遺書


皆々様

 このたびは多大なご迷惑をお掛けする事に至りました事、心よりお詫び申し上げます。葬儀は不要に御座います。墓は何かと手間なので、荼毘に付したら後はもう風に任せて適当に放って下さいませ。
 アドレス帳は残しておきますので私の死に関しての連絡は以下にお願い致します。
 ・家族
   実家にそのままお電話下さい
 ・会社
   総務に電話して下さい。事情を説明すればあとは必要な事をやってくれます。
   困った事があれば指示を仰いで下さい。
 ・友人
   小学校・中学の友人は加藤くん、高校時代の友人は深沢くん、大学は樋口くん、趣味関係は千屋さんに
   其々連絡すれば彼らが必要な人に情報を回してくれるかと思います。
その他、次の人にも個別にお知らせください。
    作田祐樹くん 長岡満くん 戸野理香さん 町田笙子さん 門倉章夫さん
 貯金は基本的に両親へ、もしも幾らか分ける事が可能でしたら、親の無い子の為に寄付に回して下さい。押し入れの軸は母へ、ギターはいとこの誰かが欲しがっていた憶えがあるので聞いてみてください。その他の物で引き取り手のない物は処分するよう頼みます。お金がかかる場合は、貯金から引いて下さい。消費できる物は勿体ないので使って下さると助かります。
 万が一失敗した場合に備えて「柿の葉」は残しておきますが、もしも成功した場合は私が死んだ事お知らせ願います。冗談だと思われない為にも、長岡くんにも証言して貰うようにして下さい。その他手続きが要る個人的な物等は別紙にてまとめておりますのでご参照下さい。
 もしも発見した時にまだ私が生きていたら、どうかお願いです、そのまま放っておいて下さい。まずは何も見なかった事にしてお立ち去り下さい。そして、一時間後にもう一度お越し下さい。


 ここからは完全に蛇足です。長い長い、蛇足です。用件は上で終わりなので、後は暇な場合にのみお付き合い願います。
 私は生来より異常者でありました。何をどうと具体的に言われると大変困りますが、これについては自分よりも皆様の方がよくご存知であると認識しております。
 私は人と関わる事が何時も下手でした。他人の気持への無理解が敗因でした。後に加藤くんから「君は鬼ごっこしてる最中にふいと帰ってしまったり、誰かの悪戯を先生に告げ口して目の前で彼らが叱られているのに何の関心もなく別の事に夢中だったりした事があったね」と指摘されましたが、それまで全く記憶に無く、そういえばあったなあという次第であります。他人が嫌な思いをしても気にも留めない人間だったわけです。
 それでも何故か恥という概念はあり、辛うじて覚えている他人への不用意な言動のあれこれを気にして、今度はどうも離れてでしかお付き合いができなくなりました。私の性根という物は限りなく腐敗しており、むき出しにしていたら誰も親しくしてくれないでしょう。ですから、私は本音という物を誰にどう伝えたらいいのか判らなくなってしまいました。
 ある人が「君の交友関係は華やかでいいなあ」と言ってくれましたが、それは真実ではありません。確かに広く誰とも会話していたかもしれませんが、それは友情と呼べる程度の深さではありませんでした。私の交友関係など水溜りのような物です。全ての人から「あいつとは仲いいけど、あいつには他に何某がいるから自分がいなくても大丈夫」と思われて結局は孤独なのです。何となく楽しい時間が過ごせるようになったのは子供の時と比べて格段に成長しているに違いありませんが、私は何も考えずに他人を気にしない生活の方が楽だったように思え、そう思ってしまう自分がひどく自分を傷つけました。
 私には他者を理解する努力も大変苦しく、これも精神耗弱に一役買いました。例えば誰かが悲しんでいたりする時、とっさに駆け寄れないのです。自分がその現場にいても、なぜこの人はこんなに傷ついているのだろう、大した事ないのに、とかふわふわした感情になり、別の人が駆け寄って、ようやく、あっと気づいて気遣う周囲の人々の群れに入るのです。私は何時も何時も、何時もそういう人間です。人の悲しみや喜びを考えるという行為が人生にすっぽりと抜け落ちています。無意識なら尚更の事、何時かのように相手の事を一切考えない物言いをしてしまいます。どれ程の人を傷つけてきた事でしょう、私にはもう判りません。むしろ私にとっては、すぐに動ける人とっさに優しい言葉が出てくる人の方が異人のように思えたのです。
 他人の事を考えないのだったらそれはそれでいいじゃないかと誰に言われたのかは思い出せませんが、不可解な事に、私は他人の感情に無関心なくせに他人を必要としているのです。誰かと関わって自分を理解して貰いたいのです。この矛盾が本当に気色悪く自己嫌悪に拍車をかけるのでした。誰かを信用したくても、私自身誰にも信用されない。誰かを頼りたくても、誰にも頼られない私がいったい誰を頼ったらいいのでしょう。せめて誰かたった一人でも特別に思ってくれる人を作れたらよう御座いましたが、あまりに自分が改善できないほど醜い性根を持ってしまったが為に遂にそういった存在を持つ事は叶いませんでした。
 特別という言葉ほど私が焦がれた物はなかったのかもしれません。私は、誰かの特別になりたかった。誰かの一番大切な存在になりたかった。ただ大切なのではなく、一番大切でいたかった。誰かが他人を思う時、真っ先に顔が浮かび上がってくるようなそんな存在になりたかった。しかし、現実はそうではありませんでした。その誰かの最も大切な人はいつも他の人でした。誰もが皆、私がいてもいなくても大きな変化など心に生じないのです。今回無事に成功した後にこれが発見された今でもそれは同じ事でしょう。優しい幾人かはしばらく泣いたり悲しんだりしてくれるでしょうが、驚くほど短い間にそれは消えてしまう事は想像に難くありません。
 そんな寂しい人生を形作ったのはまさに自分で御座います。他者に格別な思いを抱かれるような振舞いは何一つして参りませんでした。他人は自分の鏡です。私の行いはそのまま自分に跳ね返るのです。その事に気付き、私は如何しようもない悲しみの静寂に襲われました。こんなにも他者を求めておきながら、私はそれに結びつく行動が出来なかった。あるいは、他者に好かれるような行いが平時の意識から欠落しているのにも係らず、私は他者を求めるのです。もう自分が人を愛したいのか愛したくないのか愛されたいのか全く判らなくなってしまいました。今言える事はただ、寂しい、こればかりです。私は寂しくて寂しくてたまりません。ですが、寂しさを埋める事が出来なかったのであります。私は私で在る限り、永遠に孤独なのだと思います。他者との希薄な繋がりしか保てない我が性質は如何にしても変える事が出来ないので御座います。
 自己と他者について、私には生来の欠陥があるのです。それに気付いてしまいました。厄介な事に、ちょっとやそっとの努力では如何にもならなくて、数多の努力をしても如何にもならなくて、己の心の全てを絞り尽くしてしまう苦しみの果てにようやっと報われる兆しがあるかないかといった状況で御座います。男児たるもの戦うべきでありましょうが、私にはこれ以上辛い思いをするのと、今この場で己の命をこうして断つ事のどちらがいいかと言ったら、後者なのでありました。
 本来出来損ないというのは滅ぶべきなのです。自然とはそういう物なのです。もっと早くに知るべきで御座いました。父母に申し訳なく思うのは、あんなにお金をかけてくれたというのに我が子はその一割も価値が無かったという点です。私は随分と多くの物を無駄にしてしまいました。誠に誠に申し訳ない限りです。
 最後になりましたが、このような私と付き合って下さいました全ての方に感謝と謝罪を致します。


                                                 間山尚志




2011/08/15
戻る