上はなにも言えなかった。
「別に、私は私で、あんたがどうなろうと構わないわよ。能力がなかったってことだもの。でも、おばさまにだけは心配かけないようにね」
 母の顔が浮かぶ。彼女を喜ばせてあげたい、といつも思っているのにクロウは失敗ばかりだった。
 店を出るとき、アンジェリカはクロウの家族用にと余ったケーキをいくつかこっそりくれた。彼女はクロウの母や姉とは仲がいいのだ。
「ううー、まだちょっと寒いな」
 ちょうどジェミアは雲のなかに入ってしまったようだ。やや靄がかかったなかを二人で歩く。
「トーレス、今日はありがとう」
「別に。俺が甘いもの食べたかったのもあるし。本当はもっといたいけど、明日早番なんだ、ごめんな」
「ううん、僕のほうこそ。今度、なにかおごるよ」
「見習いの安月給で?」
 トーレスはけたけたと笑う。
「まあ、それは俺の昇級祝いに取っておこうかな。お前が級持ちになったら、俺もナッツフィッシュだろうがホワイトビーフだろうがなんでもご馳走してやるよ」
 分かれ道で彼と別れると同時に、ラーヴァが空から下りてきて頭に乗る。
「ハーア、ドウセナラ別ノ店ニシテクレヨナ。コノアイダモ、アンジェリカノ嬢チャンガ邪険ニシテクルシ」
 アンジェリカは菓子職人のせいか、動物の扱いには敏感で、仕事以外でもなるべく近寄らない。
「食べ物屋さんだからね」
「俺ハ綺麗好キダシ、歓迎サレテナイ店ニ入ラナイ分別モアルゾ」
「知ってるよ」
 ついでに、アンジェリカが本当は動物好きなのもクロウはわかっていた。彼女は自分にも他人にも厳しいが、本当に意地が悪いわけではない、と。
 気にかけてくれる人はたくさんいる。家族も、友人も、先輩も。ただ、自分がそれに応えられないだけ。
 彼は首を軽く振る。
「僕、頑張りたいな」
「オウ、イツマデモ落チコボレジャナ」
「うん」
 ふと雲が切れる。姿を現した美しい月に照らされた石畳を踏みながら、クロウは帰路についた。


 翌日、クロウはいつもよりも二時間早く起きた。ラーヴァのほうが後に目覚めたくらいだ。
 どうせなら、と彼は出勤も早めることにした。すこしでも多く仕事をしたかった。
 門をくぐり、廊下を進む。そして部屋に入ると、宿直の先輩が難しい顔をして帳面とにらめっこをしていた。
「おはようございます」
「おう、早いな」
「どうしたんですか?」
「いや……。クロウ、お前、昨日はデューパールの当番だったっけ?」
 クロウは首を横に振る。
「だよな。うーん」
「……何か?」
「辻褄が合わない。おそらく、一羽戻らないままのがいる」
「ええ?」
 クロウも帳面を覗きこむ。
 記録によれば、現時点で不在なのは長距離で出されている三羽のみのはずなのに、小屋で数えてみると四羽足りない。
「みんなの話を総合すると、レイドが戻ってきてないようなんだ」
 息をのむ。
 記録によると、昨日は六羽が市のあちこちに飛ばされている。最も遅くに出立したレイドは、夕方近くに東支部への書類を届けに行ったはずだ。そして、夜には帰還したことになっている。
「一羽出して、向こうの当直に聞いてみたんだけどさ、一応レイドは来たみたいだ。で、そのまま受け取るのを確認して、本部へ飛んでいったと」
 書類の返事を持ってくる必要もない任務だったので、発覚が遅れてしまったようだった。
「ったく、間違ったんだか確認したことにして帰ったか知らんけど、まじめにやってくれよな」
 なんとなく自分が責められている気分になってしまう。またクロウは視線を床に落とす。
「局長に報告しますか?」
「あーあ、最近専門職の風当たりも穏やかじゃないんだけどな」
 そのときクロウが発した言葉は、本当に一瞬のひらめきによるものだった。
「僕、探してきましょうか?」
「え?」
「まだ始業まで一時間半あります。それで見つからなかったら局長の指示を仰ぎましょう。」
「ま、まあ。報告前に戻っていればそのほうが言いやすいけどさ」
「僕、行ってきます」
「……できれば、まだ内密で頼む。こっそりな」
 うなずきながらクロウは局をあとにした。
 右肩のラーヴァが声をあげる。
「オイオイ、本気カ?」
「このまま戻らなかったら問題だけど、今戻れば局内の注意ですむじゃない。それに、早く見つけたほうがレイドも……」
 彼はまだ伝令鳥としては日が浅く、すこし甘えん坊な性格だ。そういうところが自分と似ているとクロウは思っていた。
 外にずっとひとりぼっちでいたのならと思うと、心配でたまらなかった。
「ジェミア中、隈ナク探スッテイウノカヨ」
 ジェミアは世界を基準にして見れば、けっして巨大都市ではない。しかし、だからといって簡単に一周できるほど狭いわけでもない。
「事故が起きたのかもしれないだろう? それなら発見は早いほうがいい」
「マッタク、面倒ヲ引キ受ケルコトダケハ一人前ダナ」
 クロウは耳を澄ます。しかし、そのなかにレイドの声はない。彼は朝日の上る東に向かって走り出した。
 胸元から鳥笛を取り出して音を鳴らしてみるが、寄ってくるのは関係ない小鳥ばかりだった。
 せっかくなのでそのまま声をかけることにした。
「ねえ、君たち。デューパールを見なかった? これくらいの大きさで、レイドって名前なんだけど」
 鳥たちは顔を見合わせる。
「サア?」
「東に向かったとか、東から中央へ戻ってきた、とか」
「デューパールナンテ珍シクナイシ」
 その場の鳥が一斉に同意する。
「もしも見つけたら知らせてくれないか?」
「エー、イヤダヨ」
 笑いまじりに言われる。
「お願い」
「俺タチハ別ニ保護対象ジャナイシ、ワザワザ鳥使イノ言ウコトナンカネー」
 嘲る視線に、思わずクロウはびくついてしまう。それを境に、鳥たちの言葉がだんだんただの鳴き声に変わろうとする。クロウは必死に意識を集中させた。
「頼むよ、小さい鳥を放っておくような君たちではないだろ?」
「条件ハ?」
「え?」
「マサカ、無償デヤレッテ言ウンジャナイヨネ?」
 先輩の鳥使いなら、うまく都合をつけただろう。しかし、クロウは自分の権限で彼らの満足する報酬が思いつかない。
 このままでは時間が過ぎるばかりだ。気持ちばかりが焦る。
 協力は諦めてしまおうか。しかし、同じ鳥である彼らがいれば、捜索範囲は広げられるし、ラーヴァの負担も減る。
 クロウは反射的に口を開く。
「もしも君たちに今後なにか問題が起こったときは、僕が助けます」
「ハア?」
 笑い声が響く。
「オ前、見習イダロ? ナニガデキルンダ?」
「今具体的にはなにもできない。だって、君たちは僕がお礼に寝床や食料を与えても納得しないでしょ? だから君たちが困ったときに力になるよ!」
 勢い任せの言葉に、顔を見合わせる鳥の面々。
 クロウは心臓の音が大きくなるのを感じた。こんなこと言ってしまって大丈夫なのか、不安でしかたがなかった。
「ソンナノ空手形ジャナイカ」
「バッカミタイ」
「イイヤ、大丈夫。コノ俺ガ保証スル」
 それまで黙っていたラーヴァが突然口を開いた。
「コイツハ確カニドンクサイケドガ、真面目デ約束ハ時間ガカカッテモシッカリ守ル。ソレダケハハッキリ言エル」
 皆が顔を見合わせて沈黙するなか、一羽の鳥が前に出る。
「ラーヴァ、ソノ言葉本当ニ信用シテイイカ?」
「イイトモ」
「……オ前ニハ昔世話ニナッタカラナ。ソレニ免ジテ今ハ協力シテヤロウ」
「あ、ありがとう!」
「礼ハ見ツカッテカラニシテモラオウカ。ソレト、サッキノ笛下手ニモ程ガアル。モット練習シロ」
 その鳥が飛び立つと、他の鳥が慌てて追う。彼らは東を中心に広がっていった。
「上出来ダナ、クロウ。アイツサエ動ケバアトノヤツラハツイテクゼ」
「あの鳥は?」
「マア、昔カラノ顔ナジミダ。オ互イ長生キダカラヨ、ソレゾレノ縄張リニ顔ガ利クダケノコトヨ」
 クロウは自分も駆け出しながら言う。
「ラーヴァ、ありがとうね」
「別ニ。ジャア、俺モ空カラ探スカラ、オ前ハ地面頼ムナ」
 ラーヴァは風に乗って上昇した。その優美な赤い翼を見つめながら、クロウは溜め息をこぼす。
 今、鳥たちが協力してくれたのは、クロウの器量ではない。ラーヴァの器量だ。
 彼は己の無力さを感じている。だからこそ、今はできる限りのことをしたい。
 日が高くなりつつあった。時計を見ながら、東方面を中心に探す。
 デューパールは、夜目はそこそこ利く。暗闇で迷っている可能性はあまりない。
 考えられるとしたら、なんらかの理由で飛べなくなったか、どこかで捕まってしまったか。
 クロウはもう一度鳥笛を鳴らす。しばらく耳を澄ませてみたが、レイドの声はない。
「クロウ、東ノ大通リニハイナイミタイダゼ」
 路地裏を探していると、ラーヴァがやってきた。他の鳥たちの報告をまとめてきてくれたのだ。
「城壁周辺モ可能性ハ低ソウダ」
「まさか、外に出たってことはないよね?」
「マダレイドニハ無理ダロウ」
「イタァ! チビッコイタヨ!」
 一羽の鳥が急いで下りてきた。
「コッチコッチ」
 くちばしで服をつままれ、引っ張られる。
 そのまま進んでいくと、かすかに聞こえる声があった。
「助ケテェ……」
 小さいが、まちがいなくレイドの声だった。
「オイ、クロウ! アソコダ、上ヲ見ロ!」
「なんであんなところに……」
 見上げて、クロウは絶句した。
 ラーヴァが示したのは、旧市庁舎の見張り塔だ。数年前に老朽化のため閉鎖され、役所としての役目は終えているが、ジェミアのシンボルとして今でも愛されている。
 レイドはその軒にいた。まさに屋根の縁というべきところで、彼自身体勢が不安定で今にも落ちてしまいそうだ。
「い、行かなきゃ!」
 とっさに走り寄ろうとして、クロウはすぐに立ち止まってしまう。
 周辺を取り囲む公園は解放されているが、旧市庁舎の建物自体は施錠されている。
「あ、鍵! ど、ど、どうしよう!」
 現在の中央役所に行けば、管理用の鍵があるはずだ。
 いったん戻るか。クロウはうろたえて周囲をきょろきょろと見渡す。そのとき、視界を赤い影が駆け抜けた。
「コッチダッタラ行ケルゼ!」
 ラーヴァの誘導で建物の横手に回る。
 扉は施錠されているが、クロウほどの背格好ならぎりぎり上れて入れる窓があった。ラーヴァが近くの通風口から入り、ねじ式になっている鍵を器用に開けた。
 クロウは背伸びして窓枠に飛びつき、腕に力をこめて自分の身体を持ち上げた。なんとか開けて窓のふちに肘をつき、そのまま身体を滑りこませる。
「ラーヴァ詳しいね」
「ソリャア、元職場ダカラヨ」
 そのまま内部もラーヴァが案内する。建物のなかはとても静かだった。
 いくつもの部屋を通り抜け、階段を上がり、ようやく塔の最上部にたどりつく。
 窓から顔を出すと、地面から見上げたときに思い描いていたよりもずっと高い。
 風が吹き、思わず一歩後ろに下がってしまう。呼吸が荒くなるのは、ここまで走ってきたからだけではない。
 怖い。こんなときでもまず出てきた言葉はそれだった。
 とにかくレイドを保護しなくては。その気持ちだけでなんとかもう一度顔を出して、手を伸ばす。
「レイド」
 呼びかけてみるが、焦ってしまって意識を集中させられない。じっと見つめているはずなのに、視界にもやがかかったようだ。
「レイド!」
 唇をとがらせて口笛を吹こうとするけれども、まったく音が響かない。かすれてしまう。
 レイドは首を動かすだけで、こちらにやってこない。
 もう少し近くに寄るべきだろうか。クロウは唾を飲み込む。
 もしもあと少し身体を外に出したら、落ちるかもしれない。そう考えると同時に膝が崩れる。慌てて窓につかまった。
 その様子を見たラーヴァは、まず自分が近寄って様子を確認する。
 会話するような声は聞こえるが、内容がわからない。クロウは深呼吸をして乱れる心を静める。
「ウーン」
 ラーヴァは困り顔で戻ってきた。声がわかるとほっとする間もなく、悪い知らせが告げられる。
「チョット怪我シチマッタミタイダ」
「え?」
「自分ジャ飛ベナイナ、アレハ」
 クロウは無意識のうちに立ち上がって、身を乗り出した。
「レイド! 大丈夫?」
「クロウー、ココー、ココニイルノー」
 クロウはラーヴァや集まってきた鳥たちを見る。いくら彼らでも、さすがに安全なところまでレイドを運ぶのは容易ではない。
 望ましいかつ迅速に解決できるのは、クロウ自身が直接助けに行くことだが……。
 よせばいいのに、クロウは芝生を見下ろす。ちょうど人気がないのは不幸か幸いか。誰もおらず静まりかえっている。
 そのなかにある、石畳に囲まれたまっさらな緑の絨毯。クロウにはそれが、口を開けた魔物に見えた。塔の影が重なって暗くなっているから、なおさら不気味に思ってしまう。
「誰カ呼ブカ?」
 クロウは青い顔でレイドを見る。あの位置ではそのうち落ちるかもしれない。それまでに応援を間に合わせるか、それとも――。
 クロウは拳をぎゅっと握った。
「僕が行くよ」
 応援を呼んで、助けてもらって。その間、自分は何をしている? クロウは己に問いかけた。
 すぐ行って助ければそれで済む話だ。ここまできて、時間も手間もかけさせるくせに肝心の自分は何もしない。それがいやだった。
「オイオイ、ラーヴァカラ聞イテルゾ。高イトコロガ怖インダッテ? 俺タチダッテ運ベルカモシレナイゾ」
「いや、人の手のほうが安全だ」
 地上までの距離は遠く、足場は頼りない。あそこまで行くのかと考えただけで、全身がふるえた。
 高いところは怖い。足がすくむ。けれども、クロウはどんなに不出来でも鳥使いだ。自分よりも鳥のことを第一に考えなければならない。
 奥歯をかみしめて、彼は頼りない一歩を踏み出した。
 すぐに風にあおられる。ぎゅっと目をつぶってしまうと余計に平衡感覚がなくなり、ゆっくりと世界が回るような気分に陥った。そのまま真っ逆さまに落ちてしまう映像が何度も脳裏をよぎる。
 進むには、きちんと目を開けるしかなかった。
 身体をぴったりと壁につけて、ようやく歩けるくらいのスペースしかない。クロウは慎重に、ゆっくりと移動した。
 不意に足が宙を踏むと全身が跳ねる。冷たい風と恐怖心で視界はどんどんにじむが、それでもクロウは止まろうとしなかった。
 たった数分がとても長かった。
 二歩、三歩、四歩……。歩みは遅くても確実に距離を縮めていく。
 そしてとうとうレイドの目の前にたどり着いたときには、魂までが麻痺したように身体が硬直していた。そのまま砕けて崩れてしまいそうになるが、それでも最後の力をふりしぼる。
「レイド、来るんだ」
 わずかなスペースに足をかけて踏ん張り、手を伸ばす。
 レイドはひょこひょこと弱々しい足取りで移動し、クロウの手のひらに乗った。
「クロウー、アリガトォ。モウネ、スッゴク心細カッタンダヨ。早クオウチ帰リタイ……」
「よかった……。怖かったね」
 ほっとしたその瞬間、滑って足にかかっていた力が一気に抜けた。
「うわあああ!」
「オイ、チョット、クロウ! レイド!」
 内蔵がひっくりかえるような落下の感覚。遠ざかる塔の屋根。レイドだけは、と小さな身体をかばうように腕を動かす。
「クロウ!」
 誰かが名前を呼んだ。ラーヴァの声でもレイドの声でもない。
 身体になにかが巻きつき、勢いが止まった。そして、柔らかい何かが彼の身体を受けとめた。
「え?」
「間に合ってよかった」
 ほっとした顔を浮かべながらやってきたのは、トーレスだった。状況を飲みこめずにクロウは呆然とするのみだった。
「トーレス?」
 身体を動かそうとすると、バランスを崩して倒れこんでしまった。しかし、まるでプールに浮かんでいるような感覚だ。彼の下にあるのは、巨大な真っ黒の影。
 クロウはあわてて手のなかを確認する。同じく自分たちに何が起きたのか把握できていないレイドが、ぽかんとくちばしを開いて固まっていた。
「無事、だった?」
「おいおい、びっくりさせるなよ。大丈夫か?」
 トーレスはクロウの手を引っぱって立ち上がらせようとしたが、足元が安定しない。トーレスが一言呪文を唱えると、地面は元の石畳に戻った。
「これでよし、と」
「あ、ありがとう。今のは?」
「影の質を変えただけだよ。あー、早番でよかったー。お前、危なっかしすぎるよ」
 自分の身体から離れた影の遠隔操作は容易ではない。しかも、こんなに大きな影を変化されるのは高等技術だった。それをいとも簡単にやってのけるトーレスは、確かに別格だ。
「トーレスってすごいなあ」
 魂が半分抜けたクロウが吐息交じりにつぶやくと、トーレスは声に出して笑う。
「別に、これくらい。本気出せばもっとすごい技見せてやれるし。それに、お前だってできないできないって言いながら、一応六〇〇も貯めたじゃん。残りは九〇〇もないんだからさ、半年以上あれば大丈夫だって」
 確かに彼だったらあっという間に得点を重ねてクリアできる数字だ。けれども、クロウにとっては途方もなく遠く思えた。
「それはトーレスだからだよ。……僕とは全然違う」
 その言葉を聞いた彼は、クロウをまっすぐ見つめる。いつになく真剣な表情だった。
「俺は影を使える。お前だって鳥の声が聞こえる。同じだよ。素質がまったくないんだったら、見習いにもなれないんだぞ? もっと自信持てよ」
 でも、鳥の声が聞こえるだけでは何の役にも立たない。
 そう反論しようとすると、バサバサと音を立てながらラーヴァが降りてきた。
「フー。マッタク、危ナッカシイナー。サスガノ俺モ、モウオ前ノ体ナンテクワエラレナインダカラ、シッカリシテクレヨ」
「ご、ごめん……」
 しゅんとするクロウの肩を、トーレスが叩く。
「無茶はほどほどにな。今回は俺が助けられたけど、いつも側にいるわけじゃないからな」
「うん」
「でも、お前すごいじゃん。高所恐怖症治ったの?」
 クロウは静止した。ようやく我に返ったレイドも小首を傾げた。
「……わからない」
 今でも先ほどのことを考えると寒気がした。
「マア、火事場ノ馬鹿力ッテトコロジャナイカ?」
「え、そう言っていいのかな? 僕、全然力出してなかった気もするけど」
「まあ、クロウが高いところ上っただけでも上出来だよ。さ、早く帰れよ。俺が関わったなんて言うなよ? 仕事サボったってばれるから」
 見回りに戻らなければならないというトーレスと別れ、クロウたちは鳥類局に戻った。
 まさかあいつが、と級持ちの鳥使いたちは目を丸くした。クロウ自身、先輩たちでなく自分が役目を果たした事実に信じられない思いだった。
 こうして、無事にレイドを連れ戻したことで、久しぶりにまとまった得点をもらうことができた。
 仕事を終えたクロウは、影使いが所属している警護局へ向かう。カフェでケーキをおごるだけでは全然足りないが、友人には今の自分にできる精いっぱいの礼をしたかった。
 あのとき、トーレスがいなかったらどうなっていただろう。考えただけで怖くなる。たまたま彼が近くにいたから、自分もレイドも無事でいられたのだ。
 彼だけではない。ラーヴァや他の鳥たちがいなければ、クロウはレイドを助けるするどころか発見すらできなかったかもしれない。
 まだまだ自分一人の力でできることは少ない。それを思い知らされた日だった。
 ちょっとやそっと褒められてものんきに喜んでいる場合ではない。それでは一人前とは言えないのだ。
「もっと、しっかりしたいな……」
 クロウのポイントは現在六一八。残り八八二。卒業期限まであと十一ヶ月。



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