見習いクロウの最後の一年 第四話 その林檎には届かない 秋になると、一般教養と基礎実習をすべて修了した子どもが見習いとして入ってくる。 今年はクロウ以来の新人がやってくるということで、鳥類局の期待は大きかった。 「今度の子は高所恐怖症でないといいな」 何人かの先輩がげらげらと笑う。 居心地悪い思いではあったが、事実なのでクロウは何も言い返せなかった。 ざわついていた室内は、扉を開ける音を境に静まった。 局長が入ってくる。そのあとに、クロウより背の低い少年が続く。 「我らが鳥類局にも待望の新人がやってきた。ラーク、自己紹介できるね?」 「はい」 まだ幼さが目立つ顔は、緊張で若干固い。それでも精いっぱい礼を欠くまいと、背筋を伸ばしている。 「ラーク・エイリーです。よろしくお願いします」 ぺこりと彼が頭を下げると同時に拍手が起こり、期待の視線が一斉に注がれた。 クロウも手を叩きながら、初めてできた後輩の存在に胸を躍らせていた。 「しっかりしてそうな子だね」 「オ前ハ初ッ端カラ転ブシ、喋ッタラ噛ムシ、オ辞儀シタラ机ニ腰ヲブツケルシ散々ダッタモンナ」 ラーヴァの言葉に、つい身体を小さくしてしまう。最近はもう思い出すことも少ないが、当時は三日眠れなかったほど恥ずかしくてたまらなかった記憶だ。 局長に連れられたラークは、一人一人に挨拶して回る。その様子を見ながら、クロウは自分の初出勤日を回想する。 あの日は、ただでさえ人見知りなのに緊張のあまり一気に頭が熱くなって、だんだん自分がなにを言っているのかもわからなくなっていった。それに比べたら、ラークは本当にしっかりした少年に見えた。 「クロウ・フェアウェザーです。よろしく」 握手をかわす。クロウとあまり変わらない大きさの手だ。 「彼は十三歳で、君と同じ見習いだ。歳は近いから、クロウ、面倒を……と言っても君よりラークのほうが頼りになりそうだな」 周囲に笑いが起きる。 ラークは目を丸くして、クロウを見つめた。 「え、もう十三歳なんですか? それなのにまだ見習い?」 素直だが、耳が痛い言葉であった。 「年明けに十四歳になるんだけどね、うん、まだ見習い」 呆れたような嘆息を聞き、クロウは顔が赤くなった。 見習いの期間はおおよそ二年半。鳥使いは常時ポイントを稼げる職種なので、級持ちになる時期は比較的早いと言われている。それが最後の年の秋になってもまだ見習いというのは、あまり前例がない。 「この二年間、なにしてたんですか?」 「オイオイ、坊チャンヨ。サスガニソレハ失礼ッテモンダロウ」 ラーヴァが割りこむ。ラークは顔を赤めながらもそっぽを向いた。 「まあ、彼にはちょっと事情があってね。まあ、君になにも問題がないなら、ここまで級持ちへの昇格が長引くことはないさ」 「……事情、ですか」 ラークは再度クロウを見る。とても友好的な態度とは言えない。年下が相手なのに、クロウのほうが身体が硬直する。 局長に連れられ、ラークは敷地内の見学に向かった。その背中が見えなくなった瞬間、思わずほっとしてしまった。 「なんか、すごい態度のやつだな」 シーガルに囁きかけられ、クロウは苦笑いを浮かべた。 「はっきりした子ですね。鳥たちにあなどられることはないかも」 シーガルはクロウをまじまじと眺め、彼と同じような表情を浮かべる。 「そうだな。まあ、二個もちがうんだから、お前なめられないようにしろよ。鳥たちよりも厄介だぞ、あれは。でも、ようやく新戦力が入ってきて安心したよ」 その言葉に、まだ自分は半人前なのだと実感させられる。春以降、訓練を積極的にするようになってだいぶ仕事内容や周囲の態度は変わったはずだった。けれども、まだ足りない。 頑張らなくては、と拳に力を入れ、ふと彼は気づく。 「そういえば、ラークは自分の鳥を持っていないんでしょうか」 鳥使いの多くは相棒となる鳥を持っている。しかし、ラークにはそれらしき存在が見当たらなかった。 クロウのときは、父から引き継いだラーヴァがいてくれた。彼は上司や先輩たちとも面識があるおかげでクロウの橋渡し役を見事にこなし、最初から劣等生ぶりを見せつけたクロウのフォローに回った。そのおかげで、鳥類局職員たちからなんとか見捨てられずにいるようなものだった。 「まあ、別に決まりじゃないしな。必要になったら自分から求めるだろう」 シーガルにそう言われ、クロウは頷く。しかし、あんなに周囲を威嚇しているようなとげとげしさを持つ彼がなんだか寂しそうに思えてしまった。 こうして後輩が入って数日。歳は違えど同じ見習いなので、クロウはラークと行動する機会は多かった。 レインアローの大きな翼が広がり、雲と芝生の間で悠然と風に乗る。 クロウはそれを見上げて思わずはしゃいだ。 「うわぁ、ラークってすごいね! こんなにすぐ飛べるなんて」 クロウの言葉に、降下してきた彼は顔をしかめる。 「むしろ、一年以上いるあんたがなんでここまで飛ぶの下手なのか疑問なんですけど」 「そうだな」 「新人乗セテ飛ブ感覚、ナンダカ思イ出シテキタヨ。普通ハコンナモノンダッタナ」 主任とゲイルにまで言われてしまったら、返す言葉も出ない。 「そんなに大げさなことではないでしょう。実習でやったことを実践しているだけですから」 先輩相手とは思えないほど冷たい口調だ。思わず主任も苦笑いになる。 「では、今日はここまでにしておこうか。クロウ、ゲイルとジェイドを連れて行ってくれ。私はラークを大部屋に案内するから」 「はい」 二羽を両側に従えながら、クロウはレインアローの小屋をめざす。 「ゲイル、ジェイド、アイツハドウヨ」 ラーヴァがふざけてゲイルの背に乗る。ゲイルは嫌そうなそぶりを見せるが、気にせず歩きつづけた。 「マア、最初ノクロウヨリズットイイ」 それを聞いたジェイドは笑いを押し殺す。 「デモ、教科書ドオリダナ。命令スルダケダ。ソレニ、高圧的ダナ。躾担当ナラアレデモイイケドヨ」 「私モ同感」 二羽がそろってそう言うとは思わず、クロウは面食らう。それを察したゲイルはさらに続ける。 「クロウ、前ニ俺ガ言ッタダロ? 鳥ト話セルダケジャダメダッテ」 「うん」 「アノ坊チャンモソウサ」 「アノ子、キット鳥嫌イネ」 ジェイドの言葉に、クロウは驚きの声をあげてしまう。 「ええ? 鳥使いなのに?」 「アナタノ先輩ノナカニモイタワヨ。言葉ガ通ジルカラトイッテ、好キニナルトハ限ラナイワ。人間同士ダッテソウデショ?」 確かに、と言いつつ、クロウには予想外の見解だった。 鳥と意志疎通できる者――鳥使いの大半は、鳥を友人のように思っている。クロウ自身、鳥を嫌ったことはない。 「オ前ハマダ若イケド、覚エテイタホウガイイ。自分ガソウダカラッテ他人モソウダトハ限ラナイ」 「そんなの、わかってるけど……」 「クロウミタイナ単ニデキナイ子ヨリ、アアイウ子ノホウガ危ウイノヨネ。クロウ、後輩ハイラナイ?」 クロウは首を横に振る。 追い抜かされるのはしかたないし、自分の立場がなくなるだけだとしても、仲間は一人でも多くほしい。 「ジャア、チョット気ニカケテアゲテネ。ゾンザイニ扱ワレチャ、私タチダッテ不満ヲ持ツモノヨ」 小屋に着き、二羽の手綱を外す。レインアローたちが新人の感想を尋ねるが、どちらも無難な感想を言うに留まっていた。 事務室に戻る道を行きながら、気にかけるとはどういう意味かを考える。 いつもクロウは誰かに気にしてもらう側だった。自分で考えて動いていても、どこかで他人の手を借りている。 辛辣な言葉をかけられることも少なくはなかったが、思い出すのはいつも誰かの優しさだった。 夕日が沈んで、太陽の気配が若干残るだけになったころになって、終業の鐘が鳴った。ラークは即座に自分の荷物をまとめると、すばやく挨拶して出て行ってしまった。クロウも身支度を終えると、さりげなくそのあとを追う。 「ラーク、今日はどうだった?」 彼は愛想のない顔で答える。 「どうもこうも。まだ簡単な仕事だけだし、一週間もすれば覚えられるんじゃないでしょうかね」 「はは、僕は一ヶ月かかっちゃったけどな」 ラークは軽蔑したような視線を向けるが、クロウにはたいしてダメージがない。 いろいろ話しかけてみるが、反応は薄い。どうしたものかと思っていると、不意に背中を叩かれる。 「よ!」 トーレスときたら、あいかわらず唐突に現れる。クロウもさすがにすっかり慣れてしまったが、ラークは驚いて硬直した。 「また新しい菓子が出たみたいだから食べにいこうぜー」 「あ、うん! ……そうだ」 クロウは後輩のほうを振り向く。 「ラーク、よかったら一緒にどうだい? あのカフェは僕らの同期が働いているんだけど、その子の作るお菓子って本当に美味しいんだよ!」 彼は戸惑ったような嬉しいような複雑な表情を浮かべたが、無言で頷いた。 カフェへ向かう途中、クロウは気を使ってラークにたくさん話しかけた。しかし、彼は上の空で、ちらちらとトーレスを見ていた。 「えっと、ラークだよな? 家族は?」 トーレスに尋ねられ、ラークは姿勢を正す。 「父さんは技師で、母さんは通信局で働いています。あと、兄さんが高等学校に通ってます」 「じゃあ、みんな専門職じゃないんだ」 「はい、僕だけで……。鳥の声が聞こえるから半分自動的に専門職コースに回されたんですけれど」 「ま、そうなるよな」 話しながらなじみのガラス扉をくぐると、すぐそばにアンジェリカがいた。 「なに、あんたたちもよく来るわね」 「そんなツンケンするなよ。それで、今日の新作はー?」 「練蜜芋プディングのアイスクリーム添え」 大好物だとクロウが無意識に満面の笑みになると、アンジェリカは一瞬眉を中央に寄せたが、呆れたように笑った。 「今出してあげるからちょっと待ってて」 秋になって、彼女は調子を取り戻したようだ。以前にも増して仕事に励んでいる。熱心すぎるほどだ。しかし、忙しいにもかかわらず生き生きしていて、クロウはそのほうがアンジェリカらしくてよいと思った。 席につくと、トーレスは肩を回す。 「今日は巡回の途中で二人捕まえてさ、余罪が多くて一日その対応。先輩たちは徹夜じゃないかな」 ラークは意外そうな顔をする。 「トーレスさんほどの人でも巡回をするんですか?」 その言葉にトーレスは思わず噴き出した。 「九級から八級まではあんまり変わらないよ。巡回は下っ端の役目。それに、俺、巡回好きだしさ」 ラークの目がさらに真ん円になる。 「巡回がお好きなんですか? あんな地道なのが?」 トーレスは誇らしく、そしてどこか照れくさそうにして頷いた。 「まあね。幼学校くらいのときは、正義の味方っていうのに憧れていたんだ。俺も素質優先で影使いになったわけだけど、こうして警護兵と連携して仕事もできるからさ」 ジェミアの治安を守る。その簡潔な信念を掲げることで、彼は犯罪の取り締まりに意欲を出し、実績を積んでいった。そしてこの夏、最年少で八級に昇格できたのだ。 トーレスの言葉を聞いたラークは、感嘆の息をもらす。 「やっぱりトーレスさんってすごいなあ」 トーレスは否定するが、まんざらでもない様子だった。 「まだまだだよ。せっかく昇級できてもまだ八級じゃ軽く見られるんだ。たくさん仕事して、たくさんの人を助けて、どんどん実力を発揮していかないと」 「そんな、たった一年ちょっとで八級になった時点でも実力が出てるじゃないですか」 仕事中とはうってかわって口数も増え、ラークは熱心にトーレスへ質問を繰り返す。次第に、彼は今までにないくらい明るい表情になっていった。クロウは、ラークを誘ってよかったと安堵した。 「僕、ずっとトーレスさんに憧れていたんです」 「俺?」 トーレスはきょとんとしながら自分を指す。すると、ラークは元気よく頷いた。 「下級生でトーレスさんのこと知らない人なんていません! トーレスさんに憧れて影使いを目指す人も少なくないんですよ」 そう口にした瞬間、ラークはとても悲しそうな表情になった。 「だから、うちの学年の人たちも、影を操る能力がなくてがっかりしていたんです」 「ああ、確かに今年もうちは新人入ってこなかったな。こればっかりはしかたないか。でも、よかったな。鳥類局は新しいやつが入ってきて」 友人の笑顔に、クロウはあわてて頷く。 「ラークは僕よりずっと優秀だから、すぐに戦力になるんじゃないかな。うちの部署も安泰だよ」 その瞬間、ラークはいきなり立ち上がった。ぎょっとした二人に、ラークは無理矢理作ったような笑顔で言う。 「ごめんなさい。今日はあまり遅くなれないんでした」 「そ、そうか。ごめんね、誘ったりして。ここの支払いはいいから。また明日ね」 「……はい、また明日」 足早に出口へ向かう彼の姿は、まるで逃げるようだ。 アンジェリカは、去っていくラークを見やって首を傾げた。 「トーレスに憧れるなんて、あの子の学年大丈夫?」 「おい、アンジェリカ。どういう意味だ」 二人の口論を聞き流しながら、クロウはラークの表情の変化を気にする。 また、なにか気にさわったことを言ってしまったのだろうか。 フォークを動かして、アイスクリームとプディングを一緒に掬う。 まだ自分は他人の気持ちに寄り添えないのだと痛感してしまった。また食べられるようになったアンジェリカの菓子はとても美味しいのに、せっかくのそれを味わえない自分がいた。 それからというもの、ラークはぼんやりとしてばかりだった。 「何があったんだ?」 「……僕にもわかりません」 クロウは首をかしげた。 「おいおい、あれじゃクロウ二号じゃないか」 その言い方がじゃっかん引っかかったが、もちろん反論できる権利を有していないクロウであった。 クロウはカフェでの出来事が引っかかっていた。ラークの態度がおかしくなったのは、あきらかにあのときからだ。 ジェイドの言葉が急によみがえる。 「アノ子、キット鳥嫌イネ」 そして、カフェでの自分の言葉。 「ラークは僕よりずっと優秀だから、すぐに戦力になるんじゃないかな。うちの部署も安泰だよ」 (もしかして僕は押しつけがましいことを言ってしまったかな) 鳥嫌いで鳥使いとしてやっていくことに迷いがあるのだとしたら、あれは負担だったのかもしれない。そう思うと急に己の配慮のなさが恥ずかしくなった。 けれども、直接話すことしか相手を元気づける方法を知らないクロウは、悶々と彼を見つめるしかなかった。 ラークの無気力さは飛行訓練でも変わらなかった。 「クロウ、あと一回交差するように飛んで。ラーク、もっと高く」 芝生に立つ主任からの指示に応えたのはクロウだけだ。一瞬だけ二人を間違えそうになった主任は、首を傾げる。 「ラーク、聞こえるか?」 ラークを乗せたジェイドは緩やかに上昇する。 「マッタク……」 ゲイルは呆れながらクロウに言う。 「クロウ、アイツラノトコロヘ行クゾ」 「了解」 クロウは手綱を動かし、それに合わせてゲイルは仲間に近づいた。 「オイ、ジェイド。ドウシタ」 「下ノ声ハ聞コエテタワヨ。デモ、坊ヤノ命令ガナインダモノ」 ゲイルとクロウはラークを見る。姿勢は正しいものの、ぼんやりとジェイドの頭を眺めているだけだった。 「ラーク、大丈夫?」 ぴくりと瞼を動かした彼は、そこでようやくクロウたちが寄ってきたことに気づいた。 「大丈夫です」 「ボンヤリシナガラモ落チナイナンテ、オ前器用ダナ。ダッタラモウチョット真面目ニナッテモラオウカ。モッタイナイ」 「ソウネ。女性相手ニ上ノ空ハ嫌ワレルワヨ」 レインアローたちの言葉に意思もなく頷くラークを見て、クロウはゲイルを下降させる。 「どうした?」 「主任。今日はもう、ラークは止めにしたほうがいいかもしれません」 主任は顔をしかめる。 「クロウがようやくまともになったかと思ったら、次はラークか。泣きたくなるな」 反応に困ることを言われ、クロウは無言になってしまう。脇にいたラーヴァが抗議の声をあげるが、主任はあえて無視をする。 「下りさせるか」 「アア、ソウシテクレ。アレジャ、ジェイドガ気ノ毒ダ」 主任は笛を吹く。ジェイドはすぐに着地した。 「ラーク。なにか問題があったか?」 「いえ」 「だったら、集中しないと。いくら身体を固定しているとはいえ、気を抜くと落ちるぞ」 ラークは口を結んだままで、なにも返さない。 「クロウ、彼らを頼む」 「はい」 ラーヴァも連れて、クロウはレインアローの小屋へ行く。 背中の向こうで、主任の叱責の声が聞こえた。数ヶ月前までは自分が怒られてばかりいたので、無意識のうちにクロウはうなだれてしまう。 「困ッタワァ。次ハ私ガ貧乏クジ?」 「オイ、ジェイド。マルデ今マデハゲイルガ貧乏クジ引イテイタミタイジャナイカ」 ラーヴァが翼を広げてジェイドの頭に乗る。 「誰モソコマデハ言ッテナイケド? ソレト、女性ノ頭ニ乗ラナイデヨ。野蛮ネ」 二羽の口げんかを横目に、ゲイルはクロウに話しかける。 「ナニカアッタノカ? マスマスヒドイジャナイカ」 「うーん、カフェに連れて行ったんだよ。そうしたら、急にあんな感じになって」 「マア、ヤッパリクロウガ原因ダッタノ? モウ、余計ナコトシテ」 そんなことを言ったって、とクロウは頭を掻く。 レインアローの小屋に行ったら、ちょうどはち合わせた先輩に鳥類園まで連行されてしまった。そこで細々とした用事を終わらせて、クロウが事務室に戻ると、すでにラークも戻っていた。 席に着き、書類仕事をしていたラークだったが、ペンは動いていない。 クロウもすぐに処理しなければならないものをカイトに渡され、机にかじりつかなければならなかった。 夢中で仕事をしているうちに、終業の鐘が鳴ったことも先輩たちの大半が帰ったことも気づけないでいた。 顔を上げると、室内にはクロウとラークしかいなかった。 こっそりラークの机を確認する。やはりほとんど進んでいない。 「ラーク?」 声をかけても反応はない。立ち上がったクロウは彼の肩を叩く。 「もう終業だけど、どうする?」 「え?」 そこでようやくラークはクロウを見上げた。 「僕はもう帰るけど君はまだいる? 戸締まりのしかたは教えてもらった?」 見習いになったばかりの少年は、首の動きで静かに否と答えた。 クロウは室内をあらためて見渡す。荷物は残っているから、数人は席を外しているだけのようだ。しかし、無人の事務室を施錠もせずに放置して帰るわけにはいかない。 「一緒に出る?」 曖昧な声が出ただけで、ラークはいっこうに立とうとしない。 仕事に身が入っていないなら、注意をしなくてはならない。しかし、クロウはためらってしまう。自分は確かに彼の先輩ではあるが、注意をできるほどの立場だと思えなかったからだ。 後輩の姿が、先日の幼なじみの少女と重なる。だから、なにか口にせずにはいられなかった。 「どうしたの、ラーク。元気ないよね?」 ラークはじっとクロウを見つめる。ふたつも年下なのに、その目に怖じ気づいて、クロウは半歩後ろに下がった。 ラークはクロウの浅葱色の瞳を見つめて、呟くような声で尋ねる。 「ねえ、クロウさん。なんであんた鳥使いになりたかったの?」 いきなりの質問に、クロウは戸惑った。しかし、ラークは視線でクロウの返事を要求する。 「父さんが、鳥使いだったんだ。それで、ラーヴァとは生まれたときから一緒で、物心ついたときには彼とも話せていて……」 しゃべりはじめたときの記憶はないが、父の嬉しそうな顔はすぐに思い浮かんだ。 「小さいときからずっと、自分は鳥使いになるんだって、そう思ってた」 自分から尋ねたはずなのに、ラークは半ば聞き流しているような態度をとる。 「それで、夢破れたりって感じなんですか?」 「ま、まだ破れては」 ラークはいらついた表情でクロウに迫る。 「だって、もうすぐ十四なんですよね? もう二年は経つんですよね? それなのにまだ見習いだなんて、なれないって気待ったも同然じゃないですか」 「まだあと五ヶ月くらいはあるよ」 そう言い返すものの、五ヶ月しかないと思うと内心焦る。 父が鳥使いで、自分も鳥と会話できるからというのは他人から見れば単純かもしれない。けれどもクロウは、他の職業になるよりも、鳥使いとして生きたかった。その願いはもう、心の奥底にまでしみついていた。 鳥たちも人間のように、それぞれの個性を持って生きている。彼らなりの考えに触れて成長することもある。そして、高いところはまだ苦手だけど、鳥に乗って空を飛ぶことには憧れがあった。 ふと気になったクロウは後輩を眺めて口を開く。 「ラークは?」 「はい?」 「ラークはどうして鳥使いに?」 彼は口を固く結んで、目をそらす。 「別に、素質があるから引っ張られただけですよ。専門職になれるんだったらそれでよかったし、わざわざ役所のほうから誘ってきたなら断るわけないし。だから、とりあえずなっただけです」 その声はかすれていて、悲しみを帯びていた。 クロウは喉のあたりがぎゅっと締まって苦しくなる。 「そんな、だって」 「だから、もう専門職で働けるならそれでいいんですよ。将来の心配なんてしなくていいし」 「……じゃあ、鳥使いになりたくはなかったの?」 クロウの問いに、ラークは口を開きながら立ち上がろうとする。そしてすぐに我に返り、座り直してしまう。 「……ただ単に、鳥と話せるだけじゃないか。空を飛べるのはいいかもしれないけど」 ラークは悔しげに唇をかむ。 「僕は、本当は影使いになりたかったんだ。こんなんじゃなくて」 専門職は本人の希望を優先することが多いが、例外もある。影を操る影使いや鳥と意志疎通できる鳥使いは、生まれついての能力によるところが大きい。 これらに関しては素質優先で振り分けられ、もとは専門職すら志望していなかった者が鳥使いになった例も存在すると、ジェイドが教えてくれた。 「鳥使いになりたかったわけじゃない。こんな仕事、全然楽しくない」 「そ、そんな、そんなことないよ……鳥使いだって」 「トーレスさんが言ってたような、僕も町の人を守るような、そんな仕事をしたかったんだ。トーレスさんに、なりたかった」 ラークは拳を握る。 「どうして、自分の望む能力が与えられなかったんだろう。影使いになりたいって言っても許されはしなかった。同じ特殊能力だとしても、鳥を操れたってなにになるんだ。誰かを助けられるわけでもないし、かっこよくない」 クロウは、どう声をかけていいのかわからなかった。 今まで、他の職業になりたいだなんて考えたことはなかったし、高所恐怖症ではあっても鳥使いの道を進むことはできた。 まさか、見習いとして働くことも許されないという状況なんて、想像もしていなかった。 だから、次に出された質問に戸惑ってしまった。 「クロウさんは、高所恐怖症でしょ? それで鳥使いを諦めようとは思わなかったんですか?」 なんとかしてくれ、大丈夫か、などの言葉は数え切れないほどかけられた。けれども、それで落ちこんだり自己嫌悪に陥ることはあっても、本気でやめようと思ったことはない。 「でも、僕はずっと鳥使いになりたかったんだ」 「レインアローにちゃんと乗れないのに?」 クロウは笑う。笑おうとした。 「乗れないのに」 ラークは苛立ちをいっそう露わにして、自分の荷物を手に取る。 「僕は、クロウさんのこと、よく理解できません。飛べないんだったら、余計にこの仕事楽しくないじゃないですか」 ラークは顔を背けて言い捨てると、そのままどこかへ走って行ってしまった。 二人のやりとりを天井の止まり木から見ていた見ていたラーヴァが、相棒を慰めるように下りてきた。 「大変ダナ」 「うん……」 「他ノヤツラニ聞カレナクテヨカッタナ。カイトガ聞イタラ、即座ニ地上ニ突キ落トサレルゼ」 確かに、とクロウは頷いた。 カイトは鳥使いの仕事に誇りを持っている。それゆえに、なかなか成長しないクロウに苛立っていたのだ。そんな彼が今のラークの言葉を聞いたら激昂するにちがいない。 「俺モ結構ナ歳ダガ、アソコマデ鳥使イヲ否定スルヤツハ初メテダ」 かっこよくない。幼くて直接的なその言葉は、痛みをともなう響きを持っている。 なぜ鳥使いになりたかったのか。鳥使いでいる意味はあるのか。もっとまともな返答ができなかったのかと後悔がやってくる。 仕事ができないあまりに自信をなくし、弱気になっていた時期はあった。けれども、クロウは鳥使いの仕事を嫌いになれなかった。 鳥たちもジェミア市民の一員であり、都市のために働いている。困らせられることもあったし、逆に自分が彼らを困らせたこともあった。人間と同じで、自分の態度とつきあいかた次第で彼らはよき仲間になる。 もっと真剣に飛行訓練に取り組もうとしてから、クロウは勤務に対してどんどん意欲的になっていった。自分が変われば相手とのやりとりも変わる。たとえまだ完璧に空は飛べなくても、失敗が続いてしまっても、先輩たちや鳥たちとの日々は楽しさを増した。 「とりあえずなっただけ、か」 クロウは俯く。 「僕は、『とりあえず』の気持ちで鳥使いをやるのはもったいないと思うんだ」 「ソレハ俺ダッテ同ジサ。デモ、無理強イハヨクナイ。マダオ前ノ言葉ニハアイツヲ動カスチカラッテノガ備ワッテナイ」 いつもクロウに甘いラーヴァだが、彼はあえてその言葉を選択した。 クロウの口内に苦みが広がる。 鳥使いとしての能力は低くても、クロウは鳥使いという仕事が大好きだ。だからこそ、自分ではラークの心を変えられないという現実は悲しかった。 ラークの本音を聞いて以来、ますます彼とは気まずい関係になってしまった。ちょっとした言葉をかわすにしてもどこかつっかえてしまう。 飛行訓練も、ラークがぼんやりと指示に従うそぶりを見せるだけで、主任の嘆きがさらに大きくなった。 ジェイドも不満を口にするが、肝心の乗り手が上の空でまったく耳に入らないのだから、暖簾に腕押し状態だ。 それが何日続いただろう。ある日、二人が通常どおり飛行訓練をしていると、主任に席を外さなければならない用事ができた。 ジェイドもゲイルもいざというときの対処のしかたを知っているし、ラーヴァもそばにいるのだからと、自主訓練として市庁舎周辺を一周するように主任は言い残す。 「言ワレタトオリニスルノニ、『自主』ナノカネ」 「主任がいないときに飛ぶのは全部自主なんじゃないのかな?」 クロウはラークの様子を確認する。変化のない、気の抜けた表情だった。 「ラーク、とりあえずついてきて」 「ホウ、クロウモ一丁前ニソンナコトヲ言ウヨウニナッタカ」 ゲイルがからかうように言う。ジェイドは投げやりな笑いをよこしてきた。 「行こう」 ラークはそっぽを向くが、ジェイドが間髪入れずに上がる。 「あ、ちょっと、なに?」 「行コウッテ先輩ニ言ワレテルンダカラ、行カナキャダメデショ」 「勝手に決めないでよ」 「アナタガ適当ダト私ノ株モ下ガルノ。怪我シタクナケレバ捕マッテイルコトネ。落トスワヨ」 ジェイドはゆっくりと上昇する。ラークはしぶしぶ手綱を握りなおした。 石畳の道が遠い。人が指人形に見える。 普段は見上げている屋根ですらずっと下にあり、クロウの顔はひきつる。中途半端な高さのほうがずっと怖いときもある。 下のほうで、数人が手を振ってくる。子どもではないので観光客のようだ。 クロウは恐る恐る手綱から右手を離し、大きく振る。後輩のためにも頑張りたかった。 「大丈夫ですか?」 肝心の相手は馬鹿にするような息まじりで言う。 「だい、じょうぶだよ」 「声震えてますよ。まあ、あの人たちからは見えないでしょうけど」 言いながら、彼は投げやりに手を振る。それでも観光客たちは大喜びで、浮かれた叫びが二人のもとまで上がってくる。 「もう戻ります?」 「いや、まだ……」 「おーい」 クロウの言葉に割って入る声がひとつ。 「おーい、二人とも、こっちこっち」 「やあ、トーレス」 「トーレスさん!」 トーレスはひらひらと手を振ってくる。なにをしていたのやら、民家の屋根に立っている。 「巡回?」 「そう。そっちは訓練?」 「まあね」 トーレスは足元の自分の影を垂直に伸ばして、二人のいる高度まで上る。 「トーレス、器用だね」 足場は狭くてレインアローに乗るよりも不安定なはずなのに、彼は涼しげな顔だ。 「普段はあんま使わないけどな」 けらけら笑うトーレスを、ラークは感心した様子で見つめる。自分がなにをやっても興味なさそうにするのに、トーレスと会ったとたんこれだから、クロウも複雑な気持ちになる。 雑談を二、三交わし、トーレスがそのまま町中に戻ろうとした瞬間、ラークは左側を見て無意識に呟いた。 「あれ、あそこ……」 初等生と思われる子どもたちが、すこし遠くの城壁にのぼっているのが見えた。 市民に開放されているエリアは限られているが、そうではないところを警護兵の目を盗んでわざわざのぼるのがジェミア流の度胸試しなのだ。 「小さい子はのぼりたがるよねえ」 とはいっても、クロウはいつも嫌がって置いてけぼりにされることが多かったのだが。当時の記憶を思い出して、クロウは苦笑する。 「まだああいうのやってるんだ。最近は旧市庁舎の幽霊とか聞くけど」 「ああ、流行ってますよね。でも、いるかどうかもわからなくて得体のしれないお化けよりも城壁のぼりのほうが度胸試しには手っ取り早いし」 トーレスとラークの会話に頷きながら、クロウは手綱を動かす。 「一応注意しなきゃね」 レインアローで城壁に行くと、外の景色がよく見える。本当は行きたくないが、これも仕事だ。 「ちょっと、大丈夫ですか?」 ラークが呆れたような声を出す。確かに、ゲイルの上に立つ脚はまだ頼りない。 「だ、大丈夫だって。ト、トーレス、乗る?」 「いや、俺は自分のペースで行くよ」 彼は言いながら下降し、今度は影を横に伸ばして屋根と屋根の間を跳ねるように移動する。 ラークは目を丸くしながらそれを見つめる。そして、情けない先輩の後ろ姿に大げさな溜め息をついた。 そんな気配にも気づかず、クロウはゲイルとともに前進する。そして、やっとのことで、なんとか道に着地する。 「こーら、そんなところ危ないよ」 子どもたちは一斉にクロウのほうを向く。 「わあ、レインアローだ! かっこいい!」 数人が集まってくる。ラークもクロウに続いて到着すると、彼らはますます興奮した。 「撫でていい?」 「ゲイル、いいよね?」 「マアナ」 ゲイルはうんざりした声を出しつつも羽をしまう。 子どもらの興味はレインアローに移ってしまった。ゲイルから下りたクロウは方々から飛んでくる質問に答える。 そして、壁の近くにいた一人の子がみんなの関心が自分から逸れてしまったことに膨れて移動したのに気づけないでいた。 トーレスも追いついてきて、危険な遊びはほどほどにするように注意している最中、ラーヴァが妙な声をあげた。 「オ、オイ、見ロヨ!」 クロウとラークは顔を上げて、息をのむ。二人の視線の移動に気づいて、その先を辿ったトーレスもぎょっとした。 短時間のうちにどこをどう行ったのか、見張り台の脇、安全柵の向こうに男児が立っていた。 「ほら、見て見て!」 振り向いた子どもたちは最大級の歓声をあげる。これで彼は英雄だ。得意げに笑った。 「ちょっと、君。今すぐこっちに戻るんだ!」 「やーだ」 少年はおどけて、もっと不安定な姿勢を取る。 トーレスは鳥使い二人を横目で見て、クロウに囁く。 「クロウ、バックアップ頼む」 反射的に、クロウはさりげなくゲイルに乗った。あの子どもを戻すために、向こう側で補助に回るつもりだった。 その間にトーレスが駆け寄る。 「あのなあ、そんなんで落ちたら父ちゃん母ちゃん泣くぞ。今すぐこっち来い。ほら、手貸してやるから」 「大丈夫だもん」 「んなわけないだろうが」 ゲイルは軽く地面を蹴り、一度離れた地点の柵を越える。子どもたちははしゃいだ声をあげた。 その間に、トーレスも柵の外に出て、彼に呼びかける。 「ほら、俺に捕まって」 「やだよ、このままジェミア一周するっ!」 「んな無茶な――」 トーレスが言い切る前に、少年の体が傾いた。 とっさにトーレスがその手首をつかもうとしたが、彼にとっても一瞬の出来事で、自分すらもろくに支えられない姿勢になった。 少年の足がレンガを離れる。トーレスはすばやく腕を掲げた。 クロウは無意識に手綱を操った。 まるで糸がほどけるように、影は伸びていく。それは子どもの身体を確かに捕らえた。それとほぼ同時に、クロウは宙で止まった子どもを抱きとめた。 呼吸が速くなる。自分が落ちる想像をしていたときよりも何億倍も恐ろしい光景を見た。涙が出そうだ。 トーレスも、もうひとつ伸ばした影に乗って近づいてきた。 「おーう、ありがとう。ちょっと俺だけじゃ厳しかったわ。影の粘度がイマイチだった」 「トーレスさん! ……クロウさん」 ラークがやってきた。 「間一髪! はあ、心臓に悪い」 「君、大丈夫?」 助けられた子どもは顔面蒼白、小刻みに震えてクロウを見上げ、泣き出した。 抱きつかれたクロウはよろめいて、つい下を見る。黄金色の大地を、雲の影が優雅に滑っていた。 「う、怖かったね。僕も……今怖いよ」 「クロウ、もう限界かも。乗せて」 トーレスはゲイルの背中に乗り、自分の足に絡ませていた影を消す。 「トーレス、本当によく平気だよね」 いくらなんでも、影だけを支えにして空へ飛び出す勇気はクロウにはなかった。 「自分の力信じてるからさ」 彼はクロウにくっついて離れない子どもの頭を優しく撫でた。 「ああいう遊びは加減が必要だからな、よく覚えておけよ」 さらりとした口調に、年長者の余裕のようなものを感じる。クロウは彼がすこし羨ましかった。 トーレスが影越しに伝えたおかげで、警護兵も駆けつけ、子どもは無事にジェミア市内に戻ることができた。 そちらは警護兵に任せ、クロウとラークは局長への説明のために鳥類局に戻った。居合わせた者として、トーレスも一緒だ。 まだ心臓が平常に戻っていないクロウの報告は要領を得なかった。代わりに、トーレスが見事に語ってみせた。少々大げさすぎて、クロウ自身も戸惑うほどに。 トーレスは余所行きの微笑みを作る。 「クロウがいなかったら、僕もあの子も死んでいたかもしれません」 クロウは飛び上がって、小声でトーレスに話しかけようとするが、彼はそれを遮る。 「ねえ、ラーク?」 いきなり名前を呼ばれたラークはあわてて背筋を伸ばす。 「は、はい!」 局長は二人を交互に見て、軽く頷く。 「そうか。では、クロウ。君にはポイントをやろう。期限まであとすこしだ。このまま勤めに励みなさい」 クロウが反応に窮していると、トーレスが足を踏んだ。それで悲鳴のように返答した。 局長が去ったあと、クロウは口を開く。 「ちょっとトーレス、あんなにおおげさに言う必要なんて」 「まあまあ、あそこでああ言わないとさ。俺は別に得点なんて不要だし?」 大笑いするトーレスを、鳥使い見習いの二人はぽかんとして見つめた。 いつものように軽く挨拶をして去っていく彼を見つめて、ラークはぽつりと言う。 「やっぱり、トーレスさんはかっこいいなあ」 トーレスはそのまま自分の部署に戻っていった。見送った二人は、あらためて息を吐く。 「はあ、緊張した……」 「オ疲レサン」 右肩に止まったラーヴァは、クロウの頬に頭突きをする。 「今さらだけど、腰が、腰が抜けそう」 「ちょっと大丈夫ですか?」 よろけるクロウを、ラークが支える。 「クロウニシテハ、ガンバリスギタクライダナ。ソレデ一人ノ命ヲ救ッタンダカラ、タイシタモンダ」 「そう、かな?」 「去年マデノオ前ダッタラ、ナニモデキナカッタロウヨ。立派ニナッタモンダ」 そこまで誉められると照れくさい。けれども、ラーヴァは本気で喜んでくれているから、自分も嬉しくなるクロウであった。 相棒の言うとおり、今までのクロウだったら飛び出せもしなかったはずだ。 トーレスだけでもどうにかなったかもしれない。それでも、自分が救出劇に関われたということは、彼の自信となった。 「はあ、でも、本当に飛び出すなんて無鉄砲……」 ラーヴァのご機嫌な声を聞きながら、ラークは小さく嫌みを言う。しかし、クロウは笑顔で後輩を振り返る。 「ね、ラーク。鳥使いもなかなかいいだろ?」 眉間にしわを寄せたラークは、唸るような声を出した。 「どうせなら、ちゃんとした鳥使いの人の口から聞きたいですけどね」 でも、と彼は笑う。 「まあ、せっかくだし、今回はそう思ってさしあげてもよろしいですよ、先輩」 その一言だけで、クロウはこのうえなく嬉しくなってしまった。 その後のラークは、ぎこちなさは抜けないものの、少しずつ局内の人々や鳥たちと打ち解けるようになった。 クロウも、子どもを救出したことでまたすこし空を飛ぶことへの恐怖が減った。訓練にも力が入る。 後輩という存在ができたのはよかったかもしれない、と主任は言う。お手本を見せたいと張り切ることが、技術の向上にもなっていると。 これから世界もジェミアもどんどん寒くなっていく。 気温が下がるにつれて、春が待ち遠しく思う者は多くなる。通常ならクロウも同意していただろう。しかし、冬が終われば、約束の時はすぐそこに迫ってしまう。 それまでに、と思いながら、クロウは空を翔ける。鳥使いの良さを証明するのは、これからの自分だと。 クロウのポイントは現在九七四。残り五二六。卒業期限まであと四ヶ月。 第三話へ 第五話へ 目次に戻る |