見習いクロウの最後の一年 第五話 夢は風花のごとく舞う クロウの家には、一枚の写真がとりわけ大事に飾られている。ラーヴァを肩に乗せて穏やかに笑う男性――彼の父ロビンだ。 彼は有能な鳥使いだったが、突然倒れ、家族が心の準備をする暇さえなく亡くなってしまった。 一月の初めの寒い朝、いつもどおり目覚めたクロウは、まずその写真の前に向かった。父親似の彼は、大人になったら自分もこんな顔になるのかと、写しとられた笑顔をまじまじと見つめた。 「父さん……僕、十四歳になったよ」 その日はクロウの誕生日だった。いざ迎えてみると、歳をひとつ重ねる嬉しさよりも、迫りくる期限への悩みが大きかった。 同じ鳥使いだったロビンは、十四歳の誕生日を迎えたときにはとっくに級持ちになっていた。比べてもしかたないとはわかっていても、クロウは自分の力不足を恥じてしまう。もしも父が生きていたら、こんな息子をどう思うか、と。 見習いでいられる期間はあと三ヶ月もない。気を引き締めていかないと。クロウは写真のなかの父をもう一度見つめた。 「クロウ、オメデトウサン」 ラーヴァがいきなり突進してきた。不意打ちだったので、クロウはそのままよろける。 「わっ! もう、ラーヴァ……」 「悪イ悪イ。デモ、モウスコシ体幹鍛エタホウガイイゾ」 ラーヴァはクロウの頭に着地すると、ロビンの写真を見やり、視線を下に落とす。 「……オ前モ十四歳カ。アンナニチッチャカッタノニナ」 「ラーヴァくらい?」 「ウーン、イイ勝負ダナ」 ラーヴァはクロウが生まれる前からこの家にいる。家族の一員として彼の成長を見守ってきた。言わば三人目の親のようなものだった。 クロウが微笑むと、ラーヴァは首を動かす。 「ナンダヨ」 「ううん、なんでも」 彼には心配をかけっぱなしだ。いつだってラーヴァはクロウの味方であり、弁護者だった。 他にも、家族だって友人だって局の仲間だって、クロウのことを心配したり励ましたりしてくれる。 部屋のカレンダーを見る。自分のためだけでなく、父のため、みんなのために期限までの残り少ない日々を精いっぱい過ごしたかった。 新年の業務を開始したその翌日、始業の鐘が鳴ってから数分経って、局長のパロットが現れた。 「月末のことなんだが」 地上から大規模な視察団がやってくる。その行程には、鳥類局の見学も含まれている。今回はかの国の王族も参加することから、鳥使いだけでなく視察団を相手にする部署すべてがいつになく気合いが入っていた。 大まかな予定は決まっているが、細かい予定は直前まで先方とすり合わせる。 「今回は、リチャード王子だけでなく、そのご長男のオリバー王子もご一緒だ。そこでなんだが」 局長はクロウを見る。 「オリバー王子もちょうど十四歳なんだ。それで、見習いに同い年の子どもがいると知ったリチャード王子が、ぜひクロウにもレインアロー飛行を披露してほしい、とご希望だ。あと、できれば今回の滞在で案内役にも加わってほしいとも」 局内全体がざわつく。クロウ自身、目を丸くする。 「お言葉ですが、局長」 丁寧に挙手をしながら、カイトが口を開く。 「おおいに不安があります。いくらなんでも、これまで民間人相手の催しにもほとんど参加したことないんですよ?」 「先方の強い希望だ。それに」 パロットは微笑みながらクロウに向き直る。 「この半年と少しでだいぶ君も力をつけている。せっかくお話を頂いたのだから、頑張ってみなさい」 地上から時折訪れる視察団は、観光客とはまたちがった存在だ。 ジェミアのようなある意味世界の異分子となっている土地は、他国との交流が難しい。なるべく友好的な関係を築かなければならないし、自分たちが持つ特殊性もうまくアピールしなければならない。 視察隊の前で仕事内容を見せることは重要な役割であり、上から信用を得ているといってもいい。 「ぼ、僕にできるかな」 「先方は鳥使いのことを深く知っているわけではない。多少のことならごまかせるし、オリバー王子の相手も君一人でやるわけではない。とにかく、気楽にやりなさい。最近の調子ならできるさ」 「でも、ラークのほうがいいんじゃないか?」 誰かの揶揄に笑いが広がる。 「ラークも順調に点を獲得しているが、クロウにまだ分があるだろう。それに、今回はあちらのご意向に沿いたい。クロウ、やってくれるね?」 「はい!」 クロウは意気揚々と返事をした。これ以上ないチャンスを与えられたなんて、まだ半分信じられない気持ちがあった。 そんな部下を見て、局長はクロウを別室に誘導した。 「……みんなの前では言えなかったが、オリバー王子は少々難ありでな」 「難、ですか?」 パロットは言いづらそうに顔をしかめる。 「中等学校に入ってからは素行が悪くなって、問題をたびたび起こしているんだ。今回は公務に参加させて、王族の自覚を持ってもらいたいとの意向があるという話を聞いた」 思ってもみなかった話の内容に、クロウは困惑した。その様子を目にして、局長は付け加える。 「影使いからはトーレスが出る。彼とは仲がいいだろう?」 今年十四歳になる代で、こういうときに駆り出される職業は、クロウかトーレスしかいない。もしも一人前になれば、自然と一緒になることも今後増えるはずだ。 「二人で協力して、オリバー王子の行動に注視してほしい」 単に大人たちと一緒に王子について回るだけならともかく、そういう情報を聞かされると不安になってくる。 「なにかやらかしたら……」 「君はあえて失礼な態度を取るような人間でもないから、それについては安心しているが。まあ、緊張するなよ? それだけ気をつけてくれ」 「はい!」 パロットはラーヴァに視線を送る。 「ラーヴァ、補助は頼んだぞ」 「オウヨ」 なにはともあれ、今まででは考えられないくらいの大仕事だ。 高揚感を抱えて、その日は一秒も惜しんで急いで帰宅した。濃紺の空に浮かぶ冬の星座を眺める余裕もなかった。 玄関のドアを開けて、そのまま居間に駆けこむ。すでに帰ってきていた姉のフィグも母のマグノリアも、ぽかんとしてクロウを見つめた。 「母さん、姉さん、僕、ぼ、僕ね……」 溜め息とともに、フィグは水を注いだグラスを弟に渡す。 「もう、なによ。落ちついてからしゃべりなさい」 ごくごくと急いで水を飲み干そうとする。けれども、まだ心臓も肺も大きく動いて収まらない。うまく喉を通らず、むせてしまう。 「大丈夫?」 おっとりとマグノリアは息子の背中をなでた。 「クロウ、深呼吸ダ深呼吸。ホイ、吸ッテ……吐ク」 ラーヴァの声に合わせて呼吸を繰り返し、ようやくクロウは平静を取り戻した。 「で、なんなのよ」 「あの、あのね! 僕、今月の視察団の相手をするんだ!」 これを無事に終えたら、大量の加点をもらえることは間違いないだろう。 「王族の相手なんて、すごい名誉だわ。これでクロウももうすぐ鳥使いになるのね」 マグノリアは嬉しそうに笑う。 「お母さん、まだわからないわよ」 対照的に、フィグはにやりとする。 「二年以上かけてやっと今一二〇〇点でしょ? あと二ヶ月、なにがあるかわからないわよー」 「フィグ、そんなこと言わないの。クロウはちょっとのんびりしているけど、まじめだもの。三月までに昇格できるわよ」 「どうだか」 わざと意地の悪い表情を浮かべながら、フィグはクロウの頭を指で弾いた。 「まあ、せいぜいがんばったら?」 「もう……」 フィグが弟をからかうのはいつものこと。それでも、もうすこし喜んでやってもいいのではないか、とマグノリアは口をとがらせる。 「ねえ、母さん。母さんは披露の日来られる?」 マグノリアは花屋を営んでいる。いろいろと忙しい立場で、休日は一般の勤め人よりも少ない。 彼女は記憶のなかの予定を探って首肯する。 「大丈夫よ。みんなにも言っておくから。昼食は母さんが作っていかなくていいの?」 「そんな、初等学校じゃないんだから」 顔を赤くする息子に苦笑しながら、マグノリアは亡き夫の写真を手に取る。 「クロウもそこまでになったのね。お父さん、きっと喜んでいるわ。クロウと一緒に空を飛ぶのが夢だっていつも言ってたものね」 ふと彼女はまぶたを震わせるようにしながら、一瞬言葉を切る。 「兄さんも三月には帰ってくるわ。そうしたら、みんなでお父さんに報告にいきましょう」 三月。その言葉にクロウは反応する。 同時に、椅子に座っていたフィグが乱暴に立ち上がって、自分の部屋に向かう。 「フィグ、もうすぐお夕飯だけど」 「課題があるから、ちょっとだけ。クロウ、あんたも鞄置いてきたら」 クロウは慌てて姉のあとを追う。 一度だけ居間を振り返る。ロビンの写真を、マグノリアはぼんやりと眺めていた。 ふいに、過去の出来事が浮かび上がる。 父親が倒れてから亡くなってしまうまでの数日間、クロウの記憶はひどくあいまいだ。 兄姉は無理に学校へ送り出され、母は医者と話したり方々へ駆け回っていた。まだ幼いクロウは、ラーヴァとともに父のいる部屋に置いていかれ、そこで過ごしてばかりいた。 「クロウ、いるね?」 おとなしくラーヴァと過ごしていると、ふとロビンが呼びかけてきた。この時点では意識を失っていることも多くなっていて、不意に声をかけられたクロウはびくりとしてしまった。 「大丈夫、ココニイルゼ」 ラーヴァに引っ張られ、クロウはベッドの前まで移動した。 あんなにたくましかった腕が、シーツの上ではずいぶん細く見えた。ロビンはそれを必死の様子で上げて、クロウの頭を撫でた。 「ごめんな、父さんだめかもしれない」 涙混じりの声に、クロウは戸惑った。まだ死という概念はおぼろげでしかなく、離ればなれになる可能性があるという実感はあまりなかった。 「お前が鳥使いになるの、見たかったなあ」 「でも、僕、高いところ怖いよ?」 息子の答えに、彼は苦笑する。 「慣れだよ、慣れ。父さん、すごく嬉しかったんだ。クロウがラーヴァの声が聞こえるの」 物心ついたあたりから、クロウはラーヴァと会話ができた。ロビンはそれをたいそう喜び、レインアローにもよく乗せてくれた。もっとも、クロウは高いところに上がるたびに震えてばかりだったが。 「高いところが怖くてもいいんだ。それよりも大事なのは、鳥たちへの愛情だよ。クロウはラーヴァのことも他の鳥のことも好きだろう?」 「うん」 「じゃあ、大丈夫だ」 息子の答えに、ロビンは微笑んだ。 「……これからな、大変だと思うんだ。本当にすまない。母さんは弱い人だから、父さんの代わりにお前が守ってやってくれな」 「守る?」 「うん、そうだよ。クロウなら、きっと守れるさ」 あのときのことを思い出そうとすると、混乱してしまう。けれども、その言葉だけは今になってもはっきりと覚えていた。 十四歳になったとはいえ、今日までのクロウは他人に助けられてばかりだ。まだ誰かを守るほどの余裕はない。 鳥使いになったクロウを見たかった――ロビンはそう言った。 父がもういないなら、せめて立派な鳥使いになりたいと彼は思っていた。けれども、見習いになってからの日々のなかで、その意識は薄れてしまっていた。 約束は守りたい。まだ力のない自分なりに、精いっぱい。 結局、その後マグノリアを助けるのは、長子である兄の役目になってしまった。その兄も今は地上暮らしでジェミアを離れている。その分、自分が母と姉を支えないと、という思いがクロウのなかに芽生えていた。 その翌朝、いつもどおり通勤の道を歩いていると、交差路で見知った顔に出会った。アンジェリカだ。 「おはよう、クロウ」 「おはよう。パイ、ありがとうね。ごちそうさま」 クロウの誕生日、アンジェリカは王冠パイをわざわざ自宅まで届けにきてくれたのだ。 「すっごく美味しかった。姉さんも母さんも喜んでいたよ」 「……なら、よかったわ」 王冠パイは一月の風物詩だ。本来は皆で切り分けて食べるもので、あらかじめ中にひとつ入れておいたチャームや豆を引き当てた人間には、一年間幸運が訪れると言われている。そのときに祝福の証として紙でできた王冠をかぶるのだ。 アンジェリカがくれたのは、そうした一般的なものとは少しちがう。 表面には細かい模様が施され、そこに飴細工の王冠が載せられている。花、二羽の鳥、枝が見事にモチーフとして組みこまれた王冠は、思わず唸ってしまうほどの出来栄えだった。 「あんないいものもらっちゃって、逆に悪い気がしちゃったくらいだよ」 アンジェリカはマフラーに顔の下半分を埋める。 「だって、十月にプレゼントもらったんだから、私だってお返ししないといけないでしょ」 そういう言い方が彼女らしい。クロウは苦笑する。 市庁舎までは一緒だからと、二人で並んで歩く。道中、視察団の相手をすることになったことを告げると、アンジェリカはわずかに微笑んだ。 「よかったじゃない。ようやくあんたもまともに人前に出してもらえるようになったのね」 彼女が誉めてくれることなんてめったにない。クロウがパァッと表情を明るくすると、アンジェリカはすぐに顔をしかめてしまった。 「ちょっと、まだ喜ぶには早いんじゃない?」 「アンジェリカが、よかったって言ってくれたんだ。それだけで嬉しいよ」 変な子、と彼女はそっぽを向く。 「はーあ、クロウもようやく見習い脱出か」 「みんなからかなり遅れてだけどね。アンジェリカだって、もう八級に上がるって話だけど」 近ごろ、彼女の評判はいっそう上がっていた。 アンジェリカはぶんぶんと首を振りながら、慌てて口を開く。 「それは噂! 現実を見れば、昇級はまだまだ先ね。まったく、トーレスが異常なのよ」 ぶつぶつ言いながらも、アンジェリカはいつになくやわらかく笑う。 「私ね、もし八級まで上がったら、アルゼンまで市費留学しようと思ってるの」 「え?」 アルゼンは、世界三大国家と呼ばれるほどの国だ。特に菓子作りに関しては、世界一栄えている場所だと言われている。 「ジェミアでだって修行に励めるけれど、一度本場でしっかり勉強して、それで戻ってくる。そのときは今よりもっともっと素敵なお菓子をいっぱい作って、ジェミア中の人を幸せにするの」 そう宣言した彼女は、やや照れくさそうに続ける。 「五月のときに特別審査員やってくれた人なんだけどね」 その人物についてはクロウもよく覚えている。アンジェリカのスランプの原因となったのだから、忘れようもない。 「あのあと、手紙書いてみたのよ。そうしたら秋に返事が来て、アルゼンで学ぶ気があるなら歓迎するって言ってくれたの」 クロウは息をのむ。 「やったね、アンジェリカ! 認めてもらったんだ」 「一応、なんで選外になったのかは理解した、ということが伝わっただけよ。信用がマイナスからゼロになっただけ。だから、次はプラスにするためにがんばってみたいの」 「できるよ、アンジェリカなら」 アンジェリカは顔を赤くする。 「……ありがとう」 飛行披露の際は見に行くという約束をして、門のところで彼女とは別れる。 「すごいなあ」 彼女の後姿はいつもよりも穏やかに見えた。けれども、背筋はピンと伸びていて、自信に満ち溢れている。 幼いころから彼女とはずっと一緒だったけれど、いつかはお互い大人になってしまうのだ。専門職というくくりでは同じでも、ちがう職業を選んだわけだから、離れ離れの道を歩むことも十分考えられる。 それはわかっていても、すこし寂しかった。いつも厳しくて、きついこともたくさん言われようとも、やはりクロウにとって彼女は数少ない友人なのだ。 「留学かあ」 物理的な距離だけでなく、精神的あるいは社会的な距離も感じる。 アンジェリカは仕事にうちこんで活躍しているし、トーレスは七級に上がる日もそれほど遠くないだろうと目されている。自分がまだ見習いのままでいるうちに、友たちはどんどん先に進んでいってしまう。 「やっぱり、僕はまだまだなんだなあ」 俯くクロウの額を、ラーヴァは思いきり蹴飛ばした。 「いて!」 「アンジェリカト自分比ベテドウスル!」 「だってぇ……」 ひりつく額をさすりながら、クロウは唇をとがらせる。 「前モ言ッタダロウガ! イツデモオ前ハイッパイイッパイ。成長シタカラ過去ヲ悔ムンダッテ。視察団ノ前ニ立ツンダロウ? 一年前ノクロウジャ考エラレナイホドノ進歩ダ。イイカゲン身ノ丈ニ合ッタ悩ミヲ持テ!」 クロウは、唸るような悩むような声を出す。 「最近、ラーヴァ厳しくない?」 ラーヴァは赤い翼を広げる。 「ソリャアナ。前ハ俺クライシカオ前ノ味方ッテイナカッダロ。ソレデオ前ニ甘クナリガチダッタケド、今ハチガウ。オ前ノコトヲ気ニカケテクレル人間ガ増エタ。ダカラ親バカハ卒業スルンダ」 「ええー?」 不満の声をあげるクロウに、ラーヴァは体当たりをする。 「セッカク成長シテキタンダ。甘エハホドホドニシテサ、モウチット踏ン張ッテミヨウゼ。春夏秋ノオ前ガシテキタコトヲ、次ハ春ノオ前ニ渡スンダ」 クロウはレイドを救出したこと、会議場まで初めて単独で飛行したこと、落下しそうになった子どもを助けたことを順に思い出す。 四月までの自分は弱気で、すべてのことにびくついていた。けれども、今はちがう。まだ足りないところはあっても、全力で仕事に取り組んでいる。 初めてのこととはいえ、今の自分ならなんでもできる気がした。 「今回ノ仕事ヲ終エタラ、級持チハホボ確定ダロ。ハーア、長カッタナア」 その言い方が、さっきのアンジェリカと一緒だ。クロウはおかしくて吹き出す。 「やきもきさせたよね」 まったくだ、とラーヴァはこぼす。 「オ前ニハ野心ッテモノガナイカラナ。ノンビリ生キレバイイサ」 「……のんびりかあ」 まだ見習い。彼女やトーレスからはだいぶ遅れているが、まずはそこから抜け出して級持ちになることを考えなくては。 見習いになって初めての大仕事の到来が、楽しみでもあり不安でもあった。 そしてとうとう視察団を迎える日を迎えた。鳥使いだけでなく、今回視察団と接する公務員すべてが緊張感を漂わせていた。 鳥類局で港まで迎えに行くのは、局長ほか要職の数名。残りは、最初の歓迎式典や飛行披露の準備に奔走していた。 視察団のジェミアでの滞在は四日ほど。彼らが鳥類局を訪れるのは三日目だ。 応対の流れについてはすでに説明を受けている。視察団は、港から今回滞在するホテルへ移動する。そこで行われるクロウやトーレスなど、案内役を務める者たち全員と顔を合わせる。その後、予定に沿って市内を巡るのだ。 広い部屋に待機していると、視察団一行の到着の知らせがやってきた。クロウは、見よう見まねでせいいっぱい直立不動の体勢を作る。 幾人もの護衛に囲まれて入ってきたのは、背の高い男性だ。ひときわ目を引く。迫力を感じさせるのに、どこかやわらかく優雅――リチャード王子だと一目でわかった。 彼がジェミアを訪れるのは初めてだが、社交的で他国との交流を積極的に行っている人物だ。各国の風習については詳しく、エッセイや論文などをたびたび発表している。 「このたびの来訪が実現できたことは、我が国にとっても大きな喜びです」 口を開けばその声質も穏やかで、人の心をつかみやすい話し方だった。 彼とは正反対のように、明るい色の金髪の少年が、ムスッとした顔でその脇に立っていた。彼がオリバーだ。 式典が終わると、クロウとトーレスがいきなり呼ばれた。不意打ちで緊張しながらも二人の王子の前に出る。 「やあ、今回はすまないね。このオリバーと同い年というものだから、つい頼んでしまった」 対照的に、リチャードは朗らかな様子だ。 「オリバー、彼らはお前と同じ歳だ。それなのに見てのとおり立派に仕事をしている。ジェミアでは、専門職に就いた子どもたちはこの年齢でもう働きだしているという。そういうところもしっかり見ておきなさい」 オリバーは曖昧な返事をした。リチャードは一瞬顔をしかめたが、ごまかすようにクロウたちに笑顔を向けた。 「大変だろうが、どうぞよろしく」 クロウは緊張を露わにした笑顔で返事をするしかなかった。 「どう思うよ」 挨拶が終わり、一行はさっそく市内を見て回るために車に乗りこむ。その移動の最中にトーレスはクロウに耳打ちした。 「どう、って……」 「ちょっとやんちゃそうだけど、この状況なら問題は起こさないかな」 一国の王子が二人も来訪するということもあり、警備の数はいつもよりも多めだという。トーレスも、これからは基本的にオリバー王子の護衛となる。 トーレスは要人の相手をした経験があるが、クロウはなにもかもが初めてで、王族という存在も今まで目にしたことがなかった。 「僕は、よくわからないや……」 一日目は恙なく終わり、二日目もクロウたちは同じように王子たち一行に付き従った。 町中を巡るリチャードは、さまざまなものに関心を示したが、オリバーは聞こえよがしに溜め息をつく。そして、大げさに踵を返した。 「オ、オリバーさま、どちらへ」 「視察だよ、視察。こんなお仕着せじゃなにもわかりゃしない。自分の足で回るさ」 リチャードの目つきが鋭くなった。 「オリバー。王族の行動は、問題が起きないようにきちんと定められている。それを乱すのは――」 「だったら、そっちは予定どおり動いてくれ。こっちはしばらくしたら合流する。護衛は二、三人でいい」 「オリバー」 彼は父親の叱責に構わず、クロウとトーレスに目を向ける。 「彼らを見習えばいいんでしょう? 同い年で働いているっていうんだからいろいろ話を聞いてみようかな」 言いながら、彼はクロウの腕を引っ張りながら去ろうとする。 「うわ!」 とっさにトーレスが笑顔を作りながら、二人の王子の間に割って入った。 「では、町中を少々ご案内してまいります。時間は守りますので殿下のことはお任せください」 トーレスは、オリバーたちが自国から連れてきた護衛に目配せする。彼らが頷くのを確認し、さりげなくクロウを避難させるように離す。 「殿下、こちらへ」 オリバーはつまらなそうに、彼のあとをついていった。そして、クロウはそのあとを慌てて追いかけた。 「別にちょっとふらふらするだけだから、ついてこなくていいよ。どうせ、うちの護衛は離れないし」 「一応体裁整えなきゃならないので」 トーレスの返答に顔をしかめつつ、彼は両腕をさする。 「寒いなあ。温度調整システムあるんじゃなかったの?」 「作動していますよ」 「だったらもうすこし温めればいいのに。どうしてわざわざこんな中途半端な温度に設定するのかな」 クロウは苦笑いになる。 「ジェミア市民は地上と同じような季節を重んじます」 「だったら地上に住めばいいのに。わざわざ寒いのを楽しむなんてどうかしてるよ」 「でも、寒いと温かいものが美味しいですよ、ほら」 クロウが指した先には、シチューの屋台。大量の湯気が上っていた。 「ああいったものがジェミア市民の冬の楽しみなんです」 「……へえ」 感心したような声を出しながら、オリバーは屋台に近寄った。 「食べたいなあ」 やや離れたところから見守っている護衛が困った顔をしたのが見えた。 「ねえ、金ある?」 「え?」 クロウは慌てて、きょろきょろと周囲を見渡す。そこに口を挟むのはトーレス。 「じゃあ、おごりますよ。なにがいいですか?」 「……チキンシチュー」 「じゃあ、おじさん、それ二つ。クロウは黄甘瓜シチューでいいか?」 「あ、うん」 すばやくトーレスは財布を懐から取り出して代金を払うと、袋シチューを三つ受け取る。 袋シチューは、無発酵のパンに切れ目を入れ、汁気の少ないシチューを流しこんだものだ。町中を歩きながら食べるのに適しており、ジェミアではあちこちで見かける。 「さすが、ジェミア。食事はやっぱりいいな」 若き王子は湯気の軌跡を追うように天を仰ぎ、そのまま視線をクロウへと巡らす。 「ところで。こういうときさ、普通、賓客に合わせないか? 自分だけ別なんて」 「ああ、こいつは鳥使いなんで、鳥肉は食べられないんです」 クロウはおそるおそる頷いた。決まりではなく、感覚の問題だった。 彼の亡き父ロビンも同じで、フェアウェザー家の食卓に鳥料理はほとんど乗らない。 「僕が食べないだけで、他の人が食べるのは嫌ではありませんが」 「なるほどね」 オリバーはシチューを頬張る。 「そもそも、なんで鳥使いになったの?」 「鳥の声が聞こえるからです」 クロウは簡単に専門職について説明する。 「あと、父が鳥使いだったというのもあります。レインアローに乗る父はとてもかっこよく見えて、あこがれました」 オリバーは顔を思いきり歪ませる。 「ふーん。それで、父親と同じ仕事するの? うちの父が聞いたら羨ましがるだろうな」 若き王子は皮肉たっぷりに笑う。 「あーあ、なんで王子なんかに生まれてきたんだろ。どこに行っても護衛ばっかりでさ、まったく不自由だよ」 「そのかわり、衣食住に困らないのはうらやましいですけどね」 トーレスがぼそりと呟いたのを、オリバーは聞き逃さなかった。 「じゃあ変わってやるよ。もう、うんざりだよ。自分で勝手に子ども作っておきながら、王族の責任とか偉そうに語る親父にも」 オリバーは大きな身振りになる。 「だってさ、俺が王族になったのだって、別になりたいからじゃないさ。生まれたら王子だったってだけだよ。それなのに、一族がどうたら、国がどうたら。知るかっていうの」 どうせ王位は伯父や従兄のものなのに、と彼は吐き捨てるように言う。クロウもトーレスもなにも言えず、ただ顔を見合わせた。 「あんたらもさ、そういう生まれつき進路がほぼ確定って人生、嫌じゃないの?」 「え?」 「鳥の声が聞こえるから、影を操れるから。そんな理由で職業が限定されちゃってるようなものだろ?」 クロウは口ごもる。 「それは……」 「僕は、影使いであることに誇りを持っていますし、今の仕事には進んで就きました。嫌ではありませんよ」 トーレスはきっぱりとした口調で言った。 「……僕も、鳥が好きですから、鳥使いの仕事も……好きです」 高所恐怖症でまともに飛べなかったことはさすがに言えない。クロウは思わず俯いてしまう。 オリバーはその返答が気に入らないようだった。 「あーあ。俺は二人とちがうなあ。自分で働いて稼いでいるわけじゃない。あんたらとちがって俺は自分の財布ひとつ自由に出せないんだ」 しかめっ面でシチューの残りを一気に食べ尽くすと、苦い顔で視察団のところへ戻ろうとする。護衛がそのあとを慌てて追いかけた。 「ど、どうしよう、怒らせちゃった……よね?」 「怒っているわけじゃないと思うよ」 歩きながら、トーレスもパンごとシチューを口のなかに押しこむ。まだ熱いそれが喉を通る瞬間、彼はすこしだけ眉間に皺を寄せた。 「反抗期ってやつじゃない? ラークがあのままちょっとでっかくなったみたいなもんだよ」 「え……」 「お前もそれ食べちゃえよ。戻ろうぜ」 クロウも焦りながら、カボチャの甘みを味わうこともなく無理やり胃に収める。 「反抗期、かぁ。考えたこともなかったな」 小走りになりながら、クロウは胸のあたりをとんとん叩く。食道あたりで引っかかるような感覚があった。 「俺たちはそんなことしてる暇あったら働かなきゃいけないからな」 トーレスの言葉にクロウは迷いながらも頷いた。 どこか引っかかるような気持ちのまま、飛行披露の日が訪れた。 最終調整を行うため、クロウは予定よりも早めに出勤した。 「クロウ、本当に、本当に、本当に、大丈夫だな? 頼んだぞ」 主任の顔色は真っ白だった。これまでずっとクロウの指導を行ってきた人間としては、ここ一ヶ月は不安のあまり胃が痛んでばかりだった。 「は、はい」 「マアマア、見テロッテ」 ゲイルは呆れたように主任を見た。 「ムシロ、俺ノコト心配シロヨ。モウ年寄リダッテイウノニサ」 「ごめんね、ゲイル」 どうせなら若いレインアローのほうが披露にはいいのではないか、という声もあった。しかし、クロウはこれまでずっと訓練につきあってくれたゲイルに頼みたかった。 「気ニスルナ。オ前ナンテ怖クテ乗セラレナイトカ言ウ若造モイル。ソレニ、コノ歳デコンナ衣装ヲ着セラレルトハ思ワナカッタサ。悪クナイ」 式典などハレの場では、レインアローは精巧な模様の織が入った布を身にまとう。風を受けることや空中での旋回を考えるとあまり好ましくないが、見栄えはする。 ここ数日は本番を想定しての飛行を繰り返していた。あまり続けるとゲイルが疲労してしまうし、本番は一度きり。成功するには集中力が重要だ。 周囲の不安に反して、クロウの仕上がりは及第点に達していた。 「カイトさん、どうでしょうか?」 不本意ながら付き合わされることになったカイトは、ムスッとした顔で主任と一緒に空中の後輩を見守った。いつもなら飛行時間の倍は小言があるはずなのに、今回は違う。 「こんなものじゃないか? どうせおまけの新人……って言っても年季入りつつあるが。要は取るに足らぬ余興なのだから、もうこれ以上の完成度を求めてもしかたないだろう」 これまでで最大級の褒め言葉だった。クロウは嬉しくて飛び上がりそうになる。 すこし心が軽くなった気がしてクロウが表情をゆるめていると、扉を開ける音がした。 驚いて振り向いたクロウは目を見開く。オリバーだった。その側にはリチャードもトーレスもいない。連れているのは、役人と護衛合わせて三人だけだった。 「殿下、どうしてこんなところに……」 「小屋とかあるらしいじゃん。ただ見にきただけだよ。なに、文句あるの?」 主任は柔和な笑顔を向ける。 「あちらでお父上がお待ちのようですよ。こちらは披露のあと改めてご案内いたします」 「うるさいな、今見たいんだ」 鳥使いたちが困惑していると、オリバーの世話役をしている者が恐縮しながら言う。 「恐れ入ります。まだ披露まで時間があるので、先に見せていただけますでしょうか」 「は、はあ……」 主任は頭を掻く。彼としても気が進まないのは確かだが、わざわざ断るほどの理由もない。 「十五分前までよいのならどうぞ」 主任が開けた小屋のドアのなかに、オリバーはつかつかと入っていく。クロウもそのあとに続く。 柵やケージを見渡しながら、世話役の男性は溜め息をつく。 「ここには何種類くらいの鳥がいるのですか?」 「現時点は六十種ほどです。鳥類園に出すのはその七割ほどで、残りの三割は完全に研究用です」 オリバーは、主任の説明にはあまり興味を示さなかった。 「あっちの小屋は?」 「あちらはデューパールとレインアローの専用の小屋です。この二種は、僕たちが仕事で特に世話になるので、別に管理しているんです」 クロウはそれぞれの鳥がどのような役割を持っているのか説明する。 「レインアローはこのあとの飛行披露で飛んでいるところをお見せします」 「……そう」 クロウは首を傾げた。自分から見ると言って入ったわりには関心が薄い。 「クロウ、ソノ人誰?」 傍らの鳥が尋ねる。 「地上の国の王子さまだよ。視察にいらっしゃってるんだ」 「はあ?」 オリバーが眉をひそめる。 「独り言?」 「いえ、鳥たちも殿下のことが気になっているみたいで」 オリバーは怪訝そうな顔をした。 「……本当に声聞こえるの?」 クロウは主任と顔を見合わせながら頷く。ふと、さっきまで一緒にいたはずのカイトの姿がないことに気づく。 見渡そうとすると、オリバーが続けて尋ねてきた。 「どういう仕組み?」 「仕組み……」 鳥の声が聞こえたり、獣の声が聞こえたり、影を操れたりできるのは、ジェミア市民の一部にだけ現れる能力。世界でも希少だった。 ジェミアの前身となった国の秘法によるもの、特殊な民族であったジェミア市民の先祖の隔世遺伝など諸説あるが、まだ具体的な解明はなされていない。 クロウにとって鳥の声が聞こえるのは当たり前のことであり、わざわざ深く考えたことはなかった。 「よくわかりません。なんというか、耳にというよりも脳に直接話しかけられているような感じです」 オリバーは胡散くさそうな視線をクロウに向けた。それだけでなんだか緊張してしまう。 「じゃあ、こいつがなにを言ってるのか、通訳してみろよ」 そう言いながら、オリバーはいきなり近くのケージを手の甲で叩いた。金属音と、中にいた鳥の羽ばたきが響く。 「ウワァ!」 「あ、や、やめてください。その子は繊細なんです」 クロウの動揺ぶりを見たオリバーは、無表情で格子の隙間から鳥を突こうとする。 「ヤ、チョット……!」 「オイ、嫌ガッテルダロウガヨ!」 天井から二人の様子を見守っていたラーヴァも、下りながらけたたましく鳴く。オリバーは不快そうな顔になった。 「それは?」 視察団に付き添うときは、ラーヴァは離れたところでの待機を指示されていた。オリバーと対面するのは初めてだった。 「僕の相棒です。ラーヴァといって、元は父の相棒だったのを……」 「また父親? お前も好きだねえ」 苛立ちがいっそう露わになる。クロウは困惑した。 「くっだらねえ」 吐き捨てるように言いながら、オリバーはからかうように再度別の鳥かごを鳴らす。 「ヒャ!」 「オイ、何スルンダヨ!」 鳥たちの動揺が、クロウの頭に直接流れこんでくる。ざわざわとした不快感に、肌が粟立つ。 主任も青い顔をして駆け寄り、そっと囁く。 「肝心なときだ。賓客に対して問題になるようなことは――」 クロウは止まる。 「ラーヴァも」 ラーヴァはひどく不服そうな態度をしながらも、クロウに言う。 「……職務ッテヤツダ、放シテヤレ」 「ラーヴァ……」 主任の言うとおり、今はとても大事なときだ。この仕事さえ無事に終えれば、正式な鳥使いになれる。 身近な人々の顔が浮かんだ。マグノリア、フィグ、ラーヴァ、トーレス、アンジェリカ、鳥類局の仲間たち。 そして、父のロビン。 みんな応援してくれている。自分が鳥使いになるよう願っていてくれる。 ここで問題を起こしたら――加点を逃して鳥使いへの道が遠のいたら、悲しむかもしれない。呆れるかもしれない。 けれども――。 「大事なのは、鳥たちへの愛情だよ」 あの日、父はそう言った。 その言葉に突き動かされるように、クロウは腕を伸ばした。 「や、やっぱり、ダメです!」 クロウは必死になって、ケージをいたずらにいじるオリバーにしがみつく。 「なんだよ、放せ。こんなことでムキになって」 「と、とと、鳥たちが、怯えていますっ。乱暴な真似は、しないで、ください!」 オリバーの顔が赤くなる。 「ちょっと脅かしただけじゃないか。たかが鳥にそんなムキになるなよ。バカか?」 護衛があわてて、クロウを引き離そうとする。 「君、一国の王子に対して失礼だろう」 「でも、これだけは……」 「クロウ、よしなさい」 主任は苦い表情で、クロウの肩を押さえた。 「で、でも、主任……」 「オリバー、いるのか?」 抑えようとする側近を跳ね飛ばすようにして、リチャードが中庭に入ってくるのが窓から見えた。その背後には、カイトとトーレス。 あちらからもクロウたちの姿が見えたようだ。リチャードは一歩進むごとに眉間のしわを深くしながら、こちらへ向かってきた。 オリバーは舌打ちをする。 「いいかげん放せよ、公務員のくせに!」 振り払おうとしたオリバーは、勢い余ってバランスを崩す。その踵はそのまま床から離れ、彼は仰向けに倒れこむ――彼の腕をまだ放さずにいたクロウとともに。 鈍い音がした。胸に痛みが走る。 「う……」 オリバーが肩を押さえて呻く。 クロウは頭が真っ白になった。 「殿下!」 護衛たちがクロウをどかし、オリバーを抱き起こす。 「肩、肩が……」 痛みを訴えるオリバーを見て、クロウは足が震えた。目の前の光景が、ずいぶん遠くに見えた。 「ご、ごめんな、申し訳……」 「いいから」 護衛の声はひどくぴりついた感触だった。そこに、駆けつけた局長の声が続く。 「ひとまず、飛行披露は中止だ。オリバー王子を医務室へ」 しばらくして、待機していたクロウたちのもとに、オリバーを診察した医師がやってきた。 「ご安心ください、打撲ですが大事には至りません。数日以内には痛みもひくでしょう」 リチャードはほっと息を吐く。 「あれほどおおげさに痛がっておいて……我が息子ながら情けない」 「心よりお詫び申し上げます」 市長と鳥類局局長のパロット、警備局長がそろって謝罪する。 それを見たリチャードはあわてて手を否定の形に振る。 「よい、よい。私も一部始終は見ていたからな。むしろこんな騒ぎになって申し訳ない」 リチャードに視線を向けられたクロウはびくりとし、硬直する。 「ええと、君の名は……」 「ク、クロウ・フェアウェザー、です」 「そうか。クロウ、息子が鳥に無礼な真似をしてすまなかった」 自分の父親と同じくらい年齢、しかもずっと身分の高い男性に謝られ、クロウは狼狽する。 「いえ。僕が悪いのですから……」 リチャードは、責任者たちに向き直る。 「できれば、穏便な処分で済ませてくれないだろうか。うちのオリバーが馬鹿なことをしなければよかっただけの話だ」 「いえ」 もっとも険しい顔をしたのはパロットだ。 「他国の王族を負傷させるなど言語道断です。彼は即刻解雇、今後二度と鳥使いの職に就けないようにします」 市長と警備局局長も、その早い決断にぎょっとする。 驚いたリチャードは立ち上がる。 「それだけはどうか容赦してくれないだろうか」 「いたしません。でないと、他の者に示しがつきません」 「しかし、それでは私も困る。息子が粗暴な振る舞いをしたあげく、それを止めようとした少年が重い処分を受けたとなると、こちらの面目が逆に立たなくなる」 友好関係を築くための今回の視察だというのは、こちらも変わらない。リチャードはそう主張する。パロットの言うとおりにすれば、むしろリチャードたちの名誉に傷がつくのだと。 「双方のためにも、どうかオリバーの怪我に……もう怪我というのもなんだが、とにかく不問にしてほしい。この程度のことで大げさに騒いだら、逆に我が国の恥だ」 「殿下。ご寛大な心、感謝申し上げます。ですが、我々としてもここで甘い決断をすると、今後に差し支えます」 王子一行をホテルに返し、鳥使い一同は事務室に集合した。クロウはその前に立つ。いろいろな感情のこもった視線が彼に集中した。 眼鏡の奥にあるパロットの瞳は疲れと険しさに染まっていた。 「君の欠点は、その場のことしか考えられないことだな。事情は理解できるが、さすがに局長として不問にできない」 彼は大きく溜め息をつく。 「ラーヴァ。お前がついておきながらどうしてこうなるんだ」 「悪イ、パロット。……デモ、ウチノ坊主ガ間違ッテイルダナンテ、クチバシガ折レヨウト翼ガネジレヨウト俺ニハ言エナイ」 自分のこめかみを人差し指でつつくパロットの表情は険しかった。 「さいわい、リチャード王子も大げさな処罰はしないようにとの仰せだが」 彼はクロウの正面に立って向かい合う。 「君の行動の理由は承知している。だがな、クロウ。けじめはつけなければならない」 「はい」 「二〇〇点。これを現在の君の点数から引く」 室内にざわめきが広がる。 クロウの現時点のポイントは一二九九。それが一〇九九まで下がるということになる。 「局長、さすがにそれは酷でしょう」 主任が声をあげる。数人が同意の声を漏らした。 「残り二ヶ月。そこで四〇〇点取るのは不可能ではない。よほどの労力が必要だが」 局長はクロウの肩に手を置き、彼の浅葱色の瞳をじっと見つめた。 「やるか?」 できるか、とは尋ねなかった。 クロウは掌に汗をかいた。ようやく十ヶ月かけて七〇〇点追い上げることができたのに、残りたった二ヶ月で四〇〇点も取れるとは思えなかった。 しかし、ここで首を振るわけにはいかない。クロウは精いっぱい強がった表情で頷いた。 解散が告げられ、真っ先に寄ってきたのはシーガルだった。 「減点が二〇〇か」 シーガルは頭を掻く。 「局長もまた、微妙な数字にしたな。多すぎる、でも取り返し不可能というほどじゃない」 彼はクロウの髪をぐしゃぐしゃにする。 「あの王子さまの態度、俺も腹立ったよ。だから、お前のこと怒れない。他の部署ならともかく、鳥使いってのはそういうもんだ。すくなくとも、俺以外にもそういうのは何人かはいるからな」 「俺は含めないでくれよ」 低い声でそう呟いたのはカイトだ。 「今までの準備が全部台無しだ。来賓を迎えるのに準備してきたのはみんな同じだぞ」 気まずそうに視線をそらす数人を見て、クロウは頭を下げる。 「本当に……みなさん、ごめんなさい」 涙が出そうになるのをこらえる。今は泣いている場合ではない。 その日は早めに帰されることになった。自宅まで、とても遠く感じた。 母は見に来ていただろうか。披露が中止になった理由が自分の息子の失態であることにどう思うだろうか。 ジェミアのために働くどころか、都市の――鳥使いの名誉を傷つけてしまった。 悔しくてたまらない。 とぼとぼと歩くラーヴァはクロウの頭から肩に移る。 「クロウ、パロットノコト、厳シイト思ッタカ?」 クロウはしばらく考えたのちに、首を横に振った。 「俺ハ、アイツニ感謝シテイルヨ」 「感謝……?」 ラーヴァは何度か足の位置をかえる。 「モトモト、小サイ王子サマハ問題児ダッタケドサ、ソレデモ大事ナ立場ダ。アソコデ、イノ一番ニパロットガオ前ノ処分ヲ重メニシテ告ゲタダロウ? ソウナルト、アチラハ慌テルシ、糾弾モシニククナル。結果的ニ、先方ノ要求デノ解雇ハ回避サレタワケダ」 鳥使いが問題を起こしたならば、局長の立場だって悪くなるはずだ。それでもまだチャンスを残してくれた。 今は嘆いている場合ではない。 クロウは唇を噛む。 「クロウ!」 呼ばれて後ろを向くと、トーレスがラークとアンジェリカを伴って走ってきた。 追いついて、まず口を開いたのはアンジェリカだ。 「ばっかじゃないの?」 アンジェリカは涙目で、口をへの字にしていた。トーレスやラークから事情は聞かされたようだ。 「放っておけばよかったのに。どうするのよ。二〇〇点も減点されちゃって」 彼女の肩を、トーレスが叩く。 「もうそんなこと言ってもしかたないだろ。起こったもんはどうしようもない」 「でも……!」 トーレスはクロウに向き直る。 「お前がそういうやつだっていうのはとっくにわかってるからな。大丈夫、二〇〇取られただけで、次は四〇〇点取ればいいだけの話だ」 「それ、トーレスだから言えるんだよ」 クロウは苦笑する。彼のその軽い口調が、こんなときでさえなんだか楽しく思えてくる。 「笑ってる場合じゃないわよ。あと二ヶ月で四〇〇も取れるの?」 「なんとかするよ」 「なんとかって……」 「ナントカスルッテ言ッタンダカラ、ナントカナル。ウチノクロウハソウイウヤツサ」 きょとんとするアンジェリカに、ラークが通訳する。 「もう、ラーヴァまで」 焦っている自分が馬鹿みたい、とアンジェリカは頬をふくらませる。 彼女が心配するのは当然で、この時期になってようやく一三〇〇ポイントを越していたクロウが残り二ヶ月で挽回できる可能性は低い。 さいわい、鳥使いは常時ポイントを稼げるタイプの職業ではあった。それに賭けるしかない。 「僕、最後の最後まで、がんばるから」 ふと、視界に白いものがちらつく。小さな雪の粒だ。どこからか風で飛ばされてきたようだ。 その儚い姿が、届きそうで届かなかった級持ちへの夢のかけらに見えてきて、切なくなる。 しかし、今、クロウは最後の最後までがんばると宣言した。それは、トーレスたちとの約束であると同時に、自分への誓いでもある。 (まだ、まだ取り返せるはずだ……) クロウのポイントは現在一〇九九。残り四〇一。卒業期限まであと二ヶ月。 第四話へ 第六話へ 目次に戻る |